ロシア文学名作100選:古代~現代の代表的名作はこれだ!

Alexander Kislov
 古代の物語からごく最近の現代小説まで、揺るぎない古典とみなされる名作のセレクションをお届けする。それらの多くは学校のカリキュラムに含まれている。

1.『イーゴリ軍記』(『イーゴリ遠征物語』)(遠征の史実は1185年)

 この「悲しい物語」は、イーゴリ公の遊牧民ポロヴェッツに対する遠征の失敗を描く。ロシア文学の現存する最古の作品の一つだ。遠征は1185年に行われている。

 この作品は、構造が非常に複雑で、英雄物語、歌、叙事詩など、いくつかのジャンルを吸収している。ロシア古代・中世文学の泰斗ドミトリー・リハチョフによれば、『イーゴリ軍記』執筆の目的は、イーゴリ公の遠征自体を詳細に示すことではなく、ロシアにおける封建的な分立、四分五裂の孕む問題を明らかにすることだった。

 この作品は、多くの作家に影響を与えており、19世紀以降、ロシアの詩人たちは、次々に「より現代的な翻訳」を行ってきた。

*日本語訳: 

・神西清 訳註 『イーゴリ軍記』日本ブック・クラブ 〈決定版 ロシア文学全集35 古典文学集〉、1971年。

・中村喜和 解説 『イーゴリ軍記・解説(pp.450-452)』日本ブック・クラブ 〈決定版 ロシア文学全集35古典文学集〉、1971年。

・木村彰一 訳註 『イーゴリ遠征物語』岩波書店、1983年。

その他

2.『アヴァクーム自伝』(1672年)

 実質的に、すべての古代ロシア文学は「聖者伝」のジャンルから始まる。年代記作者である修道士が、明確な規範に基づき、その聖人がいかに正しく生きたか、どのような奇跡を行ったかを記した。

 『アヴァクーム自伝』は、当のアヴァクームの生前において、しかも彼自身によって編まれたという点で他と異なる。その文章には、多数には特定の人物、場所が出てきて、暮らしの有様が事細かに描かれている。

 ちなみに、アヴァクームは奇跡についても触れており、自分がいかに人々を癒し、悪魔から救ったか、その事例を挙げている。

 『アヴァクーム自伝』の主題は、「背教者」であるニコン総主教の宗教改革と、ロシアの古儀式派(分離派)の誕生だ。その分裂ゆえに、アヴァクームは後に火刑に処せられた。

 彼の自伝は、その後ほぼ200年間発禁となっていたが、1861年に出版されると、大きな波紋を呼んだ。そして、トルストイ、ドストエフスキー、そして他の多くの作家に影響を与えた。

*日本語訳:

・中村喜和 編訳『ロシア中世物語集』(筑摩叢書 168)、1970年(ただし抄訳)。

3.ロシア民話

 ロシアの民話、おとぎ話は、世代から世代へと口頭で伝えられてきた。夜なべ仕事に、ラーポチ(靭皮を編んで作る草鞋)などをこしらえつつ、大人も耳を傾けた。

 それらは、日常生活に密着しつつ、道徳、動物、架空の生き物についての寓話だったり、王女や王子が出てくるおとぎ話だったり、多種多様だった。そして、これらが一つの基盤となって、国民性と文化的規範が形成されていった。

 ロシアの作家と詩人の誰もが、ロシア民話を聞いて育った。彼らの多くは、自分の作品に民話の筋をそのまま持ち込んだり、いろんな形で利用したりした。作家によるおとぎ話のなかには、あまりに国民の意識に深く根付いているため、どれが民話で、どれが作家のオリジナルか、皆が覚えているわけではない。ロシアの民間伝承の保存に多大な貢献をしたのは、アレクサンドル・アファナーシェフだ。彼は、主な民話を採集し、最も完全なコレクション『ロシア民話集』(1855~1863年)を刊行した。主な民話、おとぎ話について詳しくは、こちらをどうぞ。 

*日本語訳:

・中村喜和 編訳『アファナーシエフ ロシア民話集』、岩波書店、1987年。

4.アレクサンドル・ラジーシチェフ『ペテルブルグからモスクワへの旅』(1790年)

 高級官僚だったラジーシチェフは、いわゆる両首都――サンクトペテルブルクとモスクワ――の間を何度も旅行し、途中の村落で農民の生活をつぶさに見た。そして、ロシアの僻地の暮らしについて真実で悲観的なルポを書き、農奴制と社会体制の欠陥について、大胆極まる判断を示した。女帝エカチェリーナ2世は激怒して、この書物は発禁となり(ようやく、第一次革命が起きた1905年に出版された)、作者ラジーシチェフは、「プガチョフよりも悪い反逆者」と決めつけられた。ラジーシチェフは投獄され、死刑を宣告されそうだったが、「慈悲によって」シベリア流刑に減刑。こうして彼は、自分の著作で迫害された最初のロシア作家の一人になった。 

*日本語訳:

・渋谷一郎 訳、東洋経済新報社、1958年。

5.ニコライ・カラムジン『哀れなリーザ』(1792年)

 悲痛な物語だ。ある青年貴族が農民の娘を誘惑し、ある夜、愛を交わした後で捨ててしまう。この作品は、ロシアのいわゆる「センチメンタリズム」の作品の代表格とみなされている。

 『哀れなリーザ』は、それまで考えられなかった筋とまさに悲劇的な結末で読者を引きつけた。また、カラムジンは、大げさでことさらに「高尚な」スタイルは避け、単純、簡潔な言語を用いた最初のロシア作家の一人となった。

6.アレクサンドル・グリボエードフ『知恵の悲しみ』(1822~24年)

 この韻文による喜劇は、ロシア演劇における真の革命となった。単純な言語で書かれ、18世紀の古典主義のすべての規範を破壊し、最初のリアリスティックな劇になった。今日にいたるまで『知恵の悲しみ』は、ロシアの多数の劇場で上演されており、その主人公の名は普通名詞化している。

 舞台はモスクワ。時代は1812年の「祖国戦争」から10年後。自由主義的な見解をもつ青年アレクサンドル・チャツキーが外国から帰ってくる。彼は、子供のころ好きだったソフィーとの再会を夢見ており、彼女の父親に結婚の許しをもらうつもりだ。しかし、時すでに遅し。この若い娘は、チャツキーが嫌悪し軽蔑するろくでなし、モルチャリンに恋をする。「新しい人間」チャツキーは、疎外感を感じ、みんなと喧嘩する…。この劇の詳細についてはこちらをどうぞ。 

