マルガリータ・コニョンコワとアルベルト・アインシュタインの手紙
AP「つい最近、私は頭を洗ったんだけど、大成功とはいかなかった。私はあなたのように注意深くないから」と、アルベルト・アインシュタインは、その時(1945年)までにソ連に戻っていた、ロシア人の恋人マルガリータ・コニョンコワに、こんな手紙を書き送った。
この世界で最も高名な物理学者は、彼女との別離に耐えられなかったようだ。「ここにあるものはすべて、この隠居所にあるどんな細々したものもみんな、あなたを思い出させる」
しかし事は、単にアインシュタインがマルガリータに恋焦がれていたというだけのことではなかった。1990年代後半に彼女の親戚の一人が何通かの手紙を発見し、サザビーズで売却したのだが、そのうちの1通、すなわち1945年11月11日付の手紙で、アインシュタインはこんなことを書いていた。自分は「プログラムに従って」領事と会った、と。この領事は、アメリカで活動するソ連諜報機関の幹部の一人だったのだ。
セルゲイ・コニョンコフ彫刻家とマルガリータ・コニョンコワ
では、マルガリータ・コニョンコワとは何者か?この女性こそが、ドイツ生まれの大科学者と、ソ連のスパイとの会合をアレンジしたのだ――それも、米国が最初の核兵器を製造した数ヶ月後の時点で。
ロシアの地方都市に生まれたマルガリータは、やがてモスクワに移り、すぐに持ち前の魅力と振る舞いで人気者となった。
大オペラ歌手フョードル・シャリアピン、大作曲家セルゲイ・ラフマニノフなどとも浮名を流したが、結局彼女は、別のセルゲイ、すなわちセルゲイ・コニョンコフと結婚した。彼は、才能ある彫刻家で、「ロシアのロダン」とも呼ばれた。
「彼女は、偉大な芸術家の創造物かと見紛うばかりに美しかった」と、コニョンコフは後に回想している。
1923年、コニョンコフ夫妻は米国に移住。マルガリータは、ロシア人亡命者の間で真のスターとなり、夫は創作を続けていた。1935年、プリンストン大学はコニョンコフに、アインシュタインの小さな彫像を制作するよう依頼してきた。マルガリータが大物理学者と知り合ったのはその時だ。
マルガリータ・コニョンコワとアルベルト・アインシュタイン
AP「アインシュタインは、驚くほど控えめな男で、私は、もっぱらこの、ふわふわした髪の毛のおかげで有名なんだと冗談を言っていた」と、マルガリータは回想している。もっとも、彼女によると、この物理学者は、自分の相対性理論について話し合うのが好きだったという。マルガリータにはこの理論は理解しきれなかったが、彼の心は掴んでいた。
アインシュタインの二番目の妻エルザが1936年に亡くなると、マルガリータとの関係は友情の域を超えたものとなっていった。1939年、彼は医師に、「ニューヨーク州のサラナク湖周辺の健康に良い気候のもとで」過ごすように、彼女に勧めてくれと頼んだ(アインシュタインはここで暮らしていた)。
マルガリータは毎年、サラナク湖畔でアインシュタインとともに数ヶ月を過ごした。一方、夫のセルゲイはシカゴで働いていたが、恋するカップルのあだ名まで思いついている。すなわち、「Almar」(Albert-Margarita)。アインシュタインの手紙からうかがわれるように、彼は、マルガリータと一緒に過ごした時を大切にし、彼女のためにできるだけのことをしたいと思っていた。
マルガリータ・コニョンコワ(左側と中心)、マルガリータにあげた統計
Getty Imagesロシアの「独立新聞」記者オレグ・オドノコレンコは、アインシュタインとマルガリータ・コニョンコワの関係について調べ、インタビューでこう述べている。彼女がこの科学者に本物の感情を抱いていたのか、単なるミッションであったのかを判断するのは、今のところ難しいが、彼女が社会主義者であり、ソ連の諜報機関のために働いていたのは明らかだと。
一方、独裁者ヨシフ・スターリンの時代に、ソ連諜報機関の将官であったパーヴェル・スドプラトフによれば、マルガリータは、米国の核開発計画「マンハッタン計画」に対するスパイ活動では不可欠な存在だったと言う。
「プリンストンでは彼女は、影響力のある物理学者、アインシュタインとロバート・オッペンハイマーに近づいた。…彼女はオッペンハイマーに、左翼系の人物を雇うように教唆した。 我々のエージェントたちは、彼らと協力する準備が整っていた」。スドプラトフはその著書『特殊活動』にこう記している。
オッペンハイマーとは違って、アインシュタインは、マンハッタン計画には直接関わっていなかったが、この物理学の大権威は、自分の元弟子や同僚を通じて米国の核開発計画について少なからぬことを知り得えたと、多くの研究者は推測している。ソ連がそうした情報を求めていたのは当然だ。
セルゲイ・コニョンコフとマルガリータ・コニョンコワ、ソビエト連邦
Getty Imagesアインシュタインとマルガリータをめぐる事件はまだまだ謎が多いと、オドノコレンコは述べる。だが、確実に分かっていることもいくつかある。
第二次世界大戦が終わり、冷戦が勢いを増していたころ、マルガリータと夫セルゲイは、米国を去り、ソ連に帰らねばならなかった。
しかしマルガリータは、背後から糸を引き、アインシュタインがソ連領事パーヴェル・ミハイロフに会うように仕向けた。ミハイロフは、GRU(参謀本部情報総局。ソ連軍の情報機関で今日まで存続している)のために活動していた。
オドノコレンコが強調しているように、アインシュタインは、マルガリータのために彼に会った。彼女のソ連における将来がこの会合に左右されることを承知していたからで、複数回会っている。
二人が会って話し合った、その内容は不明である。アインシュタインが何か重要な情報を提供したかどうかも定かではないが、彼はロシアの友に、できる限りのことをしたと書いている。
マルガリータ夫妻は1946年にモスクワに戻ったが、その後、夫妻は政府から相当な待遇を受けているから、おそらくスターリンは、マルガリータの仕事が成功したと考えたのだろう。
だが今なお、ロシアと米国双方の情報機関は、この件に関するアーカイブを公開していないので、もう70年以上前にアインシュタインとソ連のエージェントたちの間に何が起きたのか解き明かすことは不可能だ。ただはっきりしているのは、この人類の最高の良心とも言うべき人物は、その傷心がもたらした弱さで、権威が傷つくようなことはないということである。
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