ロシアの指導者が吐いたコワモテの科白:ニコライ1世からゴルビーまで

Valentin Sobolev/TASS, Russia Beyond
 ロマノフ王朝のツァーリからソ連時代のスターリン、ゴルバチョフにいたるまで、この巨大な国を統治する人間はたいていタフだ。そして、それをあからさまに示すことを恐れないようだ。

ニコライ1世(在位1825~1855):ロシアの領土獲得をめぐり

『ニコライ1世』、フランツ・クリューガー

「ロシア国旗をいったん掲げた場所では、決して降ろしてはならない」

 ニコライ1世がこのセリフを吐いたのは1850年のこと。このとき、ロシアが僻遠のサハリン島を維持すべきか否かについて論争があった。サハリン島には、探検家ゲンナジー・ネヴェリスコイは軍事拠点を築いていた。

 これは、中国、日本との間で深刻な領土紛争を引き起こしかねないため、政府関係者の一部は、こうした行為は危険だと考えた。しかし、ニコライ1世は、ロシアは自国の領土をみなした土地を決して放棄しないとの考えを明確に示した。

アレクサンドル2世(在位1855~1881):ロシアの統治について

アレクサンドル2世の肖像

「ロシアを支配するのは難しくないが、まったくの徒労だ」

 アレクサンドル2世はかつてこう言った。つまり、ロシアはあまりに巨大で混沌としているため、すべてを管理するのは無意味であり、支配者の意志が向けられる対象はいつでも、その権力の在り方に関係なく動く、ということだ。

 言うまでもなく、アレクサンドル2世は、19世紀ロシアの最も抜本的な改革の一つを実行し、農奴制を廃止している(これはとても大成功とは言えなかった。その理由はこちら

アレクサンドル3世(在位1881~1894):ヨーロッパと憲法について

アレクサンドル3世の写真

「ロシアのツァーリが釣りをしている間はヨーロッパを待たせておけ!」

 アレクサンドル3世はこう言い放った。事の次第はこうだ。1891年以来ロシア帝国の同盟国であったフランスの利益をめぐり、ヨーロッパで外交上の争いが生じた。ロシア外相ニコライ・ギールスは、皇帝に電信を送り、おそれながらと願い出た。休日を切り上げて急遽サンクトペテルブルクに戻り、自ら交渉に参加し、欧州の戦争を回避してほしいと。

 アレクサンドルは、お気に入りの趣味から気を散らされて苛立ち、臣下に厳しい返事を出した。それはすぐさま、ロシアの皇帝が口にした最も有名な(そしてコワモテの)セリフの一つとなった。

 このツァーリは、外国人とロシア人のいずれも皇帝の地位を敬うべきだと確信していた。1881年、アレクサンドルは、暗殺された父から帝位を継承した直後に、国民に憲法を与えようとの声に言及して、こう述べた。「ロシアの皇帝に何かのクズへの忠誠を誓わせたいのかね?」

ニコライ2世(在位1894~1917年):自分の地位について

ニコライ2世

「ロシアの地の支配者」――ニコライ2世は、1897年の国勢調査に際し、「職務」の欄にこう記入した。シンプルでエレガントだ。

 もちろん、この「職務」は、それから20年後、1917年の2月革命で退位したときに一変し、ボリシェヴィキによる権力奪取を経て、彼は生命さえ失うことになる…。

ウラジーミル・レーニン:「死体嗜好症」について

ウラジーミル・レーニン、1918年

「あらゆる種類の神は、理想化された『死体嗜好症』のようなものだ」

 ソ連の建国者、ウラジーミル・レーニンは、作家マクシム・ゴーリキーへの手紙のなかでこう書いている。

 筋金入りの無神論者、反資本主義者、反君主主義者であるレーニンは、あらゆる種類の宗教を憎み、「師匠」のカール・マルクスと同じく、宗教は「民衆のアヘン」だと考えた。

 レーニン率いるボリシェヴィキがロシアで権力を掌握すると、彼らは宗教に対する「十字軍」を開始し、教会を焼き払い、司祭を投獄した。

 皮肉なことに、レーニンの死後、彼の遺体は霊廟に安置され、無神論の国におけるある種の聖人のごときものとなった。

ヨシフ・スターリン:楽しみ、戦争、ローマ教皇について

ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリン

「同志諸君、生活はより良いものになった。そして、より楽しいものになった」

 スターリンは1935年にこう述べ、スタハノフ運動(政府主導の生産性向上キャンペーン)の拡大と生活水準の全般的向上について言及した。

 しかし、今日ではこのフレーズは陰惨に響く。スターリンがこれを口にしたのは、1936~1938年の「大粛清」のわずか2年前のことだ。大粛清では、約700万人が逮捕され、数十万人が殺された。控えめに言えば、「楽しい」ことなどほとんどなかった。

 1941~1945年の大祖国戦争(独ソ戦)に際しては、スターリンは、戦時中の国民感情を言い表しているが、この時期の最も有名な言葉は、「一歩たりとも退却しない!これが現下の主要なスローガンだ」。「東方生存圏の獲得」 と 「スラブ民族の奴隷化」 を明言するナチスとの戦いから逃れることは、実際、選択肢にならなかった!

 あるとき、イギリスのウィンストン・チャーチル首相と話していたときのこと、英首相は、カトリック教徒の多いポーランド(当時、そこで赤軍が戦っていた)への教皇のモラリスティックな影響に触れた。すると、スターリンは、彼の通訳の回想によれば、「教皇は師団をいくつ指揮しましたかな?」と皮肉に聞いたという。

ニキータ・フルシチョフ:西側を「葬る」ことと外交について

演説を唱えているニキータ・フルシチョフ

「我々はあんたらを葬ってやる!」

 これはたぶん、フルシチョフが吐いた最も不吉な警告の一つだろう。このソ連の指導者は、1956年に西側諸国の大使と話しているときにこれを口にし、瞬く間に西側に拡散された。

 しかし実際のところ、この言葉の意味はそれほど暗~いものではなかった。フルシチョフは、戦争で西側を破壊すると言ったわけではなく、共産主義のシステムが世界に広まっていると述べたのだった。その拡大の結果、資本主義システムが「葬られる」(しかし、資本主義は、案に相違してうまくいったが)。ところが、マスコミが文脈から切り離して伝えたので、ほとんどすべての人に衝撃を与えた次第だ。

 概して、庶民出身のフルシチョフはあまり外交的な人物ではなく、本音をしゃべるのが好きだった。

ミハイル・ゴルバチョフ:「クズども」について

 ゴルバチョフはフルシチョフよりもはるかに外交的だったが、時にかなり苛立ちを見せることもあった。ソ連崩壊の数か月前、1991年8月にクーデターの企てに直面したとき彼は、クリミアの別荘で、本来、共産党指導部の同僚であった、「国家非常事態委員会」のメンバー(ワレリー・ボルジン大統領府長官ら代表団)を迎える羽目になった。

 ゴルバチョフは激怒し、彼らにこう言った。「クズどもが。軽はずみにもほどがある!」

 後にゴルバチョフは、本気であんなことを言ったのかと尋ねられたとき、こう答えた。「あれでも控えめに言ったんだよ」。

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