*日本語訳:

・小川亮作 訳、岩波文庫、1954年。

・倉橋健訳、世界文学大系 第89 (古典劇集 第2)、1963年。

7.アレクサンドル・プーシキン『エフゲニー・オネーギン』(1823~1830年)

 この韻文小説は、プーシキンの作品の頂点であり、「ロシアの生活の百科事典」ともみなされている。作者はこの作品で、地方の貴族の暮らしと農村の生活を描き、ある意味で俗っぽいサンクトペテルブルクと昔ながらのモスクワを描写する。

 首都サンクトペテルブルク出身の若い貴族オネーギンが農村にやって来て退屈し、気晴らししたいと思いつつ、何の気なしに悲劇とメロドラマに首を突っ込む。

 隣家の地主貴族の娘タチアナは、彼に愛を告白する(タチアナの恋文は、ロシア文学最高の愛の告白だろう)。ところが、オネーギンは、単なる気まぐれで、彼女の妹オリガに言い寄る。オリガには婚約者レンスキーがおり、彼はオネーギンの友人だった。レンスキーはオネーギンに決闘を申し込む…。

 プーシキンが独特の形式、いわゆる「オネーギン・スタンザ」を編み出しているため、この作品の翻訳は困難を極める。「オネーギン・スタンザ」は、明確な構造と韻のパターンをもち、作品全体で展開されている。

 しかし、そのオペラは世界中で人気を博することとなる――1877~78年にピョートル・チャイコフスキーは、この韻文小説をオペラ化した。

*日本語訳:

・木村彰一訳、講談社文芸文庫、1998年。

・池田健太郎訳、岩波文庫、1962年。

その他

8.アレクサンドル・プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』(1825年)

 この悲劇『ボリス・ゴドゥノフ』に基づいて、1869年には、作曲家モデスト・ムソルグスキーが有名なオペラを書いた。さらに、この作品は、さまざまな劇場で何度も上演され、映画化もされてきた。

 この悲劇の核心には、ロシア史のなかでも最も謎めいた一頁がある。すなわち、リューリク朝最後の後継者だったドミトリー皇子の殺害だ(事故死という説もある)。やがて、ドミトリー皇子を名乗る偽者がポーランドに支持されて来襲し、いわゆる「大動乱(スムータ)」の時代が始まる。こうした経緯から、民衆の意識にはこんな伝説が根付く。ボリス・ゴドゥノフが、自分が帝位に就くためにドミトリー皇子暗殺を命じたのであり、歴史は彼をそのために罰したのだ、と。 

*日本語訳:

・佐々木彰訳、岩波文庫、1957年。

9.アレクサンドル・プーシキン『ベールキン物語』 (故イワン・ペトローヴィチ・ベールキンの物語)(1830年)

 ロシア文学においてプーシキンは、主に詩人として評価されているが、しかし彼は、戯曲でも散文でも大いに力量を発揮した。

 たとえば、『ベールキン物語』は、エキサイティングな5篇からなる連作短編集だ。たとえば、貴族の令嬢をめぐる恋愛物がある。彼女は、ハンサムな隣人に会うために、農民の娘になりすました――二人の父親が対立しているからだ。

 ロマンティックな決闘の話もある。一方が他方に、自分の射撃は保留にし、しばらく後に再会しよう、と提案する。

 さらに、「偶然に」結婚してしまった将校についての信じ難い物語もある…。

*日本語訳:

・望月哲男訳『スペードのクイーン/ベールキン物語』(光文社古典新訳文庫)、2015年。

・神西清訳『スペードの女王・ベールキン物語』 、岩波文庫、2005年。

10.アレクサンドル・プーシキン『青銅の騎士』(1833年)

 この詩的な物語は、サンクトペテルブルクの真の賛歌だ。「我は汝を愛す、ピョートルの創造物よ」は、この作品の最も有名なフレーズの一つ。ピョートル1世(大帝)の騎馬像は、この街のシンボルだが、作品名「青銅の騎士」はその通称となった。

 この作品は、帝都の壮麗な描写に満ちているが、しかしストーリーは、悲しい事件をめぐって展開していく。プーシキンは、1824年に市内で起きた大洪水を描いており、それが物語の背景をなす。

 主人公エフゲニーは、婚約者の家が洪水に流され、彼女が亡くなったことを知る。彼は無我夢中で街を走り回り、自然災害の恐るべき惨禍を目の当たりにする。そして…。

*日本語訳:

・郡伸哉訳、群像社、2002年。

11.『スペードの女王』(1834年)

 この物語は、人がどれほどトランプ賭博に夢中になり得るかを如実に見せる。秘密の必勝の勝ち札を聞き出すために、若い工兵士官ゲルマンは、年老いた伯爵夫人の寝室に入り込む。彼女は、恐怖のあまり死ぬが、その幽霊がゲルマンに現れて、勝ち札「3、7、1」を教える…。ところが彼は、賭博の最中に、エースの代わりに、スペードの女王を手にする。そこには、老伯爵夫人の顔が現れていた…。

 この作品は、ヨーロッパで大成功を収め、ピョートル・チャイコフスキーはこれに基づいて同名のオペラを書いた。

*日本語訳:

・郡伸哉訳、群像社、2002年。

12.『大尉の娘』(1836年)

 18世紀にロシアのほぼ全土を席巻したエメリヤン・プガチョフ率いるコサック・農民の大反乱を背景としている。しかし、これは何よりも、これは名誉、貴族の義務、そして愛についての物語だ。

 主人公の若きピョートル・グリニョフは、国境付近の僻遠の要塞へ軍隊勤務に向かう。途中、見知らぬ人が、大吹雪のなかで道に迷わぬように助けてくれる。感謝したグリニョフは彼に、自分の毛皮外套を贈る。そしてそれが後に彼の命を救う。なぜなら、見知らぬ人は、まさにプガチョフその人だったからだ。

 この小説は、後に格言となったフレーズだけ考えても、読む価値がある。すなわち、「神よ、我ロシアの反乱を見ずに済むように――それは無意味で無慈悲だ」

 プーシキンは、反乱を率いたアタマン、エメリヤン・プガチェフの人物像に非常な関心を抱いており、この小説のほか、歴史研究『プガチョフ反乱史』も書いている。 

*日本語訳:

