ロマノフ家の婚礼衣装(写真特集)

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 ロシア最後の皇后は1世紀にわたって守られてきたロマノフ家の伝統を破ったが、同時代人たちはその衣装に悲劇の前兆だと感じていた。

 皇帝一家の子女たちには、幼少の頃から、ロシアの外国の大公や皇太子の中から「結婚相手」が選ばれ、その婚礼は国家的な一大行事であった。式典は細かい点まですべて正確に決められていたが、中でも花嫁のイメージというのはこの日のもっとも重要なものであった。

大公妃マリア・パヴロヴナとヴィルヘルム (セーデルマンランド公)、結婚写真

 中でも、皇帝の継承権を持つ皇族の花嫁に対する決まりはとくに厳しいものであった。儀式は、わずかな間違いも不吉な前兆とされたのはもちろん、婚礼衣装は文字通り、“重い”試練であった。

皇后マリヤ・フョードロヴナ、1883年。

 婚礼衣装の「ドレスコード」は1834年にニコライ1世が規定したもので、その決まりは儀式に列席する参加者にも及んでいた。ウェディングドレスは形は同じものでなければならなかったが、スタイル、刺繍、装飾などは本人の好みに合わせて変えてもよいとされていた。

婚礼衣装を着た大公妃エリザヴェータ・マヴリキエヴナ 。戴冠式で、花嫁は婚礼用の王冠をつけ、その上にダイアモンドの頭飾りをつけた。

 婚礼衣装は銀糸で縫われ、宝石や立体的な刺繍で飾られ、長い引裾とオコジョの毛皮のマントが付いていた。その衣装一式を女官たちの助けなしに一人で着るのはまったく不可能なことであった。

公妃タチアナ・コンスタンチノヴナとコンスタンチン・バグラティオニ=ムフランスキーんの結婚写真

 教会で行われる戴冠式で、花嫁は婚礼用の王冠をつけ、その上にダイアモンドの頭飾りをつけた。そして儀礼用のイヤリングと指輪も身につけた。

 モスクワにあるダイアモンド庫には、現在ロシアで唯一残っているロマノフ家の婚礼用の頭飾りが保管されている。これをつけて、パヴェル1世の妻マリア・フョードロヴナやその他の皇帝の子女らが婚礼を行なった。

大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナとセルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の結婚写真、1884年

 この頭飾りは、上部が半円形になったココーシニクの形をしていて、中央に大きなピンクダイアモンドがあしらわれている。頭飾りには大きなインドのダイアモンド175個と、丸い面にカットされた1200個以上の小さなダイアモンドが飾られていた。また中央の列にはしずくのような形をした大きなダイアモンドが揺れるようにつけられていた。

頭飾り、1810年代

 花嫁の装飾は家庭のものを使うか、あるいは特別に注文された。アレクサンドル2世の孫娘でニコライ2世の従姉妹のエレーナ・ウラジーミロヴナ大公女は、ギリシャのニコラオス王子との結婚式で、カルティエのダイアモンドのココーシニクとリボンの形をしたダイアモンドのコサージュをつけた。

大公妃エレナ・ウラジーミロヴナとギリシャ王子およびデンマーク王子ニコラオス・ティス・エラザスの結婚写真

 婚礼衣装の重さはすべて合わせると25キロから30キロにもなった。それは、身につけて1日立っているだけでも簡単なことではないほどの重さだったが、花嫁たちはこれを着て動かなければならなかったのである。ときにすっかり疲れて力を失った花嫁が、誰かに抱えられて移動することもあったという。  

アレクサンドラ・フョードロヴナの花嫁衣装

 伝統的に、ロマノフ家の花嫁衣装はすべて教会に寄付された。すべての皇族がその伝統に従ったが、たった1人だけ例外がいた。最後の皇帝ニコライ2世の妻アレクサンドラ・フョードロヴナである。彼女はその婚礼衣装を手元に置いておくことにした。そこでその衣装は今も残されているのである(エルミタージュ美術館の展覧会で見ることができる)。しかし、多くの側近たちはこれを良いこととはせず、長年の伝統を否定することによって家族に不幸がもたらされると考えていた。

ニコライ2世とアレクサンドラ・フョードロヴナの結婚式

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