ジャワ島の伝統的な影絵人形劇「ワヤン・プルウォ」の人形、ベトナムの木彫りの神々、日本刀、そしてきつく布を巻いた纏足の中国靴…。モスクワの「ロシア国立東洋美術館」で訪問者を待つリストは際限がない。
東洋美術館は、革命直後の1918年に開設され、「Ars Asiatica」と呼ばれて、「赤の広場」の歴史博物館の2つのホールに置かれていた。そのコレクションは、他の博物館の所蔵品、個人収集家、外交使節の寄贈などにより集められた。後には、美術館の学芸員が学術遠征中に入手した品で補充された。
すでに40年間、数万点からなる東洋美術館の常設展は、ニキツキー大通りの19世紀の邸宅「ルーニンの家」にある。その主たる至宝をご紹介しよう。
この青銅製の杯は、古代中国の祭具だ。殷の時代には、宗教的な献酒は、この杯で行われた。杯は優雅な花をかたどっている。
古代ギリシャの金メッキが施されたユニークな銀杯が、現在のアディゲ共和国内の墳墓で発見された。今は、他の貴重な考古学的発見とともに美術館の「特別保管室」に保存されている。
これも考古学セクションの傑作だ。仏陀の小さな頭部で、現在のウズベキスタンのカラ・テペ テルメズの仏教遺跡で見つかった。頭の巻き毛の後ろには、光背の一部が見える。元は仏陀の全身像だったと考えられるが、この部分のみが残る。
1948年、ヘレニズム時代の象牙のワイン容器が、現在のトルクメニスタンにある古代集落「旧ニサ」で見つかった。下部は動物や空想上の生き物をかたどっている。東洋美術館のコレクションにはリュトンが4つある。写真は、翼をもつケンタウロス(左)とやはり有翼のグリフォンをかたどった杯だ。
数百点にもおよぶ日本の美術品の中でも、この木造の菩薩像はひときわ異彩を放っている。高さ1㍍の仏教寺院用の彫刻で、幸福をもたらすと信じられていた。
これは、1896年のニコライ2世の戴冠式にあわせて、日本の明治天皇から贈られたもの。彫刻の高さは2.3㍍で、木と象牙で作られている。翼を広げた鷲は164㌢に達する。彫刻は屏風の前に置かれ、それには、日本の職人が荒れ狂う海を刺繍した。
伝統的な絵柄(花と鳥)の刺繍が施された黒い絹の振袖は、驚嘆すべき美しさだ。丈は183㌢で振袖の長さは140㌢。
細密画付きの57枚の原稿。これは、ムガル帝国の創始者バーブルの絵入り自伝だ。戦闘、宮廷での生活、狩猟、宴会…。この細密画は、「アブ・ベクル・ドゥグラトがフェルガナを征服しようとした際のウズゲンドの戦い」を描いている。この貴重品は、1906年にニジニ・ノヴゴロドの定期市でロシアの収集家アレクセイ・モロゾフがペルシャ商人から入手した。
イラン美術室の珠玉の一品。シャーの宮殿で踊る若い女性の絵だ。カージャール王朝の芸術の至宝。宮廷画家は、伝統的な模様と彩色に特別な注意を払って踊り子を描いた。衣装のディテールは細密を極め、いくら見ても見飽きない。こうした絵画は宮殿を飾るとともに、しばしば外交上の贈り物として用いられた。
これは、「原始主義」あるいは「素朴派」のグルジアの巨匠による最も有名な絵画の1つだ。彼は独特のスタイルで、伝統的なグルジアの饗宴を描いた。目撃者の回想によれば、彼は、絵に描かれた人々がグラスをカチャカチャ鳴らしている間に、素早く描き上げてしまったという。
東洋美術館のニコライ・レーリッヒ記念コーナーを飾る一作で、息子が描いた父の肖像画だ。ニコライ・レーリッヒは、ヒマラヤを描いた代表的な画家であり、チベットとインドの探検家・宗教家。ここでは東洋風の衣装をまとって描かれている。彼の後ろに4人の姿が見える。彼らは知恵を表すものを捧げもっている――すなわち、剣、小箱、燈明、本。ニコライとスヴャトスラフのレーリヒ父子の回顧展は、1984年に美術館の現在の建物「ルーニンの家」で開催された最初の展覧会となった。
この前衛的な絵画はウズベキスタンで描かれた。「立体未来派」(クボ=フトゥリズム)の絵画と伝統的な東洋美術のモチーフを組み合わせている。ラクダとそれを御する者のシルエット、そしてバルハン(三日月砂丘)のリズムを見分けることができる。美術館では、この絵のすぐわきに視覚障害者向けの3D触覚複製がある。
高官を描いたこの肖像画は、李氏朝鮮時代の絵画の好例だ。肖像画はとても普及しており、その特徴は、人物の外見を最も正確に再現することだった。だから、この肖像画では、顔にシミさえ見える。
李氏朝鮮時代のこの儀式用の兜は、戦闘ではなく、宮廷儀式で用いられた。庇の下部に刻まれた漢字は、この鎧が指揮官のものであることを示す。兜の鉢の前部には、力と勇気を象徴する龍が描かれている。
中国の伝統的な肖像画は、その人物の死後に制作されたが、それでも外見の細部に細心の注意が払われた。肖像画の分野は、職人の領分と考えられていたため、作者は不明だ。画讃には、チャン・メイ(長い眉毛)が85年の生涯を終えてこの世に別れを告げたと記されている。
このユニークな水差しは、2つの時代と2つの国を組み合わせている。基部は、白地にコバルト色で蓮と菊の文様が描かれた、貴重な中国磁器だ。おそらく元の器は割れてしまったため、イランの職人が、金属フレームを作って第二の命を吹き込んだ。エンボス加工(浮き出し加工)で洗練された模様が施されており、湾曲した注ぎ口の端には、丸いロゼットがあり、それには彩色された栓が付いている。
東洋美術館のコレクションには、仮面を含む、アジア諸民族の祭具が数多くある。この恐ろしげな展示品は、十八の病の悪魔「マル・ラクシャ」の仮面だ。中央には悪魔自身の姿があり、その両側には病気や怪我が具象化されている。こうした祭具は、儀式――ここでは癒し――に使われ、家の中でお守りになることもある。
短剣「クリス」は、魔力をもつ聖物だ。その波型の刃は、冥界の女王である神話上の蛇「ナーガ」を表している。冠をかぶった彼女の頭が、刃の根元に付いている。
このような骨彫刻の傑作は、一種の玩具だった。名匠の透かし細工とにらめっこしつつ、骨の中に球が何個彫られているか数えてみるのもよいだろう。19世紀末以来、こうした透かし彫りの球はヨーロッパで大いに流行った。
東洋美術館には、チュクチ人の、骨で作った芸術が1コーナーを占めている。セイウチの牙の彫刻は、チュクチ人とエスキモーの伝統芸術の1つだ。芸術家たちは大抵、日々の暮らしや民話の場面を表現した。この牙はトナカイの橇レースを描いている。レースでチュクチの若者たちは、花嫁を選んだ。
この作品は、世襲の骨彫り師・彫刻家であるリディア・テユチナの手になる。彼女の祖父と父は彫刻家で、母はチュクチ初の女性彫刻家だった。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。