『大尉の娘』 神西清訳、岩波文庫、2006年3月

『大尉の娘』 川端香男里訳、未知谷、2013年 

『大尉の娘』 坂庭淳史訳、光文社古典新訳文庫、2019年

その他

13.ミハイル・レールモントフ『現代の英雄』(1839年)

 レールモントフはプーシキンに次ぐ、ロシア第二の詩人とみなされており、ロマン主義的な美しい抒情詩や叙事詩を多く書いたことで貴重だ。しばしばそれらの詩では、善と悪、高尚なものと低劣なもの、自由と束縛が対置されている。

 『現代の英雄』は、レールモントフ唯一の散文小説だ。主人公ペチョーリンは、プーシキンのオネーギンを彷彿とさせる。彼は冷淡で、人を愛することができず、単なる気晴らしのために自分の命を危険にさらす。

 この小説は、数章で構成され、それぞれがペチョーリンの人生のエピソードを語っている。彼を描く視点にも独自の工夫がみられ、最初、読者は、第三者の目から主人公について読まされるのだが、レールモントフは次第にそのレンズを主人公に近づけていく。そして最後には、彼自身から、一人称で告白がなされる。 

*日本語訳:

・中村融訳、岩波文庫、1981年。

14.ニコライ・ゴーゴリ『ディカーニカ近郷夜話』(1829~1832年)

 この連作短編集の舞台は、ロシア帝国の小さな村(現在はウクライナ領)。ウクライナはかつて「小ロシア」と呼ばれたことがあった。ゴーゴリは、ウクライナ語の言葉に加え、この地方の生活、習慣、伝統、農村の暮らしぶりを見事に描いている。

 『ディカーニカ近郷夜話』の物語は多種多様で、ほとんどホラー風の怖い話も含まれている(『五月の夜(または水死女)』や『恐ろしき復讐』など)。あるいは逆に陽気な話もある(『降誕祭の前夜』)。しかし、いずれも邪悪な力、悪霊と強く結びついている。

 同時代人たちはこの短編集を賞賛した。たとえば、プーシキンは、その言語とイメージの鮮やかさに感嘆した。 

*日本語訳:

・平井肇訳、岩波文庫、1937年。

15.ニコライ・ゴーゴリ『ミルゴロド』(1835年)

 この作品集は、『ディカーニカ近郷夜話』の続編とも考えられるが、はるかに深くシリアスだ。4つの物語はすべて独立しているが、やはりウクライナの民間伝承に基づいている。

 4作のうち2つはとくに有名で、何度も映画化されている。

 『タラス・ブーリバ』は、コサックとその二人の息子の物語で、父子は戦場に赴く。愛、裏切り、そして息子殺し…。「わしがお前を生んだのだから、今度は殺してやる」は、名文句として流布した。

 なかでも有名な作品は『ヴィイ』である。神学校生が若い娘を教会で弔っていると、娘は棺から起き上がる…。この作品にもとづいて、何本かのホラー風映画が撮られている。ロシア文学最恐の作品かもしれない。

16.ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』(1835年)

 ゴーゴリ自身はこの作品を、散文で書いたにもかかわらず、叙事詩と呼んでいた。古代の叙事詩に通じるのは、その形式だ。主人公チチコフは、いくつかの「地獄の圏」をさ迷う。オデュッセウスが彷徨しつつ、いろんな怪物に遭遇するのを想起させる。

 また、この「叙事詩」には、ロシアとロシア人についての、長い「叙情的逸脱」が含まれている。この作品は、ゴーゴリの創作の頂点と見なされており、ロシア的魂を理解するための主要な鍵の一つだろう。

 小貴族パーヴェル・チチコフが小さな町にやって来て、自分の地位を高めるために、地主のふりをする。しかし、問題がある――彼は、ただ一人の「魂」、つまり農奴も所有していないのだ(ロシア語の魂「ドゥシャー」には、農奴の意味もある)。そこで彼は、ロシアの官僚機構の隙間に付け込んで、詐欺を企てる。

 地主はみな、自分が所有する農奴のリストをもっていたが、それは数年に一度しか更新されなかった。そのため、農奴が死亡しても、次の改訂までは、生きているものとしてリストに残っており、地主はその農奴に割り当てられた国税(人頭税)を払わなければならなかった。

 チチコフは、地主たちを訪れて、そうした「死んだ魂」を売ってくれと頼む。チチコフは、そうやって安く買い集めた農奴を担保にして、銀行から大金を借りるつもりだった。しかし、こうした提案への反応は、地主ごとに、十人十色だった…。 

*日本語訳:

・平井肇、横田瑞穂訳、岩波文庫、1977年。

・中村融訳『ゴーゴリ全集5』、河出書房新社、1981年。

・東海晃久訳、河出書房新社、2016年。

17.ニコライ・ゴーゴリ『検察官』(1835年)

 汚職、追従、権力の一般人への態度などについての、ロシア喜劇の代表作の一つで、戯曲として書かれている。今でも多数の劇場で上演されている。

 舞台は小さな地方都市。ある日、住民らは、首都から検察官がお忍びでやって来るという噂を聞きつける。町のお歴々は、検察官を怖がるあまり、ある小役人をその超重要人物と取り違える。その役人は、たまたまこの街に来たにすぎず、トランプ賭博で素寒貧になっていた。しかし彼は、市長やその部下をはじめ、皆の誤解を解くことを急がない。それどころか、彼は、大層な歓待を利用してやろうと思い、賄賂を受け取り、さらには市長の令嬢と結婚しようとしさえする…。 

*日本語訳:

『検察官』米川正夫訳、岩波文庫、1961年

『査察官(検察官)』浦 雅春訳、光文社古典新訳文庫、2013年

その他

18.アレクサンドル・ゲルツェン『誰の罪か?』(1841~1846年)

 小説の題名は、ロシア人の心を占める主要な問題の一つだろう。この小説は、作家・思想家・革命家のアレクサンドル・ゲルツェンが書いた。これは、ロシア・リアリズムの最初の作品の一つと考えられている。

 作者は、人の性格と人格の形成における教育の影響を探求している。主人公が不幸であるのは誰の責任なのか?ゲルツェンは、教育を受け、自分の頭で考える人間と、怠惰な生活を送る人々との鋭い対照を示している。

 この作品はまた、愛と真の相互理解の重要性についての小説でもある。

*日本語訳: 

・上脇進訳、改造社、1949年。

19.イワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』(1847~1859年) 

 これは、ロシア的な怠惰に関する小説だと言える。この作品のおかげで、ロシア語の日常会話に「オブローモフシナ(オブローモフ主義)」という概念が根付いた。

 作者ゴンチャロフの主人公、イリヤ・オブローモフは、ひたすらソファーに寝そべっている。彼は、領地と資産をもつ貴族だ。つまり、国のために勤務したり、生活のために働いたりする必要はない…。忠実な召使が、彼のために何でもやってくれる。こういうオブローモフと対照的なのが、意志的で活動的なアンドレイ・シュトリツだ。

 しかし、オブローモフが夢のような「眠り」から一時に抜け出したことがあった。恋に落ちたときだ。だが彼は、結婚までこぎつけることができるだろうか?

