1952年のロシアの様子(写真特集)

Yevgeny Khaldei/MAMM/MDF/Russia in photo
 スターリン体制もこの頃になると残忍さが影をひそめ、ソ連市民の生活は戦争の荒廃からついに完全に立ち直り、新たな工業が興り、希望ある暮らしが始まった。

 1950年代はモスクワで7棟のスターリン様式高層建築が建設された、ソ連建築にとって象徴的な時代であった。多くの幼稚園の園庭からもこの歴史的事業を遠く望むことが出来た。

 最初に完成したスターリン様式建築のひとつはコテリニチェスカヤ河岸に立つ高層マンションであった。この写真では除雪作業の背景に写っている。

 この年最大の出来事は、101キロメートルにもおよぶヴォルガ・ドン運河の運用開始であった。

 下の写真は、レニングラードにある造船所の労働者が作業場に向かう光景。

 ノヴォロシースクの港湾労働者たちの休憩の時間。

 ソ連のモスクヴィッチ自動車工場で生産されているモスクヴィッチ400。

 モスクヴィッチ生産工場のエンジン試験場内部。 

 矛盾した写真:ソ連政府によって許された全教会及び宗教協会の会議。モスクワ総主教アレクセイ1世がスターリンの肖像の真下に写っている。

 ソ連国家の歌詞を作った詩人セルゲイ・ミハルコフと未来の名映画監督である息子ニキータ・ミハルコフ。

 全国モータースポーツ競走大会100キロ競争でのスタートの瞬間。

 デモもやはりソ連生活の一部であった。写真にあるのは、5月1日の平和、労働そして春の訪れを祝うメーデーに行われたデモ。

 モスクワの赤の広場で5月に行われた軍事パレード。

 「スポーツというのは平和である」。写真にあるのはソ連で行われていたスポーツ大会「スパルタキアード」の地方大会。

 モスクワ、赤の広場のレーニン廟上でメーデーを祝うヨシフ・スターリン。

 ひまわりの種を採取する女性たち。

 最新号を抱えた村の新聞の売り子。

 コルホーズ員のための野外コンサート。

 レニングラード(サンクトペテルブルク)、キーロフ劇場のステージでバレエ「白鳥の湖」のオーロラを踊るガリーナ・ウラノワ。

  その時代を通じて決して変わることのなかったもののひとつであるモスクワ、ボリショイ劇場。

 毛皮のコートを試着するオペラ歌手、イリーナ・マスレニコワ。

 1952年に開業した地下鉄環状線の新駅、ベラルースカヤ駅。

 貨物列車に穀物を積み込むコルホーズ集団農場員。

 患者を診察する歯科医。

 これは単なる郵便車両でなく、移動式電信電話局でもある。

 ソ連はチェスのグランドマスターを輩出していることでも知られており、女性もチェスを楽しむことが出来た。写真にあるのは、モスクワで開かれた国際女子チェス選手権で対局にのぞむソ連のワレンティナ・ベロワ(左側)。

 「身分証明書を拝見!」

 クリミア半島の海岸を散歩する「アルテク」ピオネール・キャンプの子どもたち。

 ソ連のピオネールたちは模型船舶にとても興味があった。

 ・・・そして模型飛行機にも。

 モスクワのピオネール宮殿の子どもたちによる歌と踊りのアンサンブルはウラジーミル・ロクテフが25年間率いた(現在は彼の名を冠している)。

 チェリャビンスクで新たに建設された労働者のための文化宮殿。  

 ソ連政府はクリスマスを禁止したが、新しい象徴―ニューイヤーのツリーを飾って新年を祝うことは許可した。 

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる