セルゲイ・エシン、作家
木曜日。ゴルバチョフは昨夜辞任し、テレビで演説した。私は見なかった。私がこれ以上軽蔑してきた人間はいない。私は「模倣」の専門家だが、彼こそ私の主人公だ。私の夢は、国民の名において彼に平手打ちを食らわすこと。
…すべてが忌まわしく最悪だ。銀行に預けていたお金が消え、生活はいよいよ苦しくなっていく。一昨日の日曜日、夕方8時ごろに中庭で、何者かが私の車のフロントガラスを壊した。それをはめるために、私はまる2日間悪戦苦闘した。
ウラジーミル・ベッソーノフ、歴史学者
新年が近づいてくる。最近の事件と言えば、ベロヴェーシ合意、「事実上の」ソ連崩壊、昨日のゴルバチョフの演説だ。ゴルバチョフは今や、ありとあらゆる暴露がなされ、誹謗中傷を受けている(これは、わが国民の病と言ってもいい。やり返せない人間を足蹴にする。足蹴にしても、何の後腐れもないからだ)。
彼はもちろん、左からも右からも思い切り「噛みつかれる」。かわいそうなミハイル・セルゲーエヴィチ(ゴルバチョフ)!(『独立新聞』の今日の報道によれば、あるカジノの所有者が彼に100万ドルの報酬の仕事をオファーしているそうだ!)
誰もが「価格の自由化」を戦々恐々として待っている。店は空っぽだが、人々が本当の恐怖を味わうのは正月休みの後だろう。朝、彼らが目覚めると…実際、新年にはすべてが一変していて、私は失業するだろう。(滑稽なことに!)私の今の月給(270+60ルーブル)は、失業手当(342ルーブル)よりも少ないが、シャンパン1本は、露店で150ルーブル、ジャケット(ダウン)は、6,500~7,000ルーブルもするし、シャツ1枚でさえ300~400ルーブルだ。
今、「ラジオ・ロシア」で、女性アナウンサーがしみじみとこう言った。「私たちは、自分たちの心をすっかり忘れてしまった。長時間行列に並んでやっと買った美味しいソーセージも、抒情的な歌が与える高尚な感情には代えられない」。これに続いて、ジャンナ・ビチェフスカヤの歌が流れた。
ちなみに、ロシア革命直後の1918年のこと、国民が飢餓で苦しんでいるときに、新聞各紙は厚かましくも、断食、ダイエットの効用について書いたものだ。
リュドミラ・ポリャコワ、女優
来る空腹の1992年の前夜、過食が続いている。食べ物はあるところにはある。こんなに食べまくったことはないような気がする。こうやって、将来のために食いだめしているわけだ。主よ、我らを許したまえ。わずかなりとも人間らしい尊厳を保てるように、我らを助けたまえ!
オレグ・アミトロフ、古生物学者
祖母はもう政治に興味をもたなくなった。私が(夜に)テレビの電源を入れると、祖母は、前みたいに音量を上げてくれとは言わず、もっと静かに、と頼む。クレムリンの上に、赤旗の代わりに三色旗が掲げられ、外国のソ連大使館はロシア大使館に変わった。
ヴィケンチー・マトヴェーエフ、ジャーナリスト
あの慌ただしさは、いかにもという感じだった。今朝、エリツィンは、クレムリンにあるゴルバチョフの執務室を引き継いだ。さて、ボリス・ニコラエヴィチ(エリツィン)、あなたの治世はどんな状況で終わるのか?面白い見ものだ。
ユーリー・ポミノフ、ジャーナリスト
12月25日、夜、中央テレビ局のニュース番組の最後にゴルバチョフが演説し、「根本的な事柄を考えたすえ」、辞任すると発表した。ドラマと茶番のどちらが余計にあったか分からない。こういう国の最初の(そしてたぶん最後の)大統領が、こんな形で政治の場を去るべきなのだろうか?
