19世紀ロシアのソーシャルネットワーク:FBの代替物は何だったか?

英ドラマ「戦争と平和」、2016年

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The Weinstein Company
 モバイルアプリとソーシャルネットワーク(SNS)は比較的最近生まれたが、私たちはこれらがない生活をもはや想像できない。ということは、それは人々の基本的なニーズを満たしているということ。フェイスブックとWhatsAppが、大詩人プーシキンや文豪トルストイの時代にあれば、彼らは間違いなく使っていたにちがいない。彼らのSNSの手段を見てみよう。彼らはデジタル機器なしで楽しんでいたのだ。

19世紀版フェイスブック

 ソーシャルネットワークのおかげで、私たちは、自分の生活や意見、感想を友人、知人たちと共有することができる。古代ローマの貴族たちは毎日、朝、昼、晩にお客を受け入れていたが、ロシア貴族はお互いに正式な訪問をした。

 例えば、新婚夫妻は、二人の両親の親戚をすべて訪ねなければならなかった。誰かが病気になれば、その人は、回復を祈る訪問者を受け入れねばならない。さらに、これらの訪問のすべてに対し、答礼の訪問がなされた。

 「木曜日午後6時。 マリア・イワノヴナは、馬車に飛び乗って、スケジュール表を持って訪問に出かけた。その日は11か所を訪問。翌日、金曜日には、ディナーまでに10か所、ディナー後に32か所。土曜日にはもう10か所、すなわち計63か所を訪問した。さらに日曜日には、彼女の最も近しい人たちのために、約10か所の訪問を残しておいた」

 家族の一員が死亡したときは、家族は弔問の訪問を受け入れねばならなかった。19世紀初頭にロシアに住んでいたイギリス女性、マーサ・ウィルモットは、こうした伝統に対し軽蔑の念を示したところ、こうたしなめられた。

 「例えば、夫を亡くした婦人が、夫の死を通知しなかったとしたら、社会は、彼女が夫の記憶を軽んじていると非難し、人々は彼女の悲しみの真実さに疑問を抱くだろう。彼女は多くの人間を敵に回す。そして、誰も彼女の家を訪れなくなるだろう」。フェイスブックで言えば、その未亡人はネットワークから外されてしまうわけだ。

 しかし、訪問する時間がいつでもあるとはかぎらない。そこで、別の方法があった。つまり、ただ名刺を置いてくるというやり方で、この習慣は1830年代に始まった。訪問相手が在宅でないときに、名刺を置いてくるか、召使いに名刺を持たせてやるのである(ただし勤務上の序列や爵位が上の人間に対しては、召使に名刺を置いてこさせるのはまずかった。それはあまりにも粗野で失礼である)。

 という次第で、コーヒーテーブルに並べられたカードは、その人のソーシャルサークルと新たに知り合った人々、つまり、フェイスブックの友達リストのようなものを示した。

 「なかにはいささか変な金持ちもいて、貴族の邸宅の門番や従僕に金を払い、そこの貴族の主人のところに名刺を持っていかせる。その後で、そういう手合いは、『俺には実は素晴らしい知り合いがいる』という動かぬ証拠を、それよりは格下の、上流社会の知己に見せびらかすだろう」

 

出会いアプリ「Tinder(ティンダー)」

 社会的なつながりは、未来の妻、パートナーを探している青年にとって非常に役立つ。でも、あまり知り合いがいなければ、ティンダーみたいな出会いアプリで、自分にぴったりの相手を見つけるという手もあるかもしれない。この種のサイトは、ランダムな組み合わせからそういう相手を選ぶチャンスを提供する。

 さて、19世紀のモスクワではどうかというと、商人やプチブルの家族は、主に「主の洗礼祭(神現祭。1月19日)」に娘を連れて出かけた。

 「川岸は、高価な冬の装いに身を包んだ娘たちでいっぱいだった。その前には、キツネのコートに高い帽子といった格好の若い商人たちがいて、賑やかで陽気に見えた…」。女性の仲人たちがすぐ近くにいて、双方の選択をいろいろ助けていた。

 もちろん、貴族は冬の堤防で花嫁を探すことはない。彼らが斡旋を頼む、馴染みの仲人のほかに、花嫁探しに訪れる、特定の教会がいくつかあった。若い貴族は、そうした教会に出向いて、お祈りをするかたわら、そこで意中の娘を見る。すると、彼の眼差しから、注意深い叔母などが意を察し、その娘の姓と訪問すべき適当な時間を彼に伝える。これで「マッチ」するかもしれないというわけだ。


メッセンジャー

 メッセンジャーは、そこで盗み聞きされる可能性がある場合には、慎重にコミュニケーションをとり合う素晴らしい方法だ。19世紀の若者たちも、舞踏会や夜会では、スマートフォンがあったらどんなに便利だったろう!

 娘たちは、たくさんの乳母や叔母たちが喧しく行儀作法を、ああでもないこうでもないと言っているときに、男と“いちゃつく”ことなどできない。そこで彼女たちは、扇によるジェスチャーと「花言葉」を使った秘密の言葉を発明した。

 もちろん、叔母たちの多くもこの言語を理解していた。しかし、このような慎ましやかなコミュニケーションが、社会的に受け入れられる唯一の方法だった。貴族の男女は、愛やプライベートなことがらを声高に話すことなどできなかったから。

 ある女性を恋する男は、彼女に花束を贈って、愛を伝えることができた。花束は、メッセージのように「解読」可能だったから。例えば、オーストリアのバラは「大きな愛」を意味した。「ダマスクのバラ」は「恥ずかしがり屋の愛」。黄色いバラを贈れば、あなたが相手の不実を疑っていることを意味する。三色スミレなら、「私のことを覚えていてください」。オシマムなら、「私はあなたが嫌い」。茶色のゼラニウムは、「私はあなたにお会いします」。月桂樹は、「私は死ぬまであなたに誠実でしょう」等々。

 花の組み合わせは、このように正確なメッセージを伝えることができたし、また、花の選択は、その崇拝者の趣味と資産についても多くのことを語った。

 一方、夜会で若い令嬢たちは、扇を使ってメッセージを伝えた。これは、スペインやフランスから入ってきた慣習だ。愛情を表現するには、女性は扇の上端で男を指した。下端で指すと、軽蔑を意味する。扇を繰り返し開いている女性は、愛を受け入れることを意味し、扇を開いて持つと、情熱的な愛を意味するという具合だ。

 また、扇を使ったいくつかのジェスチャーは、直接的なメッセージになった。お尻を扇で叩くと、「私の後について来なさい」。左の耳に、開いた扇で触れると、「私たちを見ている人がいる」。左手でゆっくりと扇をたたむと、「私のところへおいでくださると嬉しい」。こうした「扇の言葉」はとても人気があり、ちょっと「扇で煽ぐ」という言葉は、「いちゃつく」を意味した。

 

*19世紀ロシアについてもっと知りたい方は、食卓の作法に関する記事をご覧ください。さらに魅力的なディテールをという方は、「ロシア貴族のスワッシュバクラー:伝説的怪物フョードル・トルストイ」をどうぞ。

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