ロシアはアラスカの売却代金を手にしたのか:黄金がバルト海に沈んだというのは本当?

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 流布している陰謀論によると、ロシアのアラスカ売却に対してアメリカが支払った黄金は、バルト海に沈み、サンクトペテルブルクには何も届かなかったという。しかし、このお話のなかで唯一の真実は、ロシアが黄金は受け取っていないということだけだ。

「アラスカの金」の伝説 

 伝説はこうだ。ロシア領だったアラスカを米国に売却する取引が成立した後、ロシアは 700 万ドルを受け取った。うち150万ドルは、換金のために(ロンドンの)銀行に送られ、残りの550万ドルは、金の延べ棒の形で、ロンドンからサンクトペテルブルクに送られた。

 1868 年 7 月初め、黄金は、オークニー号なる船に積み込まれた。1868 年 7 月 16 日、オークニー号は、サンクトペテルブルクに着く前に沈没した。そして、保険会社は、行方不明となった貴重な貨物の保険金を支払わないために、すぐさま破産宣告した。だから、ロシアは一銭もお金を受け取っていない…。これが伝説だ。

事実はいかに

 第一に、1868 年に「オークニー号」という船は確かに存在したものの、その年は、南アメリカへの途上にあったことを、米国の作家ボニー・ロシュボーは発見した。1868 年以降も、船は航海を続け、1871 年の登録簿などにも記されている。したがって、ストーリー全体が作り話である公算が大だ。

 しかし、ロシアがこんな大金を本土に送金させていないのは事実だ。そもそも、それはロジスティックス的に至難であり危険でもあった。1867 年には、720 万ドルは 1,100 万ルーブル超に相当した(たとえば、当時のロシア海軍省の年間予算は約 1,500 万ルーブルだった)。

 そのため、米国などから金を搬送する代わりに、ロシアはそれを海外で使うことに決めた。新たな鉄道建設ラッシュには、米国の技術が必須だったからだ。 

証拠書類の発見

 これに関連して、1868 年後半の文書が、研究者アレクサンドル・ペトロフによってロシア国立歴史公文書館で発見された。この文書は、実際にアラスカに対して支払われたお金のほとんどが鉄道の資金に使われたことを証明している。

 「11,362,481 ルーブル 94(コペイカ)を、米国に割譲されたロシア領に対し、米国から受け取った。11,362,481 ルーブル 94 コペイカのうち、10,972,238 ルーブル 4 コペイカは、ロシア国外で鉄道の関連機器の購入に費やされた。クルスク・キエフ線、リャザン・コズロフ線、モスクワ・リャザン線などのためのものだ。残りの 390,243 ルーブル 90 コペイカは現金で受け取った」

 結局、ロシア帝国は、ある程度の現金を受け取りはしたが、その39万ルーブルは、特定の船舶をチャーターしたりせずに、簡単に荷造りして運べる金額だった。もちろん、後に鉄道関連の機器をロシアに運んだ船は別だが。

「ロシア・ビヨンド」がLineで登場!是非ご購読ください!