古いロシアの家やアパートのインテリアを見ると、部屋にかけられた鏡の位置がちょっとおかしいことに気づくだろう。かなり高い位置に、斜めにかけられているのである。現代のわたしたちから見ると、かなり奇妙で、不便に感じられる。しかしこのようにかけたのにはもちろん理由があった。
鏡は高価で、裕福な人のもの
100年ほど前、鏡は非常に高価なもので、かなり裕福な人しか買えないものであった。革命前のロシアでは、巨大な縁のついた大きな鏡というと、ほとんどの場合、屋敷や高価なアパートでしか目にすることができなかった。またそうした場所では、鏡台や今よく見るような壁掛けの鏡もあった。
裕福な農家の鏡は、町の市で購入されたもっと簡素なものであった。より貧しい家庭では小さな鏡でもありがたいものであった。いずれにせよ、高価な鏡はとても大切に扱われ、刺繍入りの布で飾られたり、また誰かがうっかり割ってしまわないよう、家の中のより高い位置にかけられた。ではどうやって鏡を覗いたのだろうか?
鏡は斜めにかけられるようになったのである。そもそも鏡には今でも非常に多くの迷信がある(多くの民族の間で、鏡は棺の向こうの世界とを繋ぐものと考えられていた)。そして、鏡で全身を映せないのは縁起が悪いことだとされた。
そこで、鏡は自分自身の姿全体が映るようにかけられたのである。鏡が割れるというのも、不幸の兆候とされた。そこで天井のそばにかけておくのが安全だったのである。
ソ連時代になると、産業の発展に伴い、鏡はより多くの人が手に入れられるものになった。しかしそれでも多くの人々が、それまで祖父や祖母がやっていたように鏡をかけた。そのようなインテリアは、今でも、博物館や写真の中だけでなく、都会から少し離れた古い村の家でも見ることができる。
絵画も傾斜をつけて架けられた。しかしここには別の理由がある。
どこの家にも普通、鏡以外に、額縁に入った絵画や写真が飾られていたが、それも天井の下にかけられていた。その理由は、芸術作品を見るのにより良い場所だと考えられたからである。そうすると光が反射せず、埃もたまりにくい。天井が高ければ高いほど、絵画の傾斜が大きくなる。ちなみに多くの美術館でも、展示作品はそのようにかけられている。