1)モスクワ川の対岸から見たクレムリン、1866年
この写真は、アレクサンドル3世の妻、ニコライ2世の母であるマリア・フョードロヴナ(デンマーク王クリスチャン9世の次女)に贈られたアルバムより。
クレムリンの建物、とくにロシア正教の教会は、ソビエト政権により甚大な被害を被ったが、この区域は当時からほとんど変わっていない。
2)ヴォスクレセンスカヤ広場とイヴィロン小聖堂、1900年代
この場所は今では革命広場と呼ばれる。赤い建物は国立歴史博物館。
これはモスクワのマイルマーカーのゼロ地点だ。幸運を願い、コインを投げてみよう。1995年に、第二次世界大戦の英雄、ゲオルギー・ジューコフ元帥の騎馬像がここに建てられた。
3)スモレンスキー市場、1906年
これは、自然発生的にできたマーケットで、アルバート通りとスモレンスキー地区の交差する場所にある。スモレンスク市に通じる街道の分岐点だ。
今では、スターリン時代の超高層ビル(外務省)がそびえ、環状線の広い道路が通っている。商業はまだここで行われており、近くに多くのオフィスがある。
4)クリムスキー橋、ネスクーチヌイ庭園、ザチャチエフスキー修道院、1886年
こちらの写真は50年前に撮られた。今日人気のゴーリキー公園は、モスクワ川の森林が広がっていた地区に造られた。クリムスキー橋がまだないことに注意されたい。
ザチャチエフスキー修道院は今、オフィスビルと住宅ビルの間にある。対岸にはトレチャコフ美術館新館がある。
5)ロマノフ家の館
ワルワルカ通りのこの中世の家では、ロマノフ朝の初代ツァーリ、ミハイルが1596年に生まれている。
今日、この「宮殿」は依然として、中世の教会と16世紀初めに建てられた旧英国館(大使館も兼ねていた)に囲まれて現存する。この通りと博物館は、新しいザリャディエ公園に隣接している。
6)ルビャンカ広場、1890年代
キタイ・ゴロド地区の中世の城門は、もちろん、モスクワっ子が後にKGB本部となる建物を目にするずっと前から、そこにあった。旧KGB本部の建物は、言うまでもなく、スターリン時代の粛清と弾圧の象徴だ。
かつてはさまざまな商店がこの区域を占めていた。そして、広場の中心には、ロシア生まれのイタリア人彫刻家、イワン・ヴィタリの設計による美しい噴水があった。
ソ連時代に噴水はネスクーチヌイ庭園に移され、代わりに、血塗られた秘密警察の創設者フェリックス・ジェルジンスキーの銅像が建てられた。それは1991年に撤去され、今もその場所は空いたままだ。
7)聖ワシリイ大聖堂、1905年
カザンの征服を記念して16世紀半ばにイワン雷帝(4世)によって建てられた。今では、ロシアの最も象徴的ランドマークの一つだ。これが赤の広場の「真珠」であることは言うまでもない。
ロシアのもう一つの主要な大聖堂「救世主ハリストス大聖堂」のほうは、ソ連政権により爆破、撤去されたが(連邦崩壊後、1990年代に再建)、こちらの大聖堂は救われた。
赤の広場に通じる通りはワシリエフスキー坂と呼ばれ、現在は石畳で覆われている。ここではしばしば大規模な屋外コンサートが開催される。
8)ドンスコイ修道院、1882年
16世紀、モスクワの城壁から、クリミア・ハン率いる大軍が撃退されたことは、当時の人々には奇跡と思われた。ドンスコイ修道院は、当時のモスクワの南端に当たる戦場跡に建立されている。しかし今ではここは都心に近い。
ソ連時代にはここで、勤行のかわりに、非宗教的な芸術の展示が行われた。勤行が再開されたのはペレストロイカの後のことだ。
9)パシコフの家、1896年
この写真は、ロシア帝国最後の皇帝、ニコライ2世の戴冠式の際に撮られた。宮廷では大祝賀会が行われ、市中心部は華やかに装飾された。
これはモスクワでも最も豪壮な建築の1つで、ロシア国立図書館の最初の建物となった。これはロシア最大の公共図書館だ。希少な原稿類、楽譜、地図などが今もここに保存されている。
10)南東方向から見たクレムリン、1880年代
20世紀になると、クレムリン周辺での建設が進んだ。クレムリンの内部には、党大会などソ連共産党の会合のための国立クレムリン宮殿(旧クレムリン大会宮殿)が建てられた。クレムリン唯一の近代的な建築物だ。
1960年代から2006年まで、赤の広場の正面に、巨大な「ロシア・ホテル」があった(2006年に解体)。その後10年以上にわたってこの区域は、囲いで区切られた建設現場だった。
しかし2017年、ザリャジエ公園がオープンした。ここには、モスクワ川上にせり出した美しい橋がある。この橋は川の方には支柱がなく、浮遊して見える。
*2018年7月4日~8月13日、展示会「写真で見るモスクワ 1860年代~1900年代初め」 が、サンクトペテルブルクのロシア美術館で、一連の企画展「ロシア帝国をめぐる旅」の一つとして行われている。