ソ連の子どもなら、必ずスヴェルドロフスカヤ・スロイカを知っていた。どの学校の食堂にもあった。しっかりとしているのに軽くてフワフワでふっくらしていておいしい、特別なパンである。
一見普通のこのパンの裏には、フランスの繊細なブリオッシュづくりに使われていた、昔ながらの巧みな技術が隠れている。ブリオッシュは中世のフランスで生まれた。ノルマン人が16世紀にブリオッシュのレシピを考案し、異なる地域でさまざまなバリエーションができていったと考えられている。たとえば、ヴァンダイユのコミューンのパン屋は、レシピを若干簡略化して「ゴォシュ」と名づけた。これは伝統的なフランスのパンとして、今日でも人気がある。
ソ連の技術者は、ブリオッシュの生地で遊んだ。こうして、甘いシュトロイゼルのかかったスヴェルドロフスカヤ・スロイカが生まれた。スヴェルドロフスクとは現エカテリンブルク市の旧名であるが、特にこことは関係ない。18世紀にできたこの街は、多くの工場のある国内有数の工業中心地であった。帝政ロシア時代にエカテリーナ1世にちなんでエカテリンブルクと名づけられたが、ロシア革命の後、全ロシア中央執行委員会議長のヤコフ・スヴェルドロフにちなみ、スヴェルドロフスクと改名された。1991年、エカテリンブルクの市名に戻った。
ソ連時代にスヴェルドロフスク市に暮らしていた私の友人の祖母によれば、1980年頃にスヴェルドロフスカヤ・スロイカが国内各地で人気になったが、なぜ工業都市の名前がパンの名前になったのかを誰も知らなかったという。
このパンの生地のつくりかたは、フランスのブリオッシュの生地のつくりかたにとても似ている。イーストを加えた後、生地は暖かい場所と冷蔵庫の両方で異なる時間寝かせる。生地を重ねて独特のフワフワ感を出すには、たくさんのバターが必要である。
イースト粉末を温かい牛乳の中に入れて、10分置く。ボウルに卵2個を割り入れて溶き、1.5個分をボウルの中に残して、0.5個分を別の容器に入れる(こちらは後で使う)。
ボウルに小麦粉、砂糖、水、塩を入れてかき混ぜる。ボウルにイーストと牛乳の混ぜたものを加えて生地に練り込む。 生地がベタベタでも心配はいらない。できあがりがやわらかくフワフワになるという意味だ。ボウルにラップをかけるかタオルをかぶせる。温かい場所で1時間寝かせると、生地は2倍ほどにふくらむ。
台の上に小麦粉をふり、生地を置く。生地をめん棒で伸ばして厚さ2センチの長方形にする。常温で柔らかくしておいた無塩バターを半分(70グラム)とり、生地の表面の3分の2に塗り、バターを塗った部分に砂糖を半分(40グラム)ふりかける。次の三つ折り手順は重要。バターと砂糖のない3分の1の部分を折って、塗った部分の上にかぶせる。
次に、バターと砂糖のある残りの部分を折って、その上にかぶせる。
端部をつぶして密着させ、しっかりと閉じる。
生地をラップに包み、冷蔵庫に入れて、30分ほど冷やす。生地を冷蔵庫からとりだし、ラップを外して、また台の上に小麦粉をふってめん棒で厚さ2センチの長方形に伸ばし、残りの無塩バターを生地の表面の3分の2に塗り、残りの砂糖をバターを塗った部分にふりかけ、三つ折り手順をもう一度行う。生地をラップに包み、冷蔵庫に入れて、30分ほど冷やす。
生地を冷蔵庫からとりだしたら、長方形に伸ばして、10等分にする(短辺の中心で半分に切り、長辺を5等分に切って、10個にする)。それぞれ、四隅を中心に向けて折り、中心部を指で押す。
生地を天板に並べて(必要に応じてクッキングシートを天板に敷いておく)、30分寝かせる。その間にシュトロイゼルをつくる。小麦粉、砂糖、冷たいバターをボウルに入れて混ぜ、細かいボロボロの粉にする。残しておいた卵0.5個分を、ブラシを使って生地の表面に塗り、その上にシュトロイゼルをふりかける。
200℃に温めておいたオーブンの中に天板ごと入れて、20分焼く。スヴェルドロフスカヤ・スロイカのできあがり!
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。