ゴルバチョフが短い声明を読み上げて、喉を潤そうとしたが(その理由は確かにあった!)、手に取ったグラスは空だった。
匿名
モスクワで、モスクワ大学の地下に、12万人が住める地下都市が見つかった。ホテル、店、その他すべてがある。クレムリンからこの都市へは地下鉄が通っている。食料の備蓄は、25~30年分は十分まかなえる。これは、戦争が起きた場合に、ソ連の指導部のために用意されていた。
アナトリー・チェルニャエフ、ゴルバチョフ大統領の国際問題担当補佐官
ゴルバチョフは、12月25日水曜日に最後の「演説」を行うことにした…。しかし、演説の全文を載せた新聞は1つもなかった。誰もがエリツィンを怖がっている。
朝、ゴルバチョフは、(17時に)ブッシュと電話で話せるようにしてくれ、と頼んだ。アメリカはクリスマスだが、パーヴェル・パラジチェンコ(*ゴルバチョフの通訳――編集部注)は、キャンプ・デービッドでブッシュを見つけた…。ブッシュは同意した。
ゴルバチョフは、非常な親しみを込めて話した――「ロシア式に、友達のように」…。ブッシュもまた、初めて抑制を「かなぐり捨て」、たくさんの誉め言葉を口にした。その賛辞の多くは、後に彼の演説にそのままとり入れられた。それは、ソ連の終焉とゴルバチョフの意義に関する演説だった。
41号室(執務室の隣)は、ゴルバチョフがふだんテレビカメラの前で話す部屋で、多くの記者が集まった。だが、こういう場合にはよくあることだが、恥ずべきことに、彼を取り巻いたのは西側のジャーナリストだけだった。彼らが群がったことは、全世界にとってのゴルバチョフの重要性を示していた。西側の社会は、彼の意義を正しく評価している。
私は、ゴルバチョフから8~10㍍離れて脇に立っていた。生中継だ。彼は落ち着いていた。時々遠慮せずに原稿を見た。「一発で」うまくいった。その後、「身内たちに」いくら感想を聞いても、それは一致していた。すなわち、尊厳と高貴さ。
ゴルバチョフは、確かに悲劇的な人物だ。もっとも、「日常的に」彼に会うことに慣れている私にとって、彼をこのように形容するのは難しい。それでも彼は、「悲劇的」という言葉を冠せられて歴史に残るだろう…。
午前8時15分(*翌日の――編集部注)、エリツィンとその取り巻きは、ゴルバチョフの執務室の応接室に現れた。当番の秘書に向かって、エリツィンは「さあ、見せてくれ!」と命じた。そして執務室に入った…。
「このテーブルには、大理石の筆記用具一式があったじゃないか…。どこにあるんだ?」
秘書は震えながら説明した。「そんなセットはありませんでした…。ミハイル・セルゲーエヴィチは、こんなペンは使ったことがないと言うので、私たちは彼のために、マーカーのセットをテーブルに置いていました…」
「まあ、いいや…。あそこには何があるんだ?」。エリツィンは奥の部屋(休憩室)に入った。 彼はテーブルの引き出しを開け始めた。そのうちの1つに鍵がかかっていた。
「なぜ鍵がかかっているんだ?!守衛を呼べ…」
誰かが鍵を持って飛んできて、開けた――それは空っぽだった。
「まあ、いいや…」
その一団は笑いながら、どやどやと執務室を出て行った。去り際に、エリツィンは秘書にこう言った。
「気を付けろ!今日のうちに戻って来るからな!」
タチアナ・コロビイナ、教員
朝、私はすごすごと家に戻った。通りには、パンを求めて長蛇の列が伸びていた。建物の角を曲がってさらに続いていた!昼過ぎになると、パンは払底した。昨日は、多くの地区にパンがなかった。いや、まったく「今日の暮らしは愉快だ。明日はもっと愉快になるぞ」というわけ。でも、我が家は良い!タマネギ炒めて、マカロニといっしょに食べた。おなじみの推理小説を読んで、ニュースを見た。