その美しさでも、豪華さでも、類を見ないダイアモンドとエメラルドとサファイアで飾られたロマノフ家の冠は、ヨーロッパの君主らにもよく知られていた。すべてはその一風変わった形にあった。というのも、ティアラのほとんどがロシアの古い頭飾り「ココーシニク」に似た作りになっていたのである。「ロシア風の衣装」の流行りを持ち込んだのはエカテリーナ2世であるが、これが19世紀半ばのニコライ1世の時代には欠かせない伝統となった。公式な会見では女性は必ず、国民色豊かな冠―外国で言うところの「ロシア風ティアラ」を被るようになった。
ロマノフ一家の宝飾品
Public Domainしかもこのティアラはさまざまな使い方ができるよう、いくつかの部分から成っていた。そこで、冠のように使ったのはもちろん、ネックレスにしたり、ペンダントトップとして使うこともできたのである。皇帝一家が持って逃げることができなかった宝飾品のほとんどが消えてしまったのは、他でもないこの特徴ゆえであった。ボリシェヴィキは冠をいくつかに分けて、オークションで売ったのである。
宝飾品から宝石を抜く作業、1923年
Public Domainこのティアラは1870年代に、アレクサンドル3世の弟、ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公が婚約者のマリヤ・パヴロヴナのために作らせたものである。ティアラは15のダイアモンドの指輪でできていて、そのそれぞれの指輪の中央にパールのペンダントトップが付けられていた。
ウラジーミルのティアラをつけているマリヤ・パヴロヴナ
Public Domain大公妃は1917年の革命後、国外に逃亡し、自身の宝飾品を持ち出すことができた数少ないロマノフ家の一員である。秘宝の一部はスウェーデンの外交機関を通して、2つの枕カバーに詰めて預けられ、また別の一部は英国の外交機関の助けを得て、国外に輸送された。マリヤ・パヴロヴナが1920年になくなるまで所有しつづけたウラジーミルのティアラは、その中にあった。その後、マリヤ・パヴロヴナはこのティアラを、ギリシャとデンマークの皇子ニコライに嫁いだ娘のエレーナに贈ると遺言した。しかしマリヤはわずか1年後、自身の経済状況を立て直すため、英国の女王メアリー・オヴ・テックに売ることになる。
メアリー・オヴ・テック
Public Domain英国で、ティアラにはパールをつけることができるエメラルドのペンダントトップが作られた。現在、このティアラはエリザベス2世が付けているが、パールをつけたり、エメラルドをつけたり、また宝石をつけずにつけていることもある。
ウラジーミルのティアラをつけるエリザベス2世
Public Domainルーマニアのマリア女王(左)とマリヤ・パヴロヴナ(右)
Public Domainいくつものダイアモンドと大きなサファイアのついたココーシニク形のティアラは1825年に作られたもので、ニコライ1世の妻であるアレクサンドラ・フョードロヴナのものであった。このティアラは、ペンダントトップのついたブローチとセットになっていた。ティアラはマリヤ・パヴロヴナに遺産として譲られたが、彼女はこれを1909年にカルティエでより現代風に作り変えさせた。マリヤ・パヴロヴナはこのティアラも、革命後、ロシア国外に持ち出すことに成功し、子供たちはこれを売ることができた。
ルーマニアのマリア女王(左)とルーマニア王女イレアナ(右)
所蔵写真ティアラは、ロマノフ家の遠縁にあたるルーマニアのマリア女王のものになったが、ブローチはすでにセットではなくなっていた。マリア女王はこのティアラを手放すことはなく、娘のイレアナが結婚した際に贈っている。しかし、第二次世界大戦後、ルーマニアでは革命が勃発し、女王一家は国から追放された。イレアナは米国に逃亡する際にこのティアラを持ち出したが、1950年に米国で一般人にこれを売った。その後、ティアラがどうなったかは分かっていない。
バラのダイアモンドの冠
ダイアモンド庫;ニューヨーク公共図書館パヴェル1世の妻、マリヤ・フョードロヴナ皇后の冠は、19世紀初頭に大きなダイアモンドのついたココーシニク形に作られた。175個のインドのダイアモンドと丸くカットされた1200個以上の小さなダイアモンドが使われたこの冠には、中央に揺れるような雫の形をした大きなダイアモンドが一列に並んでいた。このティアラは婚礼用の冠と並んで、皇帝一家の花嫁たちが伝統的にまとう婚礼衣装の一部となった。
これは博物館の展示品としてロシアに残されたロマノフ王朝の唯一のオリジナルのティアラで、クレムリンのダイアモンド庫で目にすることができる。このティアラには、芸術学者らが非常に価値あるものと見なしたバラのダイアモンドがつけられていたことから、売られずに済んだものである。
オリジナル「穂」ティアラの写真
Public Domainこのティアラもマリヤ・フョードロヴナのものであった。ダイアモンドで飾られた黄金の麻の「穂」でできていて、中央には、太陽を象徴するカラーレスサファイアがつけられた。このティアラの写真は数少ないが、その1枚は1927年に、ボリシェヴィキたちがロマノフ家の宝飾品を安く出品したクリスティーズ・オークションのために特別に撮影された。このオークションで落札された後のこのティアラの運命は不明となっている。
ダイアモンド庫に所蔵されている「ロシアの草原」ティアラ
Yuri Somov/Sputnik1980年、ソ連の宝石職人がこのティアラのコピーを作り、「ロシアの草原」と名付けた。この作品もダイアモンド庫に所蔵されている。
パールの冠(左)と冠をつけているマルボロ公爵夫人(右)
Public Domain1841年に、パールのペンダントトップがついた宝飾品を妻のアレクサンドラ・フョードロヴナのためにオーダーしたのは、ニコライ1世であった。1927年のオークションの後、この冠の所有者は、Holmes& Co.、英国の第9代マルボロ公爵、フィリピンのファーストレディ、イメルダ・マルコスと何度も変わった。おそらく現在この冠はフィリピン政府が所有していると見られる。
「ロシアの美女」冠
Sergey Pyatakov/Sputnikダイアモンド庫には、1987年にこの冠をコピーして作られた「ロシアの美女」が展示されている。
大きなダイアモンドの冠とアレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)
Public Domain当時人気があった「lover’s knot(愛の印として使われる結び目)」のオーナメントが使われたこの大きな冠は1830年代の初頭に、アレクサンドラ・フョードロヴナのために作られた。このティアラには113個のパール、大きさのことなる数十個のダイアモンドで飾られている。最後の皇后であるアレクサンドラ・フョードロヴナは、写真家カルル・ブーラが議会の開会で撮影した写真で、他でもないこのティアラをかぶっている。
ボリシェヴィキたちは冠が特に芸術的な価値はないと考え、オークションで販売した。その後、誰が所有者になったのかについての情報はないことから、部分的に分けて売られたものとされている。
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