ソ連時代の若者たちがいかに楽しんでいたかが分かる写真13選

Vsevolod Tarasevich/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
 学生時代というのは洋の東西を問わず、友達と遊んだり、ダンスをしたり、楽しい時間であるものだ。たとえ店に商品がなくても、ステキな服が着れなくても、ソ連の若者だって同じように楽しんだ。

1.Mens sana in corpore sano –「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とはソ連市民の生活を治めるために使われた原理の一つである。スキー、ハイキング、サッカー、若者は家に閉じこもることはなく、活発にスポーツに勤しんだ。

コルホーズとコムソモールのメンバー、イラ・グリシナ。

2.トラクターを運転できることはとてもセクシーだった。

トラクターの運転士たちはソ連で非常に尊重されていた。ソ連、1967年。

3.学校を卒業式は、幼年時代の終わりを意味するものとして赤の広場で祝われた。朝方までモスクワ川の河畔を歩いたものだ。

赤の広場でのモスクワの学校の卒業者たち。1962年。

4.モスクワ大学の寮は非常にカッコよかった。料理をしたり、試験勉強したり、遊んだり。ルームメートとはいつも一緒だった。

モスクワ国立大学の学生寮にて。1963–1964年。

5.国家的エリートである宇宙飛行士、ご覧のようにその多くは女性だった。ガガーリンが最初に宇宙旅行を成し遂げたとき、ソ連の子どもたちのほとんどが自分の人生の目標は「宇宙飛行士」になることだと言った。

ピオネールの日。若い宇宙飛行士。1965年。

6.軍人は名誉な職業であり、すべての若い男は最低2年間の兵役があった。(母国に恩を返す)。女の子は兵役を拒否した男とのデートは断ったこともあった。

兵卒のニコライ・モルチャノフ。1956年。「故郷への帰り」シリーズより。

7.ダンスはどんなお祝いでも欠かせない。ソ連のスローガンでは、国際交流はもっとも重要な要素であった。これは紛れもなく、国際交流のパーティーである。

友好の晩。ダンス。1963–1964年。

8.メーデーはもっとも待ち遠しい祝日の一つであった。この写真では、軍隊を支援するボランティア団体の女性たちがモスクワ中心部でのパレードに参加している。

DOSAAF(軍隊、航空、海軍に協力するボランティア社会)のスポーツ選手。メーデーのデモンストレーションにて。1952年5月1日。

9.コムソモール(全連邦レーニン共産主義青年同盟)のメンバーであることはとても重要であった。 ソ連の若者にとって、入団式はとても大事な日であった。

コムソモールへの入団式。1963–1969年。

10.ソ連の若者にとって、ハイキングは人気のある趣味であった。クリミアやカフカスでの登山は唄にもなっている。若者たちはギターを奏で、そして恋に落ちた。

観光客。1964年。縫製工場「コムソモールの40周年」。

11.夏には建築作業のボランティアをした。成長したあと、この活動はもっとも懐かしい思い出としてよく語られる。

芝生に座っているモスクワ国立大学の学生の建設組。1967年。「ソロヴェツキー諸島での学生の建設組」シリーズより。

12.ソ連市民にとって、金属や紙の廃棄物を集めてリサイクルすることは誇りであった。リサイクルという最近の「流行」が出てくる前から、彼らは地球環境についてよく考えていた。

廃棄物の回収。1950年。

13.スケートはディスコと同じように、デートに誘う良い理由であった。これはソ連の人気映画「ポクロフスキーの門」でも取り上げられている。

スケートリンクにて。1950年代。

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