クルスク大戦車戦:ヒトラーが第二次世界大戦に勝つ最後の希望をいかに失ったか(写真特集)

歴史
アレクセイ・ティモフェイチェフ
 クルスクの戦いにおいて、ナチス・ドイツは戦略的主導権を失った。クルスクで敗北した後、ドイツ軍は受け身に回り、退却を続け、1945年に破局を迎えた。

1. クルスクの戦い(194375日〜823日)は、人類史上最も凄惨を極めた戦闘の一つだった。モスクワ南方452キロの地点で行われた戦いに、両軍合わせて約200万人、戦車6千両、航空機4千機が参加した。ソ連側の死傷者数は約25万人、ドイツは約50万人の軍隊を失った。

2. スターリングラードの戦いで惨敗を喫した後、ヒトラーは戦略的主導権を取り戻そうと躍起になっていた。立案された1943年夏の作戦計画は次のようなものだった。当時、クルスクを中心にソ連側の戦線が飛び出していたため、そこを南北から同時に攻撃し、ソ連軍を包囲する――。このドイツ軍の正式作戦名は「ツィタデレ(城塞)作戦」だ。

3. 一方、ソ連軍指導部もまた、スターリングラードの勝利の余勢をかって、夏の攻勢を計画していた。しかし、ドイツ軍の「ツィタデレ作戦」を速やかに察知して研究した結果、ソ連軍は自身の作戦を切り替えた。すなわち、自らの攻勢は延期し、ドイツ軍の攻撃をまず撃退することに決めた。

4. ドイツ軍の攻撃に備えて、ソ連軍は守りを固める。重厚な防衛陣地帯を8つ構築して、ここに大兵力を配置した。ここをドイツ軍が突破することはまず不可能になった。

5.  75日、ドイツ軍は攻撃を開始する。彼らは南部では、多少前進できたが、北部では、彼らの攻撃はソ連軍の強固な防衛陣地で足止めされた。それとともにソ連軍は主な目標を達成した。つまり、南北のドイツ軍が連携して包囲される事態を防いだ。

6. 名高いプロホロフカ戦車戦712日)には、両軍からそれぞれ約1000両の戦車が投入された。これは、南からのドイツ軍の攻勢の一部をなしていた。戦闘は膠着状態で終わった。ドイツの攻撃は食い止められたが、ソ連軍は敵を包囲、殲滅することはできなかった。

7. プロホロフカ戦車戦にドイツ軍は、新型のティーガーI重戦車、パンター中戦車を投入。ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車との戦いに勝利できると期待していた。しかし、期待は裏切られた。新型戦車は戦闘の決め手にはならなかった。

8. プロホロフカ戦車戦のすぐ後に、ソ連軍は、南北から攻勢をかける作戦を始めた。作戦は南北いずれでも成功。19438月末までに、赤軍は2千キロ近い前線を前進させた。クルスクの戦いの結果、ドイツ軍は戦略的主導権を失い、もはや攻勢に出る余力はなくなった。こうしてドイツ軍の後退が始まり、それは完全な敗北と無条件降伏で終わることになる。