ザクセン州、ドレスデン。シュタージの建物の前に停めてある自動車。プーチン大統領のシュタージIDカードはこの機関で発見された。
Sebastian Kahnert撮影/dpa/Global Look Pressシュタージは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察「国家保安省」(Staatssicherheitsdienst)の略語だ。
シュタージは、旧東独の秘密警察で、広範囲におよぶ情報提供者のネットワークと、国民の徹底した監視で知られた。
シュタージは、ソ連の秘密警察「KGB」をモデルとし、その活動を模倣したが、それ自体の内部構造を持つ独立した組織だった。
ソ連と東ドイツの武官や保全係将校がドレズデンにあるシュタージの支局にて。ウラジーミル・プチンは1985から1990までこの都市に住み、KGB将校として働いていた。
Robert Michael撮影/AFPいいえ。ウラジーミル・プーチンの写真とそのサインらしきものがある、このIDカードは、確かにシュタージによって発行されたものだが、これは同氏がその組織に属していることを意味するものではない。
シュタージの存続していた時期に東独に駐在していたKGBの連絡担当将校はすべて、自動的にシュタージのIDカードを受け取り、その本部、情報提供者、情報へのアクセスを許可された。
1985年から1990年初めまで、プーチン氏は、東独のドレスデンにKGB将校として駐在した。IDカードは、ドレスデンにおけるKGB将校としてのプーチン氏の任務が、「元締め」のKGBとシュタージの間の連絡やコーディネートを含んでいた可能性を示唆している。
1980年、ロシア。KGBの制服を着た若いプーチン。
ZUMA Press撮影/Global Look Press33歳のKGB将校の顔写真は、ちょっと奇異な印象を与える。プーチン氏は故意にカメラからそっぽを向き、頭を少し傾げて、顔の正面と側面を同時に見せている。
ちなみに、1990年以前にKGBによって発行されたIDカードの写真から、この技法が頻繁に使用されていたことが分かる。この角度は、人物の外観をふつうの顔写真よりもう少し上手く見せる。1枚の写真で、顔の正面と側面の両方を示せるからだ。そして、これは当時の東ドイツと西ドイツでは写真の標準的な撮り方だった。プーチン氏がそっぽを向いたのは、カメラマンの指示に従っただけのことだろう。
Bezirksverwaltungは、この場合、カードを発行するシュタージの部局があった地区を意味する。プーチン大統領の場合、それはドレスデンで、同市でKGB将校として駐在した。
これは確認のスタンプで、カードが期限切れではないことを保証し、セキュリティ侵害を防ぐために必要だった。カードは、四半期ごとに1回確認された。
目立つのは、1986年最後の四半期の確認スタンプ(証印)が押してないことだ。これはもしかすると、シュタージのある部局のミスだったかもしれないし、あるいは、プーチン氏がこの期間にシュタージの人間や情報へのアクセスを必要としなかったからかもしれない。スタンプが欠落している正確な理由は不明。
ドミトリー・ペスコフ大統領報道官。
Dmitry Golubovich撮影/Global Look Pressプーチン大統領は、このIDカードの発見についてはコメントしていない。ドミトリー・ペスコフ大統領報道官は、 KGBとシュタージは協力関係にあったから、このような身分証が発行されたり交換されたりしていた可能性もあるだろう」と推測している。
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