日露の驚かせて驚かされて

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 2つの文化が接触するところでは、誤解や笑い話が生まれる。特に、知り合って慣れるまでの段階で、多く起こる。私もご多分にもれず、日本滞在の最初の年、大学に留学していた時代に、多くの「文化的間違い」をやってしまった。

しょっぱいご飯と皮つきの桃

 ロシアで調味料のかかった付け合わせに慣れていた私は、ご飯に醤油やら他のソースやらをかけて、ずいぶんとまわりを驚かせたものだ。ロシアでは、日本とは違い、ご飯は立派な付け合わせであるため、塩をかけたり、時にバターを加えたりする。

 ロシアではブドウ、桃、柿の皮をむかない。そのため、日本に来たばかりの時は、桃やブドウを皮ごと食べて、これまたまわりを驚かせた。日本では、果物の皮には農薬がたくさんついているから、ちゃんとむいて食べなきゃだめだよと、子供が物心つく前に親に教えられるという。

 もう一つの食文化の違いの例は、スイカに塩をかけると味が引き出されるという認識だ。ロシア人でこれを知っている人はいない。スイカに塩をかける様子を初めて見た時、私はとても驚き、翌週、家族や友人に電話をかけまくって、この新たな文化的発見について話した。

 

頭が大きい=頭が良い

 日本で私が驚いたのは、知り合いの誰もが、客人としてどこかの家に行くと、まず入口で外套を脱ぎ、それを客間まで持って行って、畳や床の上に置くことだった。ロシアでは玄関に上着用の空間が必ずある。外で着ている服は汚れていて、家の中に持ち込んで他の物とくっつけてはいけないと考えられているためだ。日本のアパートやマンションのほとんどでは、広い玄関がないため、このような習慣ができたのかもしれない。

 ロシアでは、誰かの知恵を称賛する時、しばしば「頭はすべての始まり」、「肩の上に頭を持っている(賢い)」などのことわざを思い浮かべる。賢くて尊敬に値する人のことを、短く、「彼は頭!」と言うこともできる。ロシアでは大きな頭は優れた頭脳の象徴と考えられ、褒め言葉である。私が日本人男性の友だちを喜ばせようと、頭が大きい、巨大な頭だ、同じぐらいの大きさの脳みそがあるに違いない!と言った時、彼はどんな顔をしたか想像できるだろうか。彼はムッとし、一緒にいた人たちは吹きだした。日本でこのような褒め言葉は言ってはいけないのだと、肝に銘じた。そう、誰かの頭の大きさを強調することはちょっと失礼であり、日本語には「頭でっかち」という表現まである。これは誰かの行いが言うほどではないという、悪い意味である。

 私はどこかへ出発する時、スーツケースの上に数分間座る。これはいつも日本の人を驚かせ、また説明が必要になる。これは古代ルーシの異教時代にルーツのある習慣だ。家の住人が急いで旅に出ると、ドモヴォイ(各家庭にいる妖精)が住人について行ってしまい、家が空っぽになって、守護や警備がなくなってしまうと考えられていた。そのため、家を出る時には数分間ゆっくりと座り、どこにも出かけないよとドモヴォイをだますのだ。この「旅行前の着座」の伝統は、現代ロシアでも強力に守られている。

 

日本のジェントルマン

 ロマンチックなシーンを除き、日本では家でも社会でも、女性が男性の世話をすることが、その逆よりも、多い。例えば、大皿から小皿に食べ物をわけたり、お酒を注いだり。ロシアでは定着したマナーとなっているが、日本ではそうでないものもある。具体的には、女性に場所をゆずる、女性のためにドアを開ける、女性を男性より前に歩かせる、など。日本の学校では、低学年から、女子も男子並みの義務を果たすという考え方が広く採用されている。ロシアの学校では、例えば、教室の掃除の時間、男子と女子の混合チームが結成され、男子はイス運びと水運びを担当し、女子は黒板拭き、モップ掛け、花の水やりを担当する。女子が重い物を運んでいたら、怒られ、近くにいた男子はなぜ手伝わないのかと注意される。

 日本の男性は仕事でとても忙しく、西洋の男性ほどの時間を自分の女性にかけられない。それでも近年、ヨーロッパでの女性に対する丁寧な接し方の例が日本のマスメディアで映されるようになり、日本でもジェントルマンが増え続けている!堂々と女性に花をプレゼントしたり、カフェでさりげなくおごったりする男性は、素敵に見えるに違いない!