KGBはどんな組織だったか

歴史
ニコライ・シェフチェンコ
 ソ連の悪名高い情報機関について知っておきたいこと。

 創設時からソ連崩壊まで、KGBはソビエトの政治・社会において飛び抜けた権力を持っていた。外国での巧みな極秘諜報作戦と破壊工作でソ連の超大国としての地位を確固たるものにした一方、反体制派に対する容赦ない弾圧によってソ連国内では評判を落としていった。

「剣と盾」

 KGBの歴史は1954年にソ連のニキータ・フルシチョフ第一書記が、内務人民委員部(NKVD)を新しい組織に置き換えた時に始まった。NKVDはスターリン政権下で独裁者に権力を集中させることを可能にし、1930年代後半にソ連で大粛清を実行した機関だ。

 新しく作られたKGBは、国家保安委員会(Komitet Gosudarstvennoy Bezopasnosti)の略称で、形式上はソ連の法律上の政府である閣僚会議に付属していたが、ソ連の政治指導部に対して責任を負うことになっていた(閣僚会議は共産党中央委員会より力が弱かった)。 

 KGB設置の公式の目的は、「社会主義国家を内外の敵の侵略から守り、ソ連の国境を守ること」と掲げられた

 実質的に新生の保安機関は、ソビエト国家の事実上の政治指導部だった共産党中央委員会の「剣と盾」となった。その存在意義は中央委員会を守ることにあった。つまり、ソ連の政治制度の安定性の保証、反体制派の弾圧、諜報活動、ソ連内の防諜活動の監督、国外での秘密作戦の実行、ソ連国境の防衛、その他もろもろだ。

局と支部

 KGBは10ほどの主要な局と5つの特別な支部、これらの仕事を円滑にするためのいくつかの行政部局から成った。

 主要な局にはそれぞれ狭い専門領域があった。さまざまな局が、一見互いに無関係な保安問題を管理し、ソ連国内外の安全保障問題に包括的に対処していた。

 例えば第7局は監視を担当した。この局の職員は外国人外交官や一般の訪問者、外国高官がソ連のどこへ行こうと彼らを尾行した。簡潔に言えば、第7局はソ連国内のKGBの目と耳だった。

 KGBは、モスクワの米国大使館の職員を盗聴するのに非常に独創的な手段を取ったことで知られる。ソ連の諜報員は大使館職員の使うタイプライターを改造した。

 「タイプライターの中には、タイプライターの端から端まで動くアルミニウムの部品があった。ソ連が運送ルートを通して行ったのは、タイプライターを分解し、このバーを、見た目は全く同じだが機械化されたものに交換することだった。表面上は堅固だが中は空洞のアルミのバーに個別の電子装置が仕込まれていた。電子装置の役割はこうだ。タイプライターに打ち込まれた一文字一文字がバーの中の非常に小さなバッファーに蓄積され、バッファーがいっぱいになれば、バッファーの内容がRF信号で近くのソ連の盗聴基地に送信されるのだ」とCIA(中央情報局)秘密情報技術局の元局長だったジム・ゴスラー氏はネットフリックスのドキュメンタリー番組で話している。

 米国の外交官にとって、仕掛け入りのタイプライターは氷山の一角に過ぎなかった。大使館中に盗聴器が隠されていたのだ。

 1970年代後半にソ連が米国の新しい大使館を建てた際、KGBは建設工事の段階から盗聴器を詰め込んでいた

 「建物を安全にするには、建物の上3階ほどを切り落として捨て、米国から持ち込まれた米国の労働力と米国の建材を使って立て直さなければならなかった」とCIAの元上級技術諜報員のレイ・パラック氏も前出のドキュメンタリー番組で語っている。

 KGBのその他の局は防諜(第2総局)、暗号化と暗号解読(第8総局)、党指導者らの警護(第9局)、ソビエト国家の政治的安定(第4局)を担当した。 

 中でも冷戦期ソ連の戦いの最前線にあったのが、外国でのスパイ・ネットワークの構築やリスクの高い秘密作戦を行うことで悪名高かった第1総局だ。

前線で

 文官初のCIA長官であったアレン・ダレス曰く、KGBは「秘密警察組織以上、諜報・防諜組織以上である。監視、操作、暴力、他国の事柄への秘密介入の道具だ」。 

 実際にKGB職員は何度か外国で騒動を起こし、冷戦の流れに大いに影響を与えていた。KGB職員のボフダン・スタシンスキーは、被害者に争った形跡を残さない巧妙な毒噴射器を使い、西ドイツに隠れていた反ソビエトのウクライナ人民族主義者2人を殺害したことで知られている。

 東側陣営から亡命した反体制派作家ゲオルギー・マルコフが1978年に傘に偽装した毒殺兵器で殺害された事件も、KGBが裏で手を回してブルガリアの秘密警察に実行させたと疑われている。

 またKGBは外国での大規模な作戦にも関わっていた。例えば、1979年にはアフガニスタンの体制転換を誘導するため、厳重に防御されたタジベグ宮殿でアフガニスタン指導者ハフィーズッラー・アミーンの秘密暗殺作戦を実行した。それ以前の1956年にも、ハンガリーの指導者らを逮捕し、ハンガリー動乱の鎮圧に重要な役割を果たした。

 冷戦の緊張がピークに達した時代、KGBは世界中にスパイや情報提供者のネットワークを張り巡らせた。米国で活発に活動し、米国海軍将校ジョン・アンソニー・ウォーカー・ジュニアやCIA職員オルドリッチ・エイムズなど米軍将校を雇い、米国の軍事機密をソ連に漏洩させた。正確な数を突き止めることはできないが、冷戦中にKGBに協力した情報提供者の数は数百万人に達すると考える研究者もいる

 KGBの時代は、1991年にソ連が崩壊して冷戦が終結したことで幕を下ろした。ソ連国内外で共産党の利益を37年間守り続けた悪名高い保安機関は解体され、現在の連邦保安庁(FSB)に置き換えられた。FSBは現代ロシアでKGBの役割の多くを引き継いでいる。

*もっと読む:どんな人々がKGBで働くことができたかについてはこちら。 

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