これは、こぼれた牛乳のことで嘆き悲しむようなもの。誰かがつまらないことで悲しんでいるときにこう言う。
Teteryaは、素敵な鳥だが、ロシア人は伝統的にこんな人をからかうのに引き合いに出す。まだなかなか目が覚めずコーヒーを飲んでいるような寝坊や、一般に動作がのろくてぐずぐずしている「のろま」などだ。Teteryaは、クロライチョウとしても知られるが、ある種のヤマウズラやウズラにも用いられる。
いや、「ショー(プログラム)の釘」は、「棺の中の釘」(「寿命を縮めるもの」の意味)と同じではない。もっともロシアでは、キャリアを棒にふる行為、失敗がしばしばステージ上で起きているとは思うが。
「ショーの釘」の使い方はこれとは違う。ショーの花形、つまりヘッドライナーという意味だ。
例えば、ある人の真の意図や企てが、顔つきからバレたとしよう。そういう人に、ロシア人はこのフレーズを投げつけるのを好む。お前の真意は分かったぞ!というカタルシスを表すフレーズだ。
あるいは、誰かの真意をめぐって会話しているときにも使える。真意が、その人が言っていることと違うような場合に、「本当はこういうことだ!」という意味で用いる。
“He was born with a silver spoon up his a**” という広く人口に膾炙した慣用句がある。「あいつは、銀のスプーンを持って生まれた = 裕福な家庭に生まれた。くそったれ!」(「くそったれ」は、嫉妬、羨望の念による罵言)」。
普通の人はたいてい、この慣用句を使いたがるだろう。しかし、「彼はシャツを着て生まれた」というフレーズは、神秘的な起源をもつ。赤ちゃんが子宮から出てくるときに、まだ胎盤がくっついていることを指すのだ。昔のロシアでは、これは、その子が守られているという徴だった。言うまでもなく、胎盤は、多数の文化において神秘的な意味をもっている。
お気づきのように、ヨーロッパはここでは複数形になっている。ここには侮蔑的なニュアンスがある。ヨーロッパ諸国を十把ひとからげにして、ロシアと同列に並べるという。
この慣用句は、19世紀に貧しいロシア人が、もっと金持ちのロシア人をけなすのに使った。つまり、旅行中に、各地をできるだけ短い期間で回り、すべての名所をちょっとずつ見ようという、そんな金持ちをののしる悪口だった。
ロシア帝国とヨーロッパは、君主制があちこちの国にあった頃は、非常に緊密に絡み合っていた。しかし、いつも「隣の芝生は青く見える」、つまり常に他の場所のほうが良く思える俗物は少なからずおり、それは、今日のロシアにも当てはまる。
おっと、ちょっと話がそれたようだ。この慣用句が今実際に使われるその意味は、「あまりにも多くの分野をカバーしようとしたり、多くのことをやろうとするあまり、手あたり次第にざっと上面を撫でて終わる」
あなたの家庭内の争いに関係のない人の前で、議論したり喧嘩したりするのは得策ではない。メッセージは単純だ。そういうことはしないように、ということ。
誰かをだましたり、からかったりする、という意味の慣用句だ。
「Chur menya」は、「私を守り給え」の類のフレーズと言える。これは、邪悪な霊(ロシア人によっては、UFOかもしれないが)を撃退するために使われる、魔除けの感嘆詞のようなものだ。その起源は中世ロシアにさかのぼる。かつてChurは神だったのだ(ちなみに、menyaは「私を」)。
現代のロシアの子供たちは、例えば、人が「誰もこれは取り消せない」と言った後で、魔法で封印するようにしばしばこのChurを使う。
「Chur menya」はよく子供が用いるフレーズだ。とくに鬼ごっこをしているときに、「私に触るな」、「ここを超えるな」という意味合いで、自分が鬼にならないように用いる。
これは主に、コンテストやゲーム、あるいは戦いが始まる前に、すでに勝ちを確信した状況で用いられる。つまり、トラブルになるような大した問題は起きず、問題があっても難なく処理できる、と思ったときに。
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