ロシア文学の古今の傑作10:すべてのロシア人を育んできた

カルチャー
ユリア・シャンポロワ
 ロシアの学校カリキュラムには、プーシキン、ゴーゴリ、トルストイ、ソルジェニーツィンなどの大詩人、大作家の傑作が含まれている。そのおかげで、ロシア人は、その社会的階層、年齢、性別を問わず、同一の文化と一定の知的スタンダードを共有している。これは、国のアイデンティティを形作り、社会的紐帯を生み出す重要な要因でもある。

 ロシア人にとって、古典的な文学作品を読むことは、単に言葉を学ぶとか、有意義に時を過ごすとかいう以上のものだ。学校で教えられる、そうしたいくつかの作品は、国の文化の共通コードを形成する上で重要な役割を果たす。

 ロシア人は、時を超えて、似たような状況を比べてみたり、人物を特徴づけたり、愛と憎しみについて語り合ったり、あるいはただ諺的に引用したり、冗談を飛ばしたりする。誰もが学校で同じ本を読んでいるので、ロシア人なら、そういうことがすぐにピンとくるのだ。ロシア・ビヨンドは、なかでも重要な文学作品のリストをまとめてみた。それらをすべて読めば、「ロシア的精神」がより理解できるようになるだろう。

1)  デニス・フォンヴィージン『親がかり』

 『親がかり』は、18世紀を代表する風刺的な喜劇で、作者はデニス・フォンヴィージン(Ⅰ745~1792)。この戯曲のセリフはすぐに、ロシア文学とロシア語における多くの慣用句、諺のもとになった。主人公ミトロファンは貴族の息子。利己的で無教養で、作者の風刺の主なターゲットとなる。

 1782年にサンクトペテルブルクで、翌83年にモスクワで上演されるや、コメディーはすぐさま人気を博す。だが、時の女帝、エカテリーナ2世は、フォンヴィージンが他の文学作品を出版することを禁じた。これが、ロシアの生活の辛辣な風刺への代償だった。

2)   アレクサンドル・グリボエードフ『知恵の悲しみ』  

 外交官で劇作家のアレクサンドル・グリボエードフ(1795~1829)は、戯曲『知恵の悲しみ』、ただ一作でロシア文学史に名を刻んだ。この傑作の主人公、チャーツキーによる独白は、しばしば学校で暗唱させられる。

 この19世紀の戯曲は、教育ある人間が直面した葛藤を示しており、彼は、偽善的な社会に魅力を感じることができない。戯曲は1824年に完成していたにもかかわらず、国の検閲のために、ようやく1833年に出版された。

 だが作者は、自作の出版を見届けることはできなかった。テヘラン駐在公使としてペルシャに赴任していた彼は、1829年、テヘランの暴徒がロシア公使館を襲撃した際に虐殺されたからだ。34歳だった。 

3)   アレクサンドル・プーシキン『エフゲニー・オネーギン』

 ロシアの大詩人アレクサンドル・プーシキン(1799~1837)は、近代文章語、詩のみならず、散文小説でもパイオニアとなった。この方面の達成を最もよく示すのが、『エフゲニー・オネーギン』だ。

 これは、人生に疲れた享楽主義者オネーギンと、慎ましい田舎の少女タチアーナとの悲恋を描いている。彼女は、男が自分に恋するのを待っているが、最初はオネーギンは、まともに相手にしない。プーシキンはこの作で、ロシアの文化、歴史、伝統について多くの紙幅を割いている。19世紀ロシアの生活の百科事典とも言われるゆえんだ。

 発表当時から今日にいたるまで、この傑作はロシア人に愛され続けている。作品の重要な要素としては、タチアーナのオネーギンへの名高い手紙、モスクワの描写、ロシアの自然美の描写、作者のユーモアとセルフアイロニーなどが挙げられる。

4)  ミハイル・レールモントフ『現代の英雄』

 これは、カフカスで勤務するロシア軍将校、グリゴリー・ペチョーリンの物語だ。ロシアの詩人・作家、ミハイル・レールモントフ(1814~1841)が創造したこの享楽主義者は、プーシキンのエフゲニー・オネーギンに始まる、19世紀ロシア文学の「余計者」の系譜に加わる。

 ロシアの貴族社会の一員で、高い教育を受けたペチョーリンは、シニカルで虚無的で、ふさぎの虫にとらえられている。人生に何の目的も持っておらず、他人を残酷な実験や快楽のための材料としてしか見ない。レールモントフのこうしたヒーロー像には、後の19世紀ロシア文学の展開の中で、他の多くのキャラクターが加わっていく。

