写真で見る、時代とともに変遷してきたモスクワ・メトロ

歴史
ニコライ・シェフチェンコ
 歳月を遡り、ロシアの伝説的な地下鉄網の進化の軌跡を辿ろう。

 世界で最も急激に成長を続ける街の一つにおいて、あるものがとりわけ速く変化している。モスクワ・メトロがノンストップで拡張しているのだ。政治イデオロギーの転換、人口増加、戦略的に重要な建物の建設といったすべてのことが、ロシアの首都で最も象徴的で普遍的なシンボルの一つであるモスクワ・メトロの姿を変貌させてきた。

ビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ(レーニン図書館)駅

 1935年5月に公式に開業したこの駅は最初期にできた駅の一つだ。開業当時は駅の床は寄せ木でできており、まだ他の駅ができていなかったため連絡通路も必要もなかった。しかし1965年には隣接する2つの駅への通路が作られ、メトロで最長の通路の一つとなった。こうしてレーニン図書館とアレクサンドロフスキー・サード、アルバーツカヤ駅が、今なお多くの通勤客に利用される単一の地下交通拠点に連結された。駅の床も変わり、寄せ木に変わってより高価で華美な花崗岩が敷かれた。

 

オホートヌイ・リャード駅

 開駅時、オホートヌイ・リャードは世界最深のメトロ駅だった。レーニン図書館駅と同様、駅はロシアで最初期にできた駅の一つだ。ショッピングモールのオホートヌイ・リャードやクレムリン、赤の広場といった繁華街地区へと続くこの駅は、かつて中央に一直線に並ぶ支柱付きランプで照明されていた。支柱は結局取り除かれ、現在は球状の天井ランプで照明されている。

 

クロポトキンスカヤ駅

 ついぞ実現しなかったソビエト宮殿の地下ロビーとして計画されたクロポトキンスカヤ駅は、今では救世主キリスト大聖堂に通じている。この駅は間違いなく建築的に最も洗練されたロビーの一つを有するが、それは左右対称の列柱に支えられたアーチ型のものだ。この駅に起きた特筆すべき変化は、モスクワ・メトロが、アート・レベジェフ・スタジオがデザインした大きな赤いMの文字の形をしたトレードマークを公式に採用・登録したことだ。大きなMETRO(”地下鉄”)のサインが取り除かれ、広く知られたモスクワ・メトロのシンボルである統一規格のMに換えられた。

 

チストィエ・プルドィ駅

 この駅を建てたのは、有名なフランスのモダニズムの巨匠ル・コルビュジエとともに働いたニコライ・コリだ。1935年に開業したこの駅のロビーは独特だ。というのも、このような立方体のロビーを持っていた駅の大半は改築されて元の姿を残していないからだ。第二次世界大戦の間この駅は軍の統合参謀本部として使われていたため、地上の入り口は板でふさがれていた。この駅はロビーの上にかつてのMETROの看板を残しており、現代のモスクワでは珍しい場所と言える。

 

ソコリニキ駅

 ソコリニキ駅は、1935年5月に乗客の乗った最初の地下鉄が発車した駅だ。ソコリニキ公園へ通じる並木道にある駅のロビーは2つの出口のある門状の建物として設計されており、門の端には「ボリシェヴィキが急襲できない要塞はない」というスターリンの言葉の引用が刻まれている。門の上にはスターリンの肖像が飾られていたが、この大いに論争を呼ぶ指導者の肖像はもうない。星形(悪魔崇拝の象徴である逆五芒星だと言う人もいる)の謎めいた照明も取り除かれている。

 

キエフスカヤ

 フィリョフスカヤ線にあるこの駅(青い路線にあるキエフスカヤ駅と混同しないように)は開業して10年で重大な改修の対象となった。列柱を覆っていたアルメニア産の縞瑪瑙がはがれ始め、代わりに淡い青と淡い黄色の大理石が採用された。古い床も取り替えられ、現在は灰色やピンクの花崗岩でできている。

 

クルスカヤ駅(アルバーツコ・ポクロフスカヤ線) 

 近くのクルスキー駅に因んで名付けられたメトロのクルスカヤ駅は、灰色の大理石で装飾されている。床の模様は一度変更を被り、ひし形の大理石の板から正方形の板に取り換えられている。

 

プロシシャジ・レヴォリューツィイ駅

 第二次世界大戦が青の路線のこの象徴的な駅に大きな影響を与えた。有名な銅像群が中央アジアへ疎開しただけでなく、テアトラリナヤ駅(1946年開業)へ通じる新通路の内装の要素も、戦勝に触発されたものとなった。通路の壁のレリーフは旗や武器を描いたもので、入り口には「我等の行いは正しい。敵は打ち砕かれよう。勝利は我等のものだ。」という戦時の標語を少し修正した文言が書かれている。ただしスターリンの名前は壁から取り除かれた。

 

アルバーツカヤ駅 

 モスクワの歴史で最も野心的な変化の一つは、ソビエト参謀本部を置くために、中心地区を丸々更地にしてしまったことだ。アルバーツカヤ駅のロビーもまた変化を余儀なくされ、参謀本部の新しい建物に組み込まれた。

 

ベロルースカヤ駅(環状線)

 建築家らはこの駅を、ベラルーシの経済と文化の隆盛を反映し、激賞するように設計した。この駅は1951年にスターリン賞を受賞している。“ソビエト・ベラルーシ”と呼ばれる寓話的な彫刻が建てられたが、1997年に新通路が作られた際に取り除かれた。

 

ベロルースカヤ駅(緑の路線)

 古い写真を見ると、構内のそれぞれの支柱のそばに立つたくさんの壺状のものが写っている。今はもうない。駅の床も変わり、伝統的なベラルーシの模様を失って、より定番の黒と灰色の花崗岩製のものになった。

 

マヤコフスカヤ駅 

 マヤコフスカヤ駅の建築はユニークで、1939年にはニューヨーク市で行われた国際博覧会でグランプリを受賞した。初めこの駅にはチャイコフスキー・コンサート・ホールへ通じる一つの出口しかなかったが、1950年代にトヴェルスカヤ通へ通じる新しいロビーが作られた。

 

アフトザヴォツカヤ駅 

 この駅のデザインは第二次世界大戦中のソビエトの人々の歴史的な労働を讃えている。南側ロビーは当初独立した構造物だったが、後にアフトザヴォツカヤ通の住居ビルに組み込まれる形で建て替えられた。

 

パヴェレツカヤ駅

 近くのパヴェレツキー駅からこの駅に入れば、エスカレーターの上の壁に暗い円があるのに気付くかもしれない。これは1950年代後半のソビエト連邦で脱スターリン主義のプロセスが始まるまでたくさんあったスターリンのレリーフの一つがかつてあった場所なのだ。