疫病克服のチャンピオンだったソ連。本当に完璧だった?

V. Baranovsky/Sputnik
 ソ連はあらゆる感染症を制御・撲滅するのに非常に長けていた。しかし、この国の疫学的安全性を脅かす要因もあった。

 かつてソ連の医療制度は世界有数、いや世界第一と考えられおり、今でもそう考えている人がいる。ソ連当局が発表した統計情報によれば、戦後のソ連はウイルス感染症の対処に非常に長けており、疫学的危機と呼べるような状況には一度も直面しなかった。個人衛生のプロパガンダ、予防接種キャンペーンが国民の健康に資していた。しかし、ソビエト市民の生活習慣を考えれば、感染症の事例が少なかったとは言い切れない。

戦後ソ連が直面した大きな課題

工場でワクチンを受ける労働者、1977年

 感染症と言った際にまず思い出されるのが、1977年に初めて確認され、1979年まで続いたソ連風邪だ。この新しい菌株が最初に特定されたのは中国だったにもかかわらず、ウイルスは「ソ連」(あるいは単に「赤」)という名を冠された。ソ連がこのウイルスについて報告した最初の国だったからだ。

 ソ連風邪は99パーセントH1N1型(1918年のスペイン風邪と2009年の豚インフルエンザのパンデミックを引き起こした型)に似ていた。これが、患者の大多数が25歳以下の若者だった理由だ。彼らの体は1940年代から1950年代まで世界中に蔓延していたH1N1型に晒されていなかったのだ。しかし、感染者数や死者数について、確実なことは言えない。理由は完全な情報統制だ。このインフルエンザのパンデミックに関する包括的なデータは今に至るまで存在しない。ソ連だけでも死者数が100万人を超えたと言う人もいる。陰謀論支持者は、ソ連風邪は若者を殺すために人為的に作られたものとさえ主張した。世界での死者数の割合が10万人当たり5~6人だったことを踏まえれば、死者数はそこまで多くなかったと考えられる。

 1970年の夏にはソ連南部でコレラが大流行した。アストラハンはこの感染力の強い病気の「矢面に立った」街だった。8月末までに20万人が予防接種を受け、現地住民や旅行者は隔離された。迅速に手が打たれたことで、9月初めまでに流行は下火となった。

コレラの患者の緊急搬送

ソ連の伝染病制圧の秘訣は何だったのか

 迅速な対応が成功の鍵だった。さらに、ソビエト当局が生半可な対策を取らず、疫病の流行を抑え込むために力ずくの方法に出たことも知っておく必要がある。例えば、コレラのケースでは、治安維持と隔離政策の徹底のため、3000人の兵士がアストラハンに派遣された。クリミアやオデッサにも軍が送られた。

 ソ連の成功におけるもう一つの重要な要因が大規模な予防接種キャンペーンだった。戦後ソ連に生まれた人々は結核、ジフテリア、ポリオのワクチン接種を受けていた。やがて百日咳、破傷風、麻疹、耳下腺炎の予防接種も必須項目に追加された(ポリオ・ワクチンの裏側について詳しく読むには、こちらの記事をどうぞ)。感染力の強い疫病となると(コレラの場合のように)、ワクチン接種キャンペーンは加速し、早い段階で感染の拡大を防いだ。

 免疫付与政策には、大々的なワクチン接種促進キャンペーンと個人衛生プロパガンダがセットだった。

ポスター「コレラ・ワクチンを打とう」

 「健康でいたければ体を鍛えよ」(強く健康になるために寒さに適応せよ)や「タオルとスポンジ万歳!石鹸の泡万歳!」といった標語がソビエト市民の間に広まり、世代から世代へと伝えられていた。

「健康でいたければ体を鍛えよ」

ソ連のワクチン接種促進アニメ

 ソ連アニメはこのキャンペーンと不可分の要素だった。例えば、ソ連に生まれた人の中で、アニメ『モイドディール』(現在でも極めて人気がある)を見たことがない人を見つけるのはほとんど不可能だろう。

アニメ『モイドディール』からのシーン

 アニメ自体は著名な児童向け詩人コルネイ・チュコフスキーの詩を基にしており、衛生習慣を人々に定着させることを目的としていた。

 もう一つの例が、カルト的な人気を誇るソ連アニメ『予防接種を怖がるカバ』だ。これは注射が怖すぎて病院から逃げ出すカバの物語だ。彼はすぐに病気になり、担架で病院に運び戻され、医者の前で恥ずかしさから赤面する。アニメの主旨は、子供たちに(おそらく大人にも)ワクチン接種に怖いことは何もないと伝えることだった。

アニメ『予防接種を怖がるカバ』からのシーン

ソ連の生活習慣の問題とは

 しかし、衛生面に関して言えば、すべてが完璧というわけではなかった。第一の例が、ソ連中で普及していたソーダ自動販売機だ。暑い夏の日に冷たいソーダが欲しくない人がいるだろうか。しかし、この自販機には二つ以上のコップがなかった(通常は一つだった)。西側の一般市民は衛生面の問題を指摘するだろうが、ソビエト市民はあまり気にしなかった。

 こうしたコップは容易にウイルスを媒介し、例えば1970年代後半のソ連風邪のウイルスはこれを介して容易に伝染したはずだ。しかし、ソーダ自販機と疫病蔓延の関連性に関する研究はこれまで発表されておらず、公の議論もなされていないため、データはない。

 現代人(特にコロナ時代を生きる人々)を驚かせるもう一つの物が、多くのソビエト市民の救急箱に入っていた使い回しの注射器だ。こうした注射器の消毒方法は煮沸だった。しかし、我々の知る限り、煮沸は無菌状態を保証しない。煮沸しても死なないウイルスが数多く確認されているからだ。例えばB型・C型肝炎ウイルスだ(人々の医学知識がここ数年で大いに改善したと信じている)。

 感染例に関するデータがないものの、概してソ連の疫病制御システムは伝染病の制御と根絶に極めて効果的だったと言える。しかし、未解明の問題も多く残っている。

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