 レールモントフは、プーシキンと並んで、ロシア最大の詩人の一人とされている。

5)   ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』

 ニコライ・ゴーゴリ(1809~1852)は、19世紀全体を通じて最大の力作の一つだが、作者は、続編の「第二部」を自ら火中に投じ、精神錯乱のうちに亡くなった。

 この作品の構想は、彼の師匠格のプーシキンから与えられたと伝わる。物語は、貧乏貴族パーヴェル・チチコフを軸に展開する。

 チチコフは、戸籍上は生きているが実際には死亡している農奴を買い集めるために、各地を遍歴する(既に死亡していても、次の国勢調査までは、戸籍上は生きているので、地主は、それに対する人頭税を払わねばならなかった。チチコフはここにつけこんだわけである。なお、ロシア語の「魂」には「農奴」の意味もあった)。

 チチコフのもくろみは、死んだ農奴を生きているかのように見せかけて、それを担保に、銀行から大金を借り出すという、金銭上の詐欺だった。チチコフの旅のなかで、19世紀ロシアの生活やそこに住む人々のタイプが、明らかになっていく。 

6)   フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

 フョードル・ドストエフスキー(1821~1881)の数々の傑作のなかでも最も有名なのは、『罪と罰』だろうか。世界各国で25回以上の映画化されている。

 物語は、元学生の抱く道徳上のジレンマが、一つの軸となる。主人公ロジオン・ラスコーリニコフは、自分が「震えるおののく臆病者」であるか否か、そして自分に「殺す権利」があるか否かという疑問にさいなまれている。彼はナポレオンと自分を比較し、良い企図はあらゆる犯罪を正当化し得ると考える。結局、彼は、金貸しの老婆を殺し、金を奪うが、精神的な煩悶に耐えきれず、警察に自首する。

 小説の舞台となったサンクトペテルブルクでは今日、ラスコーリニコフの生活と犯罪をめぐる数多くのツアーがある。彼はまだ街の一部をなしているのだ。 

7) レフ・トルストイ『戦争と平和』

 レフ・トルストイ(1828~1910)の全四巻からなる大作『戦争と平和』を、学校時代に読破したロシア人はあまり多くないかもしれない。にもかかわらず、ほとんどの人が後年再読するのではないか。恋愛の場面を好む人もいるし、ナポレオン戦争(1805~1812)の場面が醍醐味だという人もある。いずれにせよ、疑いなく『戦争と平和』は、ロシア文学のみならず世界文学の最も重要な作品の一つである。

8)   アントン・チェーホフの短編小説

 ロシア人は学校の低学年からアントン・チェーホフ(1860~1904)の短編小説を読み始める。

主人に献身的な犬の素敵な物語「カシタンカ」は、多くの子供たちを感動させてきた。ユーモア、アイロニー、そして風刺に満ちた、簡潔で面白いチェーホフの物語は、常にロシアの学童にも大人にも愛されてきた。

 そうした作品は、例えば、『イオーヌイチ』、『太っちょとやせっぽち』、三部作(『箱に入った男』『すぐり』『恋について』)など多数ある。彼の戯曲――『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』は、学校の高学年で学ぶことが多い。

9)   ミハイル・ショーロホフ『静かなドン』

 大長編『静かなドン』でミハイル・ショーロホフ(1905~1984)は、1965年度のノーベル文学賞を受賞したが、その真の作者をめぐる論争は、いまだに文学研究者の間で続いている。

 この大作は1925年、作者がまだ弱冠20歳のときに書き始められているが(完結は15年後)、この若さでこれほどの傑作を書くのは不可能だと言う人もいる。ショーロホフの手書きの草稿は長い間失われていたが、これも、小説の重要性と長さを考えると奇妙である。

 何人かの専門家は、この小説は、実は、コサックで白軍の将校であったフョードル・クリュコフが最初の草稿を書き、それをショーロホフが利用したと主張する。

 真実がどうであれ、この小説は、ロシア革命、内戦の時代に翻弄されたドン・コサックの生活、そして人間の運命を描いた傑作であり、20世紀ロシア文学の最重要作品の一つだ。 

10)  アレクサンドル・ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』

 アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~2008)も、ノーベル賞作家だ(1970)。いわゆる「雪解け」の時代に、『イワン・デニーソヴィチの一日』が発表され、学校教材にも使われたが、ブレジネフ時代に入ると、彼の作品は発禁となった。1974年には、彼は国外追放される。再び彼の著作がソ連国内で日の目を見るのは、ようやくペレストロイカ末期のことである。

 現在では、『イワン・デニーソヴィチの一日』は、どの学校の高学年でも、20世紀文学の学習で中心的位置を占めている。この作品は、1950年代の強制収容所における、囚人イワン・デニーソヴィチ・シューホフの一日を、冷静沈着な筆致で描いた傑作だ。

 この作品の発表は大事件だった。なにしろ、スターリンの粛清の実態があからさまに描かれたのは、これが初めてだったから。