ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国を代表するこのパビリオンは、1937年にウズベクの産業を展示するためにつくられた。この建物は木造建築で、ウズベク最高の芸術家の手による民芸彫刻や絵画で飾られていた。中庭には、噴水と青銅メッキされた4体の石膏像が置かれ、星型の屋根を持つロタンダがつくられた。第二次世界大戦後、このパビリオンは荒廃がひどかったので解体された。
「大地と森林の再生」パビリオンは多くの窓がある極めて近代的な木造建築で、周りには小さな森がつくられた。展示は、農作物を干ばつから守る上での木々の役割がテーマとなっていた。1954年、このパビリオンのあった場所に「林業」館とよばれるパビリオンがつくられた。
1939年に作られたこの中央パビリオンは、正面に「CCCP(USSR)」と掲げられた巨大で厳かな建物であった。トラクター運転士とコルホーズの女性の像で飾られた高い塔を持っていた。この建物はVDNKHの全ての展示の前振りをする目的で作られ、オープン前に頑強性を高めるために改修された。
「若いナチュラリスト」パビリオンは、1939年に多くの陰をつくる高い松の木に囲まれるように建てられた。この白い建物には塔と覆いのあるアーケードが作られていた。展示としては、ソビエトの開拓者が学校の生徒たちに良く学びよく働くことを教えるとともに、多くの農作物の種子や、様々な農機具を見ることが出来た。
木造の「ソビエト北極圏」パビリオンは1939年にオープンし、建物の正面は探検家イワン・パパ―ニンの漂流観測所を描いた北極圏の地図で飾られていた。また、このパビリオンの屋根の上には、実物大の極地探検機が置かれてあり、中に入ると、北極探検がいかに行われたのかを知ることができる。1940年、このパビリオンはカレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国の展示のために改修されることになった。
白ロシア・ソビエト社会主義共和国を代表する最初のパビリオンは、明るく広い空間を持つ建物で、両側にポルチコがある。建物は民族意匠をの彫刻や絵画で飾られている。入り口近くには、2つの巨大な花瓶や国境守備隊やコルホーズ女性の像が置かれていた。主なテーマは、国境警備と農業であった。
タジク・ソビエト社会主義共和国のパビリオンはもっとも小規模のパビリオンのひとつであった。木造で、中にはムーア風から構造主義にいたるまで異なる装飾を施された5つの展示室がある。展示は、さまざまな産業や「ウダールニキ(特別作業隊―困難で緊急の任務を任された人たち)」に関するものであった。第二次世界大戦後はこのパビリオンは激しく老朽化した。
「ビーツ」パビリオンは巨大な窓と小さな庭付きの前庭、そして特別作業隊の銅像が付いていた。展示はビーツ産業と特別作業隊に関するもので、ドキュメンタリー映画の上映館も併設されていた。1954年に同じ場所に新たな建物が作られた。
「報道機関」パビリオンはスターリン様式で建設され、円柱の並ぶポーチがついていた。パビリオンの正面には、ソ連共産党の歴史についての本を携えた労働者の彫刻が上部に飾られたオベリスクが立っていた。展示はロシアの古典文学や農民の新聞をテーマにしたものであった。1954年にパビリオンは撤去された。
「泥炭」をテーマにしたパビリオンもとても小さかった。泥炭の塊のようにデザインされ、「泥炭」を表す巨大な4つの文字で飾られていた。パビリオンの近くには、泥炭を掘り、改良するのに使われる機械が展示されていた。内部の展示と特別作業隊の記録はソ連に資源の利用法について知らせるものであった。1951年に展示は新たな建物に移された。
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のパビリオンは当初、木造の農家スタイルで作られていたが、フルシチョフはこの建物を気に入らなかった。最終的にはキエフ駅のようなものになった。入り口はフルーツのリースとステンドグラスで飾られた。共和国の農業および科学のさまざまな成果が展示された。
ヴォロネジ、クールスク、タンボフ州をテーマにした木造のパビリオンは1939年にオープンした。2つの三角屋根のドア、そして尖塔のついた小さな塔がついていた。カラフルなロシアのオーナメントで飾られたこのパビリオンは木造建築がメインテーマとなっていた。内部ではこの地域の自然や産業の特性が紹介されていた。
「養蜂」パビリオンは正面には名前が書かれていなかったが、その形そのものが、それが何の建物かを言葉よりもよく表現していた。建物の中央部分に巨大なハチの巣が、そして入り口の上に大きな金属製のハチが飾られていた。パビリオンには養蜂園があり、45種類のカフカスの蜂を見ることができた。中では蜂蜜を取る技術が紹介されていた。
トルクメン・ソビエト社会主義共和国のパビリオンは、広い覆いのついたアーケードのようにデザインされていたため、軽快な作りになっていた。パビリオンにはたくさんの花の絵、彫刻、ステンドグラスで飾られていた。館内では、自然、文化、産業の成果、農業などが展示されていた。
「グラヴフラドプロム」(主要冷蔵産業管理局)のパビリオンはこの施設の中でもっとも変わったものであった。テラスのある氷山のように作られ、その上にシロクマの銅像が飾られていた。パビリオンでは、ソ連の乳酸業やアイスクリーム産業について紹介するものであったが、第二次世界大戦後、展示品は新しい建物に移転された。
タタール自治ソビエト社会主義共和国のパビリオンには2つの噴水、そしてタタールの住宅独特の中庭があった。贅沢に飾られたホールには、共和国の天然資源や様々な農業の成果が展示されていた。しかし、このパビリオンは、1960年代にVDNKhは敷地内を再編成することにし、多くの老朽化したものとともに解体された。