ロシアのラグビー事情あれこれ

 ロシアでは、ラグビーはサッカーほど人気がないが、今とは違った展開も考えられた。

空っぽのスタジアムでのイングランドに対する勝利

 ロシアは、ラグビーがさかんな国というわけではなく、国民も、大きな大会でもすべてを打っちゃって名選手を見に行くというほどではない。2013年6月末、モスクワで、普通のラグビーよりもダイナミックな7人制ラグビーの世界大会が開催されたが、2018年にはサッカーのワールドカップの決勝の会場となるモスクワのルジニキ・スタジアムは、決勝戦のときでさえ、事実上、空っぽの状態だった。

ヴァシリイ・アルテミエフ撮影/タス通信

 現在、ワールドカップが開催されているイングランドやウェールズのスタジアムは、文字通り立錐の余地もないが、モスクワっ子たちは、世界のスター選手たちを拝むよりも郊外でいつもの休息を過ごすほうを選んだのだ。もっとも、見るべきものはあった。ロシアの男子チームは、グループリーグで敗退したものの、ボウル優勝(9位のチームに与えられる残念賞)をかけた試合で日本を破った。ロシアの女子チームも、グループリーグで、誇張なしに歴史的勝利と呼べるイングランドに対する輝かしい勝利をものにした。

 決勝は、本命の勝利で終わり、男女とも、ニュージーランドがその実力を証明したが、観客は、9万人収容のスタジアムに2~3千人ほどしかおらず、勝利者たちを啞然とさせた。

 
ラグビーに異を唱えたスターリン

 ロシアでは、スターリンが禁止しなかったなら、ラグビーが、サッカーと同じくらいポピュラーになりえたろう。1949年、コスモポリタニズム(世界主義)との闘争のさなかに、このスポーツは、ソ連国民の道徳的規範に合致しないものと認められた。ソ連では、1930年代からサッカーとラグビーがパラレルに発展していたものの、ラグビーの国内選手権は、鶴の一声で中止させられてしまった。ディナモやツェーエスカー(軍中央スポーツクラブ)といった全国的規模のスポーツ団体には、ラグビーのチームもあり、地元のコーチたちを養成するために、有名な専門家ジャン・ノー氏が、フランスから招聘されていたにもかかわらず。

イーゴリ・ウトキン撮影/ロシア通信

 1957年のモスクワでの世界青年学生フェスティバルでラグビーの大会が催されたときに、ようやくラグビーのことが想い起こされた。しかし、すでに時を逸しており、ラグビーは、ロシアではついに国民的スポーツとならなかった。

 
オセアニアからの助っ人

 ロシアのラグビー・チームは、外国人選手の在籍という点では自慢できず、主として、地元の選手たちに期待がかけられている。しかし、シベリアの都市クラスノヤルスクのチーム、クラースヌイ・ヤールは、実験を怖れていない。2013年に長年チームを率いてきたユーリイ・ニコラエフ氏が重病のために退くと、ディフェンスのコーチであるシウア・タウマロロ氏が、太平洋に浮かぶ遠い島国トンガ王国から招聘された。ラグビーが唯一のスポーツといえるそのエキゾチックな国のプロフェッショナルは、ロシアへ同胞の一団を引き連れてきた。

 オセアニアのスポーツマンたちは、ロシアに向いており、凍てつく寒さにも、不安定なロシアの通貨で支払われる給与にも、怯まなかった。ユーロで給与を受けていた何人かのニュージーランドの選手は、ルーブル相場が下落するとチームを離れていったので、トンガの選手たちは、戦力の補強という面に加えて財政面でもチームに貢献したといえる。


メッカはシベリア

 ポリネシアの血を吹き込まれたシベリアの都市クラスノヤルスクのクラースヌイ・ヤールは、ロシアで最もタイトルに恵まれているチーム。今年、このチームは、やはりクラスノヤルスクのエニセイSTMと国内選手権のファイナル・シリーズを戦っている。クラスノヤルスクは、ロシアのラグビーのメッカであり、ラグビーがナンバーワンのスポーツであるという町は、ほかにない。エニセイ河の両岸のチームは、ロシアでつねに覇を争っており、国内選手権で優勝している3チームのうちの2つは、クラスノヤルスクのチームである。

 

ノーザンプトンのロシアン・ロケット

ヴァシリイ・アルテミエフ=Getty Images

 ラグビーのロシア・チームは、世界大会の常連ではないが、2011年には、世界選手権への出場を果たした。そのチームで最高のプレーヤーの一人だったのは、ウィングのヴァシリイ・アルテミエフ。同選手は、ロシア人として初めて本場イングランドへ渡り、2011年にノーザンプトン・セインツと契約を結んでセンセーションを巻き起こした。彼は、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの法学部に進学して、地元のチームの一員としてつねに活躍しており、2007年にはすでに「ロシアン・ロケット」の異名で英国のラグビー界に知られていた。アルテミエフは、イングランドで2年間プレーしてからロシアへ戻り、今は、クラースヌイ・ヤールのチーム・リーダーを務めている。