大聖堂の歴史は、ナポレオンのロシア遠征(祖国戦争)、そしてロシアの勝利と、密接に関連している。不思議な偶然により、大聖堂の建設も、これにおとらず劇的なものとなり、やはり、破壊、復活、再生、勝利の運命をたどった。
大聖堂の最初の“犠牲者”
大聖堂の最初の“犠牲者”は、これを最初に設計、建設(未完)した建築家カルル・マグヌス・ヴィトベルクだった。首都サンクトペテルブルクでスウェーデン人の家庭に生まれたヴィトベルクは、その畢生の「作品」について、皇帝の裁可を得て、実現に向けて着手するためには、国籍を棄てて、改宗しなければならなかった。
ナポレオン戦争後、ロシア人は、未曽有の愛国心の高まりと精神的高揚を味わっており、国民感情を反映する何らかの象徴が必要になっていた。皇帝アレクサンドル1世は、ロシア軍の戦死者を追悼し、同時にロシアの偉大さを表す、巨大な記念碑的建造物を建設しようと思い立った。
皮肉なことに、スウェーデン系ロシア人の建築家、ヴィトベルクだけが、こうしたツァーリの心を読み取った。「君は私の願いを見抜いた。私は、それが普通の建物のような単なる石の堆積に終わらないように望んでいる。そしてそれが、ある種の宗教的理念により、生命を吹き込まれることを。私は約20件のプロジェクトに目を通した。そのうちのいくつかは非常に良いものだったが、それでも凡庸な域にとどまっていた。だが君は、石に語らせることができた」。1815年に皇帝は、ヴィトベルクにこう語ったという。
ところが、この建築家にとって不幸なことには、アレクサンドルは彼をとても気に入っていたので、建設の責任者に任命してしまった。ヴィトベルクは、実際の建設と経理の経験は皆無だったから、必死に断ろうとしたが無駄であった。
1817年10月12日、ヴィトベルクは、現在、モスクワ大学本館がある「雀が丘」に礎石を置いた。ここが、大建築の傑作のために選ばれた最初の場所だった。
しかし間もなく、幸運の女神は、建築に邁進していたヴィトベルクを見放し始めた。アレクサンドル1世が1825年に逝去し、ニコライ1世が即位…。
新帝は直ちに建設中止の命令を出した。その時点までに、法外な費用と時間がかかることが判明していたので。
ツァーリが招集した特別委員会は、多額の横領の仕組みを暴露し、ヴィトベルクは、裁判にかけられた。彼が受けた判決は、財産を没収し、国家勤務の権利を剥奪のうえ流刑に処す、というものであった。
こうして大聖堂の生みの親は、その人生を砕かれた。しかし、現代の歴史家が信じるところでは、彼は無実であり、部下の陰謀の犠牲となった。
呪われた再建
もし、信心深いニコライ1世が、亡き兄、アレクサンドル1世の誓い――復活したロシアの象徴を建立する――を気にかけていなければ、大聖堂は未完成のまま放置されていたかもしれない。
最初の式典から22年経った、1839年9月10日に、救世主ハリストス大聖堂が現在建っている場所に、新たな礎石が厳粛に据えられた。
新たに大聖堂建設を担当することになったのは、建築家コンスタンチン・トーンだ。場所は皇帝自らが選んだ。実は、ここにはアレクセーエフスキー女子修道院があったのだが、修道院は郊外のソコリニキに移転となり、建物はすべて破壊されてしまう。言い伝えによると、その際、修道院長は、破壊者を呪い、「いかなる建物をここに建てようと永続きはしない」と予告したという。
不吉な予言の成就
この予言は、ロシア革命後、ボリシェヴィキが国を支配したときに成就した。ロシアの新たな支配者たちは、革命後の壮大さを具現化し、不滅のものにしたいと願い、もっと贅沢なプロジェクトを考えついた。あの厄介な「ソビエト宮殿」だ。
建設場所の選択を見れば、新政府が教会に対してどんな考え、意図をもっていたか、疑問の余地はない。ソビエト宮殿は、救世主ハリストス大聖堂の、まさにその場所に建てられることになった。そして、場所を空けるために、聖堂は破壊された。
1931年12月5日、聖堂は強力な爆薬で2度にわたり爆破。その2回目で、大聖堂は崩落し、付近のいくつかの地区も震撼した。しかし、新政府が聖堂を破壊する強い意志をもっていたにもかかわらず、爆破後の残骸、瓦礫を現場から完全に撤去するには、1年以上かかった。
状況をさらに難しくしたのは、その後まもなく始まった独ソ戦(大祖国戦争)で、ソビエト宮殿建設は中止を余儀なくされた。壮大極まりない共産主義のビジョンは、ソ連指導部により実現されることはついになかった。
時代は下り、ようやく1989年になって、国の宗教政策が、人々が大聖堂復旧の支援運動を組織できる程度に、自由化された。ソ連崩壊後の1990年代のハイパーインフレーションにより、いったん計画は足踏みしたが、ついに2000年8月19日(主の顕栄祭)、現在の場所で、再建成った大聖堂全体の成聖式が執り行われた。
2世紀にわたる紆余曲折をへて、大聖堂は誇らかにモスクワ川を見下ろし、宗教的信念にかかわらず、訪問者を歓迎している。
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