なぜソビエトの核シェルターは世界で最も安全だったのか

Dmitry Solodyankin
 ソビエト連邦は何千もの核シェルターを建設・設置するのに莫大な費用をかけた。核シェルターには十分な食糧、水、清浄な空気が備蓄されており、敵の上陸部隊との戦闘に備えて小火器まで置かれていた。

 1.冷戦の間、米ソ両国の人々は、いつの日か敵国の核爆弾が頭上に降り注ぎ、家々や街々を破壊し尽くすことを確信していた。両国で核シェルターの数が増え続けたのは理解できることだ。

 2.米国の核シェルターの多くが核戦争を熱狂的に信じる個人によって自宅の庭に設置されたのに対し、ソ連のものは個人の所有物ではなかった。ソ連の核シェルターは、すべて国家によって設計、建設、設置された。

 3.核シェルターの大半は、最重要の大工場、大プラント、行政機関の建物の地下に作られた。

 4.ソ連の各都市にいくつの核シェルターがあったか、断定することは難しい。統計では、人口20万人の中規模都市には70~100の核シェルターがあった。モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルグ)にはその10倍の数があったとされる。加えて、二大都市の地下鉄駅は完璧な核シェルターと考えられていた。

 5.それぞれの核シェルターが100~1000人近くを収容できた。ただし快適でゆとりある空間とは言えなかった。もし核戦争が勃発すれば、人々はとても窮屈な空間に押し込まれることになっただろう。一つのベッドを数人で共有せねばならなかったはずだ。

 6.しかし、ソビエトの質素な核シェルターでさえ、当時最新の冷却システム、化学兵器や生物兵器、放射性塵、煙から人々を守るフィルターを備えていた。国家は、この高価な設備に惜しみなく金を使った。

 7.食糧と水の備蓄とフィルターの正常な機能は、3日間持つよう計算されていた。この期間をやり過ごせば、核爆発後の最初の悪影響は回避でき、人々は核シェルターを出て危険区域から退避することができた。

 8.核シェルターには、清浄な水の入った貯水槽と、ディーゼル発電機も備えられていた。発電機が2つある場合もあった。最先端の核シェルターには冷蔵庫もあった。

 9.敵の上陸部隊との戦闘を想定し、小火器が置かれている核シェルターもあった。だがこれは例外的だった。

 10.冷戦後、核シェルターの大半は倉庫に作り変えられたが、そのまま保存されているものも多く、今日でも防空壕としての機能を失っていない。 

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