 作者が、怠け者のオブローモフの側にも、合理主義者のシュトリツの側にも立っていないのは興味深い。

 ロシア的怠惰について詳しくは、こちらをどうぞ。 

*日本語訳:

・米川正夫訳、岩波文庫、1948年。

・井上満訳、ロシア・ソビエト文学全集:平凡社、1965年。

・木村彰一・灰谷慶三訳、講談社・世界文学全集、1983年。 

20.イワン・トゥルゲーネフ『猟人日記』(1847~1851年)

 この短編連作集は、トゥルゲーネフが故郷の領地で見聞した実話に基づいて書かれた。作家は、ロシアの僻地においてさまざまな人間模様が織り成す世界の全体を、その生活の葛藤、問題とともに示している。

 短編は、文芸雑誌『現代人』に一つずつ掲載され、その後、単行本として出版された。この作品は画期的だと認められた――ロシア民衆の全体像をこれほど幅広く捉えたのは、トゥルゲーネフが最初だったからだ。 

*日本語訳:

・佐々木彰訳、岩波文庫、1958年。

・工藤精一郎訳、新潮文庫、1972年。

・中山省三郎訳、角川文庫、1990年。

21.イワン・トゥルゲーネフ『ムムー』(1852年)

 この短編小説は、ロシア文学で最も有名で悲痛なものの一つだろう。主人公の農民ゲラーシムとその愛犬ムムーは、普通名詞化している。ネタバレを避けるため、次のことだけ述べておこう。この作品では、帝政時代に横暴な地主貴族がいかに農奴を嘲弄し、彼らの暮らしや気持ちを歯牙にもかけなかったかが見事に描かれている、と…。 

*日本語訳:

・中村融訳「ムムー」『ロシヤ短編集』河出書房《市民文庫》、1953年。

・矢沢英一訳「ムムー」『犬物語』白水社、1992年。

22.イワン・トゥルゲーネフ『貴族の巣』(1856~1858年) 

 トゥルゲーネフは、貴族という階層のはらむ問題に取り組み、さらにロシアと西欧の対立や、道徳的原則の問題にも焦点を当てている。

 ヨーロッパの生活に失望したラヴレツキーは、「大地を耕す」ために、ロシアの自分の領地に戻ってくると、隣家の貴族の令嬢リーザと恋に落ちる。二人は相思相愛となり、やがて、ヨーロッパに残っていた妻の死を知った彼は、リーザに求婚する。だが突然、妻が生きていることが分かり、リーザは傷心を抱いて、修道院に去る…。

 この小説は、いわゆる「トゥルゲーネフ的女性」のイメージを形作った。それは、「貴族の巣」で育った、信じがたいほど強い精神をもつ若い令嬢だ。この小説の題名も、普通名詞化して使われている。 

*日本語訳:

小沼文彦訳、岩波文庫、1952年。

23.イワン・トゥルゲーネフ『父と子』(1860~1861年)

 若いアルカージー・キルサーノフは、学生で「ニヒリスト」の友人エヴゲーニー・バザーロフといっしょに父親の家に帰ってくる。バザーロフは、医者になるために勉強していて、将来は、民衆の中で働き、彼らに奉仕するつもりだ。彼は、宗教を含むあらゆる権威を否定し、アルカージーの父や叔父と議論する。彼らは、貴族で自由主義者だ。しかし、さしものニヒリストも、愛には抵抗できない…。

 ロシアの作家たちは、それまでにも世代間の対立のテーマに触れたことはあった(たとえば、グリボエードフの『知恵の悲しみ』)。しかし、このテーマを極限まで突き詰めたのがトゥルゲーネフのこの小説だった。彼はまた作中で、洗練された貴族を嘲笑する一方、新しい進歩的な主人公を示した。彼にとって、真の人生は仕事のなかにあり、怠惰な暮らしのなかにはない。 

*日本語訳:

・佐々木彰訳、講談社文庫。

・金子幸彦訳、岩波文庫、1960年。

・工藤精一郎訳、新潮文庫、1998年。

24.レフ・トルストイ『幼年時代』(1852年)

 ロシア文学で初めて人間心理を深く描き出した作品の一つ。トルストイは、子供の目を通してさまざまな出来事や感情を描き出す。これは、彼の自伝三部作の最初の作品であり、作者は、自分自身を掘り下げて、さまざまな感情の性質を理解しようとする。すなわち、怒り、恥ずかしさ、気おくれ、不安など、子供が経験するすべての感情を微細に分析する。

 主人公は幼いニコライ(ニコーレンカ)だ。彼は、最愛の母親を田舎に残して、父親といっしょにモスクワに向けて出発する。その後、彼女は病で亡くなり、主人公の幸せな幼年時代はそこで終わりを告げる。 

*日本語訳:

・藤沼貴訳、岩波文庫、1968年。

25.レフ・トルストイ『戦争と平和』(1863~69年)

 トルストイの代表作で、世界的に有名な、4巻からなる叙事詩的な一大長編。これは、いくつかのロシアの家族の物語であり、重要な歴史的事件、主にロシアとナポレオン治下のフランスとの間の戦いを背景にしている。若々しい恋愛、裏切り、不倫、そして戦争…。トルストイは多数のさまざまな登場人物(ナポレオンを含む)に入り込んで、彼らの視点から語る。いずれも、信じ難いほど深く、多種多様だ。大長編を読破する余裕がない人には、オスカーを受賞したセルゲイ・ボンダルチューク監督のソ連映画を見ることをお勧めする。 

