1990年代ロシアのオルタナ・ファッションを代表するデザイナー6人

 メタラー、パンク、そして前衛アーティストたちは、チェキストのイメージや皇帝のシンボルまでも取り入れた。新生ロシアの黎明期のニューウェーブ・ファッションを振り返ってみよう。

エレーナ・フジャコワ 

 フジャコワの最初期のコレクションは1980年代末頃のもので、アヴァンギャルドの時代の衣裳の再解釈から出発した。彼女は綿入りキルティングコート(現在の若者の間で人気が再燃している)と作業服のリデザイン、さらにショルダーやホルスター型の装飾で名を上げた。

 後にフジャコワは西側のスタイリストたちの目にとまった。彼女自身が言うように、ソッツ・アートの流れを皮肉った彼女のデザインは、トレンドの源とも言われた雑誌The Faceにも登場。彼女自身もロンドンに拠点を移し、ファッション界で活動した。

ポルシキン兄弟

 双子のアリクとニコライは、いずれも専門は技術職だった。ロシアン・ロックに熱中してその界隈と近くなり、やがてロック関係者のための衣裳作りを始めた。2人はボヘミアンな集団と親交を深め、1990年代になると誕生間もないクラブ界隈向けに衣裳を作った。

 2人の最も有名なコレクションは、1993年に登場したFashFashionだろう。ミニマリスティックなイメージには、アンティファの要素も内包されている。最も重要な目標は、粗雑で頑迷なソ連的過去に対抗する新しい何かを創造することだったと、2人は語っている。

 ポルシキン兄弟が好んだ素材はシルクで、これを活かすことにおいては他の追随を許さなかった。注文を受けて多くの衣裳を作り、現在も活動を続けている。アリクはアートに転身したが、ニコライは麻繊維をベースとする新素材を活かしたコレクションを2016年に発表している。

アレクサンドル・ペトリューラ  

 画業を学び、現在ではヴィンテージ服のコレクターであるアレクサンドル・ペトリューラは、ソ連崩壊後のオルタナ・ファッションのパイオニアの1人だった。当初は、ロックコンサートのステージ・デザイナーとして出発した。1990年代はスコッタ―が国内で大発生し、クリエイティブな若者が集った。そうした集団の1つを企画したのがペトリューラで、彼の最初のファッションショーはそんな奇抜な場所で行われた。ショーはスコッタ―の 住人たちをキャストに、演劇めいた演出がなされた。

 ペトリューラが収集したソ連のヴィンテージはやがて大きなコレクションに成長し、テーマ毎に分けられた。収集した全てはファッション事典『The Empire of Things』としてまとまった。これは衣服と装飾から見たロシア史を12の「巻」で構成したもの。ペトリューラの衣裳は、芸術的実験を志した純粋なアートだった。後に彼はパフォーマンスと演劇に活動の主軸を移した。

デュエット「La-Re」

 ラリーサ・ラザレワとレギーナ・コズィレワは当初、アングラファッションショーのモデルだったが、後に協力して衣裳作りに取り組んだ。このデュエット「La-Re」は鮮やかで、人目を惹き記憶に残るスタイルだ。最も有名なコレクションは、イブニングドレス「Resnichki(まつ毛)」シリーズだろう。床まで届くぴったりフィットしたカットアウトドレスで、人口雪で作った1メートルもの長さの「まつ毛」で飾られている。

 2人は自分達のスタイルを「グラマー・パンク」と位置付けた。長い間、デュエットの名に「劇場」の接頭辞が付いたのは偶然ではない。2人のショーはスペクタクル要素を用いて行われていた。「La-Re」は、当時リガで開催されていたオルタナ・ファッションのフェスティバル「Untamed Fashion Assembly」にも度々招待された。

 「La-Re」の衣裳には、奇抜な素材が用いられた。例えば、パーティクルボードのおが屑を利用したり、装飾は路面電車に線路で轢かせた素材から製作した。1990年代末には、様々な技術的試みを行った。衣裳から部品が脱落したり、靴に時計の機構が埋め込まれたりした。残念ながら、デュエットは90年代で活動を終え、2人は別々の道に進んだ。ラザレワはジャーナリストに転身して、Men's Health誌のファッション・ディレクターを長年務めた。

ゴーシャ・オストレツォフ

 コンセプチュアル・アーティストとして有名なオストレツォフは、ファッションを芸術的ステートメントとして捉え続けた。衣裳作りを始めたのは、ロシア・アングラ界の父を自称した伝説的なガリク・アッサの提案だった。ショーは、スコッタ―「Detsky sad(幼稚園)」で行った。1980年代末のオストレツォフのコレクションでは、若者に子供用の玩具で作った服や靴を着せた道化師紛いのスタイルに仕上げ、当時の党の路線に異を唱えた。

 パリに居を移したオストレツォフはアーティスト、服飾デザイナーとして活動を続けた。しかも、デザイナーとしてはジャン・シャルル・ド・カステルバジャック、ジャン=ポール・ゴルチエ、KENZO(主に靴のコレクション)と協同した。ミレニアムをロシアで迎えたオストレツォフは現在に至るまでアート活動に携わり、コミックス・スタイルのディストピア絵画を制作している。

アンドレイ・バルテネフ


 バルテネフの作品を衣服と呼ぶのは難しい。むしろ、モデルと彼自身がキャットウオークを歩くオブジェであるとするべきか。リガの「Untamed Fashion Assembly」にも積極的に参加し、次から次へ奇妙な作品を披露した。巨大な果物人間や、潜水艦人間が登場した。バルテネフ自身は、自らの作品をデザインではなく、コスチューム・パフォーマンスと位置付けた(彼は舞台演出を専門に学んだので、それも不思議ではない)。

 こうした方向性で最も有名な彼のプロジェクトの1つは、メフィストフェレスの一行と想像上の旅をするための巨大な宇宙服のような衣裳を披露したショー『ファウスト』だろう。1990年代当時、隆盛を見せ始めていたクラブやアート・ギャラリーで開催されたこのようなショーやパフォーマンスは人気を博し、バルテネフ自身も不可思議なココシュニクや鮮やかな水玉模様のレオタードに身を包んで登場した。頭部や身体に奇妙な構造物をのせ、派手な蛍光色も大胆に使用した。

 ヨーロッパでは、バルテネフは何より衣裳デザイナーとして知られている。例えば、有名演出家のロバート・ウィルソンの作品にも参画している。バルテネフは1990年代の自分の作品群をカーニバル、あるいは挑発と幻想に満ちた抑えきれないショーだったと振り返っている。

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