家族そろって遊園地に出かけるというのは、子どもにとってはいつでも格別嬉しいものであった。回転ブランコやメリーゴーラウンドやゴーカートに乗り、巨大な綿菓子を食べ、自動販売機の炭酸水を飲むより楽しいことがあるだろうか?ソ連時代、そのような遊園地は各都市にあり、その料金もかなり手頃なものであった。
1. 最初の遊園地がモスクワに作られたのは1928年。それはゴーリキー名称文化と休暇の公園であった。一番人気のあったアトラクションは観覧車で、それは“悪魔の輪”という異名を持っていた。観覧車の内部では、立ち上がることは禁じられ、安全装置はチェーンだけであった。最初の観覧車はそれほど大きくなく、14メートルしかなかった。しかし1957年、第6回世界青年学生祭典の開催に合わせて、遊園地には、ソ連でもっとも高いアトラクションの一つとなる、高さ45メートルもの大きな観覧車が設置された。どちらの観覧車も2009年に解体された。
ゴーリキー公園の観覧車、1930年代
Viktor Akhlomov, Emmanuil Yevzerihin/MAMM/MDF/russiainphoto.ru2. ゴーリキー公園にあった戦前からあるちょっと変わったアトラクションの一つが、スパイラル状の坂の形をしたパラシュートタワーである。坂もアトラクションの一つになっており、特殊な絨毯のようなものに乗って、上から滑り降りるというものだった。一番上まで登れば、40メートルの高さからパラシュートに乗って飛ぶことができた。パラシュートはワイヤーロープで繋がれていた。戦時中、この人気のアトラクションは防空のための監視ポイントにもなったが、1950年代に撤去された。
パラシュートタワー
MAMM/MDF/russiainphoto.ru3. 戦前のアトラクションは個々の工房で作られ、そのほとんどが木製であった(ソ連では金属が節約された)ため、ほぼ残っていない。一方、1950年代に入ってからは、エイスク(南ロシア)の工場で金属製のアトラクションが大々的に作られるようになった。
レーニングラード、1950年代
Anatoly Garanin/Sputnik4. アトラクションの種類はそれほど多くはなかったが、そのおかげでアトラクションを大量に製造することができ、またソ連の各都市に遊園地を作ることができた。しかもチケットも非常に安価であった。アトラクションの料金はわずか5コペイカから10コペイカ。これはコップのような形のコーンに入ったアイスクリーム1つと同じくらいの値段であった。
ヤルタの遊園地、1981年
Shcherbakov/Sputnik5. ソ連では常にパイロット、極地探検家、宇宙飛行士の偉業が賛美されたが、それは大衆文化を通じてもそうであった。そんなわけで、遊園地にロケットや飛行機の形をした回転ブランコがあったのも驚くべきことではない。
6. 中でも一番人気があったのは船の形をした回転ブランコだろう。側から見れば、乗っている人が自分で動かしているように見えるのだが、実際には電動で、動きを遅めたり、早めたりすることができた。こうしたアトラクションの中でもっとも恐ろしかったのは、アトラクションが軸の周りを1周しているような感覚になることだった。しかしすべては制御されていた。
サラトフ、1962年
Yuri Somov/Sputnik7. ゴーカートは、大人にも子どもにも大人気だった。自動車は最大で時速10キロまで出すことができ、スピードをあげて走ったり、ほかの車に激突することもあった。ここでは規則はなく、何が起きても罰金もなかった。
ソチの遊園地、1973年
A.Nudler/Sputnik8. これは未来の宇宙飛行士をテストすることができるものだった。「遠心分離機」と名付けられたこのアトラクションは、傾斜のある台が回転するというもので、刺激的な乗り物が好きな人々がこの壁に沿って並んで立った。しかし、これは食事をした後には避けた方がいい乗り物であることは間違いなかった。
ヴェー・デー・エヌ・ハーの「遠心分離機」、1974年
Leon Dubilt/Sputnik9. 1970年代、ソ連では定期的にアトラクションの国際展示会が開かれていた。日本はコーヒーカップが回転するメリーゴーラウンドを、西ドイツはジェットコースター(ロシアンコースターと呼ばれた)を展示し、チェコスロヴァキアは「鏡の部屋」など変わったアトラクションやゲーム機が設置された遊園地のデモンストレーションを行った。もちろんこの展示会には外国のアトラクションに乗ってみたいという溢れんばかりの人々が押し寄せた。
ゴーリキー公園のジェットコースター、1984年
Igor Stomakin/Igor Stomakhin Archive/russiainphoto.ru10. 多くのアトラクションはソ連邦が崩壊した後も営業を続けていた。しかし、現在はもっと新しくて、ハイテクな娯楽がこれらに取って代わった。古いソ連のアトラクションは歴史のゴミ箱に打ち捨てられたのである。
ソチ、1976年
Boris Ushmaikin/Sputnikロシア・ビヨンドのニュースレター
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