ネコのベゲモート。「巨匠とマルガリータ」の登場人物ヴォランドの手下で、巨大な黒猫
Kardashov Anton/"Moscow" Agencyボリシャヤ・サドヴァヤ通りにある6つ目のエントランスを入った4階の50号室。この部屋はモスクワでもっとも有名な住所だと言えるだろう。そう、これはかつてミハイル・ブルガーコフが住んでいた部屋であり、「巨匠とマルガリータ」の中で大舞踏会が開かれた場所である。
革命以前、ここには賃貸住宅があった。4〜6室あった部屋を裕福なモスクワ市民が借りていたのだが、その有名な住人の1人だったのが画家のピョートル・コンチャロフスキーである。この豪華な不動産は、オーナーだったイリヤ・ピギトに、当時の知事さえも手にすることがなかった4万5000ルーブル(!)という収入をもたらした。
「よくない部屋」がある住宅。1915年
Public domainしかし、ボリシャヤ・サドヴァヤ通りのこの住宅に住む人々の穏やかな生活は革命の後、終止符を打つこととなった。ここに共同住宅が建てられることになったのである。さらにクラブや食堂も作られた。浮き彫りで飾られた壁には横断幕が吊り下げられ、扇動用の本が持ち込まれた。
そして1921年、かつてのモスクワ女子高等課程の寮の敷地にあった部屋に、ミハイル・ブルガーコフは妻とともに移り住んだ。この部屋をブルガーコフは、「呪いの部屋」と呼んだ。
ブルガーコフの近隣の部屋には、警察官一家、奔放に、また静かに酒を飲むさまざまな面々、いつも息子を叱り飛ばしていたやかましいアンヌシカ・ゴリャエワなどが住んでいた。ブルガーコフはこの部屋に3年住んだ後、解放感とともに、まず別の階に引っ越し、その後、別の家に移った。
しかし、ある意味においてこの「よくない部屋」は彼の中にずっと棲み続け、彼は「密造酒の湖」、「巨匠とマルガリータ」の中でこの部屋を描写している。
1960年代になり、ボリシャヤ・サドヴァヤ通りの共同住宅から住人が退去するようになった。そして2007年、50号室に博物館がオープンした。ここでは、ブルガーコフの執筆用机や1920年代の家具が残るキッチンを目にし、リアリティあふれる芝居の中に入り込み、最近映画化された「巨匠とマルガリータ」の登場人物が身につけた衣装を見ることができる。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。