*日本語訳:

・藤沼貴訳(岩波文庫 全6巻、2006年)、ワイド版2014年。

・望月哲男訳(光文社古典新訳文庫 全6巻、2020年1月 - 2021年9月)。

・工藤精一郎訳(新潮文庫 全4巻、改版2005-2006年)。

・北御門二郎訳(東海大学出版会 全3巻)。

その他

26.レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1873~77年)

 トルストイによるもう一つの名作。しかし、『戦争と平和』とは異なり、作者はここでは国全体をひっくり返した歴史的大事件ではなく、現代の家族生活における幸福と不幸の性質に焦点を当てている。このテーマは、『戦争と平和』の執筆から必然的に生まれたもので、作家は並々ならぬ関心を抱いていた。ちなみに小説には、トルストイ自身に驚くほど似た主人公コンスタンチン・レーヴィンが出てくる。彼は、世俗的な生活を離れ、農民といっしょに畑を耕し始める。 

*日本語訳:

・中村融訳 「アンナ・カレーニナ」 岩波文庫(上中下)、改版1989年。

・木村浩訳 「アンナ・カレーニナ」 新潮文庫(上中下)、再改版2012年。

・望月哲男訳 「アンナ・カレーニナ」 光文社古典新訳文庫(全4巻)、2008年。

・北御門二郎訳 「アンナ・カレーニナ」 東海大学出版会(上下)、新版2000年。

その他

27.レフ・トルストイ『復活』(1889~1899年)

 トルストイの最後の長編小説で、彼は、自分の最高の作品だと考えていた。これは、自堕落な将校の「贖罪」の物語だ。彼は、叔母の純情な召使を誘惑し、お金を渡して、軍隊生活に戻っていく。彼にとって、それは束の間の情事にすぎなかったが、少女の人生は破壊された。

 二人は、約10年後に法廷で再会することになる。彼は、人生に退屈した陪審員であり、彼女は被告だ。彼女の悲惨極まる境遇を知って、主人公は、大きな内面の転換を経験する。彼は、シベリア流刑となった彼女を追って、彼女の生活を少しでも和らげようとする…。

 この小説は、トルストイ自身の精神的な葛藤を反映しており、人生の意味、優しさ、そして人々への奉仕についての彼の思索の到達点だと考えられている。 

*日本語訳:

・木村浩訳 『復活』 新潮文庫(上下)、改版2004年。

・藤沼貴訳 『復活』 岩波文庫(上下)、2014年。旧版・講談社「世界文学全集」。

・北御門二郎訳 『復活』 東海大学出版会 新版2000年。

・原卓也訳 『復活』 中公文庫 全1巻。中央公論社「世界の文学」。

・中村白葉訳 『復活』 河出書房新社版「全集」・旧訳版 岩波文庫(上下) ほか。

・米川正夫訳 『復活』 筑摩書房・平凡社の「世界文学全集」ほか。

その他

28.アレクサンドル・オストロフスキー『雷雨』(1859年)

 最も有名なロシアの戯曲の一つ。舞台は、架空の地方都市だ。家父長的な商家、カバノフ家で、若い嫁カチェリーナは、義母の虐待と夫の無関心に苦しんでいる。カチェリーナは、実家の愛情のこもった雰囲気に慣れていた。カチェリーナは別の男と恋に落ち、密会するが、街の噂、誹謗中傷に耐えられず、義母の前で夫に告白する。もはやカチェリーナには、一つの道しか残っていなかった…。

 当時の批評家はこのヒロインを「闇の王国の一筋の光」と呼んだ。彼女は、因習で固まった人々よりも、深く広く考え、周囲の状況ではなく心の求めるままに生きようとした。

29.アレクサンドル・オストロフスキー『持参金のない娘』(1874~78年) 

 これも、オストロフスキーによる深刻な社会劇で、いわゆる「打算的な結婚」をめぐり、重要な問題を提起する。

 美しいラリーサは、男性にちやほやされているものの、未亡人の母親と暮らす彼女には持参金が全然ない。母親は、適当な男性を物色しつつ、さまざまな客を迎える。娘は、いっそのこと最初に出会った人と結婚しようかと思っている…。やがてラリーサは、裕福な船主パラトフに恋をし、彼は彼女の魅力に抗えず、一夜をともにする。ところが朝、彼は、自分にはもう別の裕福な花嫁がいると白状する。ラリーサに関心をもっていた他の商人たちは、くじ引きで、つまりコインを投げて決めようと提案する…。

 この劇は当初、批評家たちには冷淡に迎えられた。彼らは、「誘惑された愚かな娘」についてのお決まりの作品だと思ったが、この作品は、ロシアの演劇全体に影響を与えた。それは、社会に逆らうことを恐れなかった強い女性像のおかげだ。一方、この劇には、名誉と尊厳を忘れた男たちの社会も見事に描かれている。

 モスクワとサンクトペテルブルクの劇場での上演は大成功を収め、エリダール・リャザノフ監督の映画『残酷なロマンス』(日本では、原作の『持参金のない娘』が題名に用いられている)もこの戯曲に基づいて製作された。

30.ニコライ・チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』(1862~63年)

 チェルヌイシェフスキーは、この小説を監獄で書いた。彼は、社会に革命的な気分を広めたとして投獄されていた。

 『何をなすべきか』は真のセンセーションを呼び起こした(後に、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンもこの小説を愛読した)。小説の体裁の背後には、新しい経済的、社会的現象、フェミニズム、ニヒリズムについての深い思索が隠れている。さらに、ロシアには必然的に革命が起きるという考えがはっきりと読み取れる。

 チェルヌイシェフスキーのこの小説は、ある程度、トゥルゲーネフの『父と子』に対応している。しかし、ニヒリストのバザーロフの代わりに、チェルヌイシェフスキーには、別のタイプの「新しい人々」が何人か登場する。彼らは、ラディカルな思想をもち、社会に奉仕しようと試みる。 

*日本語訳:

・金子幸彦訳、岩波文庫、1978年。

・浪江啓子、新読書社、1985年。

31.ニコライ・レスコフ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1864年)

