なぜソ連時代の人々は「走る棺桶」を運転していたのか?

サモクワソフ撮影/Sputnik
 ソ連時代の自動車オカに乗っていた人々は、運転しながら、Life & Deathゲームをしていたようなものだ。小型で衝撃に弱いので、衝突でもしたならブリキ缶のようにつぶれてしまったからだ。

 1988年に発表されたオカVAZ-1111型は、崩壊しつつあるソ連で最後に設計された自動車の一つである。

乗用車VAZ-1111(オカ)

 オカはもともとは障害のある人向けに使われた。しかしそれ以外の人々にも広く利用されるようになった。

1986年。VDNKh で「オカ」を見学している訪問客。パヴィリオン「国民消費の商品と国民サービス」にて。

 ロシアで最も小型の自動車のひとつである、VAZ1111はアジアやヨーロッパのモデルを参考にしたもので、日本の小型自動車の中でも軽自動車に分類されるダイハツ・クオーレに似ている。

大祖国戦争の負傷者用の3750台の「オカ」が生産されているカマーズ社にて。

 一方、オカはイタリアのフィアット126pマルチからも多くを取り入れている。

ヴォルガ自動車工場VAZ(現在のアフトヴァース社)「オカ」のテスト。

 小型で衝撃に弱いというので、オカはロシアでは最も危険な自動車の一つとされている。

「小型自動車工場」株式会社の自動車。1998年。

 衝突事故を起こすと、この自動車はしばしばブリキ缶のようにくしゃくしゃにつぶれてしまうと言われている。その場合、運転者や同乗者の命が助かる見込みは低かった。

オーバルトラック。

 そこでオカは「走る棺桶」と呼ばれた。

セルプホフ市のソボルナヤ・ゴルカを走る「オカ」。

 しかしながら、VAZ1111には良い面もあった。まず一番の長所は価格が安いことであった。1990年代、ロシアにおける危機の時代に、それはとても重要なことであった。

「オカ」と救急車の衝突。

 小型であることから、ガソリンの消費も少なく、オカの所有者は大幅にお金を節約できた。

国際展覧会「特殊車両-2001」。「オカ」が初めて内務省で利用されるように勧められている。

 2008年、VAZ-1111の組み立てが始まってから20年が過ぎ、この自動車の生産はついに終了した。

クラースナヤ・プレスニャのモスクワ・エキスポセンター、第3回国際自動車サーロン(オートサーロン97)で展示されているオカ。

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