マヤコフスキーは、グルメというわけではなかった。なるほど、彼は、パリのレストランでフォアグラを味わい、クリミアのアイ・ペトリ山の頂上でシャシリク(バーベキュー)に舌鼓を打った。しかし、それでも彼は、シンプルな食べ物、たとえばドーナツなどが気に入っていた。マヤコフスキーは、子供の頃からドーナツが大好きで、学童時代には、自分とクラスメートにドーナツを買うためにもう少しお小遣いをくれ、と母親に頼んだこともあった。
若い頃、詩人は、燻製ソーセージとバランカ(輪形パンの一種)を食事にしていた。彼は、ペトロフスコ・ラズモフスコエ(当時はモスクワ郊外)にダーチャ(別荘)を借り、食費の上限を月3ルーブルにしていた。ネズミに齧られないように、食料を天井から吊り下げ、ソーセージに切り込みを入れた。0.5ヴェルショーク(1ヴェルショークは4.445センチメートル)のソーセージとバランカ2個が朝食、1ヴェルショークが昼食、そして0.5ヴェルショークが夕食になった。
そして、もう一人の詩人、イーゴリ・セヴェリャニンに、シャンパンの中で泡を発して輝くパイナップルのイメージを提案したのもマヤコフスキーだった。それは、クリミアで「第一回未来派オリンピック」が開かれたときのこと。詩人ワディム・バヤンに招かれたディナーパーティー中、マヤコフスキーは、パイナップルをシャンパンに浸して味見し、すぐセヴェリヤニンに、「驚くほどおいしい!」と、自分に倣うよう勧めた。そのとき、詩の冒頭部分が瞬時に生まれた。
シャンパンに浸したパイナップルについての有名な詩行は、この詩人が洗練されたデザートをうたった唯一のものではない。たとえば、彼は、ライラックのアイスクリームなんて代物の試食を勧めたりしている。「繊細な、この四角いものを食べてみてくれ。きっとこの一品が気に入るはずだ」
詩人パーヴェル・アントコリスキーは、あるときセヴェリャニンといっしょにレストランに出かけた。そして、セヴェリャニンが信じ難いほど洗練されたものを注文すると期待していた。しかし、ありふれたウォッカのボトルとキュウリのピクルスを注文するのをみて、ショックを受けた。
彼は、ロシアのラ・フォンテーヌとも言うべき作家で、多くの寓話を書いたが、何よりも食べることが大好きだった。より正確に言うと、彼の生活は、朝食、昼食、夕食、軽食…の無限の連鎖からなっていた。しかも、クルイロフは、一度に一人前に限定することなく、数杯のスープ、数枚のカツレツ、無数のピロシキ等々をたいらげた。パンケーキ(ブリヌイ)なら数十枚、牡蠣なら少なくとも80個を食べた。
皇室の謁見でも、彼は、あらゆる規則を破り、給仕が運んできたものをすべて貪り食った。しかも、量が少なすぎることに不満だった。あるときは、正餐を終えるとすぐに帰り支度を始めた――家では、まだ温かいウハー(魚のスープ)が彼を待っていたので。
彼の飽くなき食欲を知っていた友人知人は、クルイロフを招くときは、料理を余分に準備しようとした。彼一人で、その場に居合わせた者すべてを合わせたくらい食べることができたからだ。
この偉大な詩人は、食の好みについては「散文的」だった。彼の両親は、食に熱中することはなく、息子にも同様の態度を教え込んだ。乳母アリーナ・ロジオーノヴナは、彼のために「カリヤ」を料理した。これは鶏肉、野菜、燻製肉が入った濃厚なスープで、キュウリのピクルスまたはその漬け汁がいつも加えられていた。
また、プーシキンは、特別なレシピによるブリヌイ(パンケーキ)が好きだった。生地にビーツの汁が加えられたので、濃いピンク色になった。
プスコフ県ミハイロフスコエ村に流刑中は、詩人は弟に、「芥子、ラム酒、何かの酢漬け、そして本」を送るように頼んだ。
決闘で斃れたプーシキンは、生涯最後の数時間前、妻にクラウドベリーを持ってきてくれと言った。彼は数粒のベリーを食べ、ジュースを飲み、間もなく息絶えた。
スパスコエ・ルトヴィノヴォの領地で過ごした幼少の頃から、ツルゲーネフは、何でも欲しいものを与えられていた。地元の温室で採れたエキゾチックな果物、貯水池で採れた魚、牛乳、肉など、ほぼすべての食材がテーブルに並んだ。作家はとくに、鶏肉とその内臓のスープが好物だった。
あるとき、ツルゲーネフは、詩人アファナシー・フェートを招待した。ツルゲーネフの母親は、二人が旅立つに当たり、食べ物を詰めてくれた。ところが、荷車が路上の凸凹で跳ねるや、作家は悪態をつき始めた。子牛のカツレツの肉汁が彼の薬箱に溢れ出したのだった。フェートはこの珍事をおかしがった。詩人は、カツレツを齧りながら、ツルゲーネフが荷物を拭いているのを眺めていた。作家は、病気になるのを恐れて、薬箱を決して手放さなかったのだ。
パリでツルゲーネフは、ギュスターヴ・フローベール、エドモン・ゴンクール、エミール・ゾラ、アルフォンス・ドーデとともに、「5人ディナー」に参加した。彼らは月に一度集まり、文学やグルメについて語り合った。
詩人は食べることは好きだったが、食品そのものには注意を払わないことがあった。あるとき、レールモントフの従姉アレクサンドラ・ヴェレシチャーギナとその友人は、彼に悪戯しようと思いつき、おがくずを使ったパイを用意した。彼は、詰め物の奇妙な味に気付かずに1個を食べた。2つ目は、悪戯っ子自身が彼から取り上げ、“仕掛け”を認めた。 レールモントフは二人にひどく腹を立てた。
詩人は家で食べることを好んだ。昼食には、料理人が4、5品の料理を用意し、デザートにはアイスクリームを出したが、これが彼の好物だった。
彼は、ピクルスも大好きだった。あるとき、レールモントフは、コーカサスを訪れた「三文詩人」のところへ押しかけた。彼が、ピクルスの樽を持ってやって来たことを知ったからだ。この男が自作の詩を朗読している間に、レールモントフはキュウリを食べ、残りをポケットに押し込んで立ち去った。
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