 レスコフは、ロシア以外ではあまり知られていないが、西側ではシェイクスピアの血塗られたヒロインをテーマにした彼の作品が映像化されている。

 物語は、オリョール県(現在は州)ムツェンスク郡に住む、商人の若妻カチェリーナ・イズマイロワをめぐって展開する。彼女の夫はいつも仕事であちこちに飛び回っており、彼女は一人で、裕福な家で倦怠に苦しみ、美男子の店員セルゲイに惚れ込む。二人は激しい恋に落ちるが、これが偶然、義父の知るところとなる…。愛人を救うために、カチェリーナは、殺人を犯す決意をする。しかも、殺すべき相手は一人だけではない。

 同時代の批評家たちは、この作品を激賞した。レスコフは、商人の生活の「闇」を見事に描き出した。そして、金と欲にまみれた一家の生活の鮮やかな描写がついには、普遍的な「悲劇のルボーク(版画)」に結晶している。 

*日本語訳:

・神西清訳、岩波文庫、1951年。

32.ニコライ・レスコフ『左利き(トゥーラのやぶにらみの左利きと鋼鉄の蚤の物語)』(1881年)

 ロシア皇帝がイギリスを訪れ、そこで、技術の真の奇跡、すなわち自然な大きさの(つまり極小サイズの)鋼鉄製の蚤を見せられる。ロシアでは、これに応えて、イギリス人を驚かせる方法を考えつく。そして、トゥーラ市の兵器工場のやぶにらみで左利きの職人は、途轍もないことをやってのけた。その鋼鉄製の蚤に蹄鉄を打ったのだ。左利きの職人には褒美が与えられるが、喜びのあまり泥酔し、死んでしまう。

 レスコフの時代、過度の飲酒はロシア全体の災厄となっており、この悲しい物語は「ロシア的な」性格に光を当てている。

33.フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』(1865~66年)

 貧しい学生ロジオン・ラスコーリニコフは、やっとのことでやり繰りしており、質屋の老婆から借金せざるを得ない。物乞いさながらの暮らしにやりきれなくなり、彼は、哲学的に自問自答する。「俺は震え慄くちっぽけな生き物なのか、それとも俺にはその権利があるのか」。自分は「他人と同じようなシラミにすぎないのか、それとも人間なのか」。

 自分はシラミなどではなく、運命を自ら決定できることを自分に証明するために、ラスコーリニコフは犯罪をおかすことを決意する。すなわち、老婆を殺すことを…。.

 ドストエフスキーは思索する。暴力とは何か、人はどんな状況に追い込まれ得るか、どんな極端な行動に出ることを余儀なくされるか――殺人や売春にさえも…。ヒロインのソーニャ・マルメラードワは、家族の生活を支えるために娼婦となった。

 この小説は、人生の意味の探求について、文豪の重要な見解を示している。

*日本語訳:

・新潮文庫版 工藤精一郎訳、1987年、改版2010年。

・岩波文庫版 江川卓訳。旧版は中村白葉訳。

・光文社古典新訳文庫版 亀山郁夫訳、2008年秋~09年夏。

・角川文庫版 、米川正夫訳、旧新潮文庫版。

・中公文庫版、池田健太郎訳 上・下巻。元版は「世界の文学 ドストエフスキイ」中央公論社、新装版1994年。

34.フョードル・ドストエフスキー『白痴』(1868年)

 ドストエフスキーは、邪悪で不道徳な人間の描写の深さにおいて他の追随を許さない。しかし、この小説では、単に肯定的人物であるだけでなく、ほとんどキリスト的な特徴を備えたほぼ理想的な人物を示すこととした。

 そのムイシュキン公爵は、純朴で、人を信じやすく、率直で、様々な人物の様々な情念の渦の中心に、心ならずも引き込まれる。周りには嘘つきや酔っ払いもいるが、それでも彼は、自分を見失うことはない。そして、誰もが「淪落の女」と決めつけている女性に対しても、その美質と運命を洞察し、心から同情する。

*日本語訳:

・亀山郁夫訳 『白痴』 光文社古典新訳文庫、2018年。

・木村浩訳 『白痴』 新潮文庫(上下)、改版2004年/『全集 9・10』(新潮社)。

・望月哲男訳 『白痴』 河出文庫(全3巻)、2010年。

・米川正夫訳 『白痴』 岩波文庫(改版 上下)/『全集 7・8』(河出書房新社)。

・北垣信行訳 『ドストエフスキイ 白痴』 講談社〈世界文学全集42・43〉。

・小沼文彦訳 『ドストエフスキー全集 7 白痴』 筑摩書房。

35.フョードル・ドストエフスキー『悪霊』(1871~72年)

 悪魔的と言いたいほど美男子のスタヴローギンが外国から地方都市に戻ってくると、不可解な放火と殺人、そして政治的陰謀が持ち上がる。これは、ドストエフスキーが焦眉の問題を扱った小説の一つだ。そして、ロシアに新たに生じたラディカルで民主的な気分への彼の反応でもある。当時、ロシアでは、いくつかのテロリスト・グループが現れて、革命的な思想が社会に広まった。 深い宗教心をもつ愛国者ドストエフスキーは、これらすべてに鋭く反応し、西欧派とニヒリストを非難した。 

*日本語訳:

・亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫、2011年。

・江川卓訳 『悪霊』 新潮文庫(上下)、改版2004年。

・米川正夫訳 『悪霊』 岩波文庫(上下)。

・小沼文彦訳 『ドストエフスキー全集 第8巻 悪霊』 筑摩書房。

・池田健太郎訳 『悪霊 新集 世界の文学15・16』 中央公論社、1969年。

36.フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1878~1880年) 

 ドストエフスキーの最も重要な小説の一つであり、信仰、道徳、義務、愛に関する彼の思索の真髄だ。この驚くべき物語は、探偵小説の形態をとる。つまり、作者は筋を刑事報告の形で運んでいく。

 3人の息子のうちの1人は、父殺しで告発された。金銭問題と微妙な恋愛が事件に絡んでいる。息子と父親は、若い美女をめぐって争っていたらしい。さらに小説の末尾では、作者は、法廷の長い場面と目撃者、検事、弁護士の発言を示し、読者を最後までサスペンスに釘付けにする。 

*日本語訳:

・原卓也訳、新潮文庫。

・亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫。 

・米川正夫訳 岩波文庫。

その他

37.ミハイル・サルティコフ=シチェドリン『或る町の歴史』(1870年)

