1961年4月12日以降、ユーリー・ガガーリンは本物の英雄となり、スーパースターとなった。ソ連の誰もが彼を誇りに思い、遠くからでもガガーリンを一目でも見られたときには大興奮した。
ガガーリンはロシア郊外の貧しい一家に生まれた。身長はそれほど高くなかったが、とても謙虚で、その特有の笑顔で誰もを魅了した。同時代を生きた人々は、ガガーリンはのんびりした人だったと回想している。あれほど有名になる心の準備はできていなかったようだといい、恥ずかしがりでおとなしく、いつも、本物のソ連の国民らしく、またソ連の軍人らしく、真面目で正直な人物だった。
1965年にポーズをとるガガーリン
作者不詳/ モスクワ・マルチメディア美術館/ モスクワ写真会館パラシュート降下の準備をするガガーリン、1960年
Sputnik自動車の中でポーズをとるガガーリン、1961年
Yury Abramochkin/Sputnik朝のトレーニングをするガガーリン、1961年
Alexander Sergeev/Sputnikカメラを前に鉄アレイを持って腕を曲げるガガーリン、1963年
Igor Snegirev/Sputnikソチでの休暇にて、1961年
Yury Abramochkin/russiainphoto.ruピリヤードをするガガーリン、1961年
Alexander Sergeev/Sputnik故郷で釣りをするガガーリン、1961年
Igor Snegirev/Sputnik休日に水上スキーを楽しむガガーリン、1965年
Yury Somov/Sputnik執務室のガガーリン、1967年
Alexander Mokletsov/Sputnikガガーリンは妻のワレンチナさんと2人の娘をとても愛していた(ワレンチナさんは2020年3月に逝去)。娘のエレーナさんはモスクワ・クレムリン博物館の館長となり、ガリーナさんは経済学の教授になった。
ガガーリンと妻のワレンチナさん、生まれたばかりの娘ガリーナさん、1961年
Yury Abramochkin/Sputnik趣味だった写真、1963年
Igor Snegirev/Sputnik娘たちに本を読むガガーリン、1965年
Alexander Mokletsov/Sputnik娘のガリーナと休日を過ごすガガーリン、1966年
Alexander Mokletsov/Sputnik家族とふざけるガガーリン、1967–1968年
モスクワ・マルチメディア美術館/ モスクワ写真会館友人や同僚たちは、ガガーリンはふざけたり笑ったりするのが好きだったと回想している。ガガーリンと共に働いたエンジニアのエヴゲーニー・シルニコフさんは、職場では小噺を話すのが好きだったと話している。
「ツバメが空を飛んでいると突然ロケットがものすごいスピードでそのツバメに向かって飛んできた。ツバメは尋ねた。なぜそんなに早く飛べるんだい?するとロケットは答えた。お尻に火をつけられたら、君だってもっと早く飛べるよ!!」
クリミアで休暇を過ごすガガーリン、1961年
Sputnik宇宙飛行士のユーリー・ガガーリン、ワレンチナ・テレシコワ、アレクセイ・レオノフ、1965年
V.チェレディンツェフ/ モスクワ・マルチメディア美術館/ モスクワ写真会館新年番組に出演するガガーリン、1963年
Yakov Khalip/Sputnikユーリー・ガガーリンと写真家ユーリイ・アブラモチキン、1961年
Yury Abramochkin/russiainphoto.ruホッケーをするガガーリン、1963年
アーカイブ写真ピクニックで友人たちとポーズをとるガガーリン、1963年
アーカイブ写真衣装を着たガガーリン、1965年
TASS海王星の日のイベントでの宇宙飛行士のユーリー・ガガーリン(左)とアレクセイ・レオノフ、1965年
Valentin Cheredintsev/TASSロシア・ビヨンドのニュースレター
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