 ミハイル・サルティコフ=シチェドリンは、ロシア文学を代表する風刺作家で、しばしばゴーゴリと比較される。

 架空の都市グルーポフ(「グループイ」は「愚か者」の意味)の年代記。作者は、ロシア全体およびその歴史を風刺している。幾人かの市長の時代を記した年代記の体裁だ。これらの市長はすべて賄賂を受け取り、無知で罪人である。しかも、読者に最大の嫌悪感を与えるために、作者は全員にグロテスクな特徴を与え、筋では、寓話とファンタスマゴリー風の手法を駆使している(ファンタスマゴリーは、18世紀末にフランスで発明された、幻灯機を使った幽霊の見世物)。 

*日本語訳:

・『シチェドリン選集』第6巻「ある都市の歴史・堕落の子」、西尾章二・西本昭治訳、未來社、1986年。 

38.ミハイル・サルティコフ=シチェドリン『ゴロヴリョフ家の人々』(1880年)

 サルティコフ=シチェドリンは、登場人物たちを容赦しない。地主の生活の絶望的な様相を描き出す。これは、ある貴族の家庭における没落と破滅の物語だが、それは実は、ロシア貴族全体のことなのだ。

 作者は、トゥルゲーネフとはまったく異なる「貴族の巣」を示す。すなわち、家族の価値観の牧歌的な拠り所ではなく、地主の暮らしの衰退と荒廃、そして無関心と偽善を。

 おそらく、これは、今の流行りの言葉で言えば、家庭内の強烈な「毒」を描いた、最初の文学作品だろう。横暴で怒りっぽい母親、お金を蕩尽しつくした怠惰な息子、軽騎兵と駆け落ちした娘…。この小説は同時代の人々に熱狂的に受け入れられた。 

*日本語訳:

・『シチェドリン選集』第7巻、西本昭治訳、未來社、1986年。 

39.ニコライ・ネクラーソフ『誰にロシアは住みよいか』(1874年)

 『誰にロシアは住みよいか』は、その形式において、主人公が放浪する古代の、ホメロス風の叙事詩を彷彿とさせるほか、ロシアのおとぎ話的、民話的な要素もある。

 詩の筋は次のようだ。さまざまな村から来た七人の男が熱くなって議論している。題名にもなっているが、いったい誰にとってロシアは住みよいのかについてだ。ある者は、地主は幸せに暮らしていると言う。他の者は役人だと言い、また他の者たちは、司祭、商人、貴族、皇帝を挙げる。七人は、本当に幸せな人を見つけるために、ロシア全国を旅することにした…。しかし、いったい幸福とは何なのか、彼らはそれを見つけることができるのか?

 政府の検閲は、この詩を見逃さなかった。ネクラーソフは、修正しつつ、一語一語のために戦わなければならなかった。

 この詩は、農民の窮状を明らかにし、農奴制を批判する。そして、それを廃止した改革も、地主と農民の暮らしをいよいよ苦しくしただけだったと暴露する。

 ネクラーソフは、ロシアの女性の運命についても心を痛めていた。彼女たちの容易ならざる運命は、作中で見事に描かれている。 

*日本語訳:

谷耕平訳、岩波文庫、1961年。

40.アントン・チェーホフの短編小説群(1885~1903年)

 チェーホフは短編の真の名手とされている。「簡潔さは才能の妹だ」という金言を吐いたチェーホフは、500以上の短編小説を書いたが、それらは深みと芸術性の点で、他の作家の長大な作品に勝るとも劣らない。

 チェーホフは、作家・劇作家として成功を収めたが、生涯にわたって医師としての仕事も止めなかった。彼は診察するなかで、多種多様な人間像を目の当たりにした。

 チェーホフには多くの優れた短編があるが、なかでも次の作品は重要だ。『六号室』は、狂気とそれがいかに人の生活に浸透するかについて語る。『可愛い女』では、ヒロインが夫に献身するあまり、完全に夫の興味に同化するが、なぜか男は次々に死んでいく…。『箱に入った男』は、自分の殻に閉じこもり、全世界から身を隠そうとした、孤独な男の悲喜劇だ。 

*日本語訳:

・『チェーホフ全集』 神西・原・池田編(全16巻、中央公論社)-最終2巻は書簡集。

・『チェーホフ全集』 松下裕訳(全12巻、筑摩書房)-ちくま文庫で新版刊行。

・『チェーホフ・ユモレスカ』 松下裕訳(全3巻、新潮社)。

・『チェーホフ小説選』、『チェーホフ戯曲選』 松下裕訳(水声社)。

・『チェーホフ・コレクション』 工藤正廣・児島宏子・中村喜和訳(全23巻、未知谷)。

41.アントン・チェーホフ『三人姉妹』(1900年)

 モスクワ芸術座から委嘱された戯曲『かもめ』と『ワーニャ伯父さん』が成功した後、チェーホフは、新しい劇を書いた。それは、ロシア内外の多くの劇場のレパートリーに残っている。

 3人の姉妹は、新時代のものの見方をしている。父親は既になく、弟といっしょに暮していて、しばしば来客がある。姉妹は計画を立てる――地方の町を出て、モスクワに移り、働き、有意義なことをやる…。でも、彼女らの憧れは憧れにとどまり、会話は会話に終わる…。 

*日本語訳:同上

42.アントン・チェーホフ『桜の園』(1903年) 

 零落した女地主ラネーフスカヤは、借財のために、見事な桜の果樹園とともに自宅を売却せざるを得なくなった。ヒロインが怖気を振るったことに、買い手が現れて、「樹を切り倒し、土地を分割して、夏の別荘として貸す」ことを申し出る。

 劇は、桜の園に響く斧の音で終わるが、これは貴族の生活の終焉を象徴する。新しい世界と生き方は、古いものを容赦なく攻撃する。

 執筆の1年後、コンスタンチン・スタニスラフスキーとウラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコが、モスクワ芸術座で上演し、大成功を収めた。 

*日本語訳:同上

43.マクシム・ゴーリキー『どん底』(1902年)

 自らも放浪生活を送ったことのあるプロレタリア作家ゴーリキーが書いた。彼の最も有名な戯曲で、社会の最下層を見事に描き出した。この戯曲を読んでトルストイは驚いて、ゴーリキーに尋ねた。「なぜ君はこんなものを書いたのか?」。トルストイは、大衆がこの劇に興味を示そうとは思わなかった。それは、浮浪者の宿泊所が舞台で、娼婦やアルコール中毒者があけすけに描かれているから。しかし、陰鬱だが真率なこの劇は、モスクワ芸術座の舞台だけでなく、ドイツでも大成功を収めた。 

*日本語訳:

・安達紀子訳、群像社、2019年。

・中村白葉訳、岩波文庫、1936年。

44.マクシム・ゴーリキー『母』(1906年)

 革命と労働運動についての小説。工場労働者のパーヴェル・ヴラーソフは、革命思想に傾倒し、友人たちと社会問題について話し合い、プロレタリアートの抑圧に関するパンフレットを配るようになる。パーヴェルは逮捕されてしまうが、母親は、彼の代わりにパンフレットを配り始める…。

 1926年、ソ連の映画監督フセヴォロド・プドフキンは、この小説に基づいて無声映画を製作。これはソ連映画の古典的名作となった。 

*日本語訳:

・井上満訳、角川文庫、1967年。

45.マクシム・ゴーリキー『幼年時代』(1913~14年) 

 トルストイと同じく、ゴーリキーも、自伝三部作を書いている。第一作『幼年時代』は、ニジニ・ノヴゴロドでの少年の暮らしと成長について語る。驚嘆すべき、明るく多彩な物語だ。母性愛、祖父の折檻、街での「人生の学校」。これらの「人生の学校」を自分で体験したゴーリキーは、非常に雰囲気豊かに、ロシアの地方の生活を描き出している。 

*日本語訳:

湯浅芳子訳、岩波文庫、1968年。

46.レオニード・アンドレーエフ『血笑記(赤い笑い)』(1904年) 

 アンドレーエフのスタイルは、指紋のようなものだ。他の作家のそれと混同することはあり得ない。彼の繊細というより神経質な文学的世界は、さまざまな思考、言葉、メタファーがぎっしり詰まっている。

 『血笑記(赤い笑い)』は、日露戦争たけなわの頃に書かれており、いわゆる「銀の時代」の最も才能のあるロシア作家の一人が、戦争の恐ろしさについて生々しく語っている。

 語り手は、砲兵将校で、戦闘の真っ只中にいる。彼は、執拗な「赤い笑い」に悩まされている。これは、無意味な戦争により引き起こされた幻覚で、血みどろの戦いのメタファーになっている。戦争は「恐ろしい死の氷」でもあれば、「赤い空気」でもあり、蘇った死者と「赤い笑い」の幻視であり、さらには自他を狂わす殺人的な狂気だ。

 戦争への深い肉体的嫌悪感を呼び起こす反軍国主義の作品があるとすれば、それは確かに『血笑記』だ。 

*日本語訳:

・『二葉亭四迷訳『血笑記』(『二葉亭四迷全集 第八巻』1981・岩波書店・所収)』。

47.レオニード・アンドレーエフ『七死刑囚物語』(1907年) 

 アンドレーエフの散文は、言ってみれば火炎瓶のようなもので、神秘主義と宗教、実存主義と象徴主義が混ざり合って、強烈な印象を生む。

 「恐ろしいのは、死そのものというよりは、死ぬことを知ったことだ。もし人が死ぬ日時を正確かつ確実に知ることができれば、生きることはまったく不可能だ」

  アンドレーエフは、陰鬱な『七死刑囚物語』にこう書いている。この作品は、死刑宣告された革命家たちを題材にしている。彼のこの中編は、生と死に関する強烈な作品であり、作家の内面の状態は、死すべき登場人物たちの感情と響き合っている。 

*日本語訳:

・小平武訳、河出書房新社、1975年。

48.アンドレイ・ベールイ『ペテルブルク』(1913年) 

 哲学者ニコライ・ベルジャーエフは、アンドレイ・ベールイについてこう述べた。「彼は、存在の奥底までロシア人であり、ロシアのカオスが彼をかき立てている」。そしてベルジャーエフは、この象徴主義の作家をドストエフスキーとゴーゴリの伝統を継ぐ者と呼んだ。

 詩人ボリス・パステルナークは、ベールイをマルセル・プルーストと比較し、ジェイムズ・ジョイスを「アンドレイ・ベールイの弟子」と呼んだ。

 モダニズム小説『ペテルブルク』には、1703年にピョートル大帝が築いた帝都が描かれている。ある面で抽象的な「旅行小説」だが、作中でこの都市は、1905年の第一次ロシア革命を背景として、それ自体が独立した芸術的イメージとなる。 

*日本語訳:

・川端香男里訳、講談社文芸文庫、1999年。

49.エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920年)

 ザミャーチンは、そのディストピアにおいて、個人の完全支配の原則に基づく全体主義国家を見事に描き出した。小説の舞台は、遠い未来の都市だ。そこでは、あらゆるものが同一のスケジュールに従い、強制収容所のように、個人名が文字と数字に置き換えられる(D-503、O-90など)。全世界は単一国家となっており、そこに住む全市民は、昼夜を問わず厳格極まるスケジュールを守る必要があり、恋愛、セックスさえも厳しく規制されている。

 ザミャーチンの『われら』には、恐ろしいリアリティーがあるが、皮肉やアレゴリーもある。「我々は歩む。百万の頭をもつ単一の体として。そして我々一人一人の中には、慎ましやかな喜びがある。おそらく、分子、原子、食細胞もそうした喜びをもって生きている」

 ザミャーチンの小説は、少なくとも4人の文学的天才、つまりジョージ・オーウェル、カート・ヴォネガット、オルダス・ハクスリー、ウラジーミル・ナボコフの世界観に影響を及ぼした。が、ザミャーチンの生前にロシアで出版されることはなかった。このディストピアの完全版は、1924年に初めて英語で刊行されている。 

*日本語訳:

・川端香男里訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年。

・小笠原豊樹訳、集英社〈集英社文庫〉、2018年。

・松下隆志訳、光文社古典新訳文庫、2019年。

50.イワン・ブーニン『ミーチャの恋』(1924年)

 ブーニンは、悩ましい愛を描いたこの悲痛な作品において、「ビザンチンの目」をもつ青年ミーチャの心理的ポートレートを描く。

 彼は、私立演劇学校の学生カーチャに熱烈な恋をする。しかし、周知の通り、愛から嫉妬へは一歩だ。とくに愛が報われず、絶望的で、取り返しのつかない場合は、一歩が「ピストルの一撃」となる。

 「天国でも地上でも、愛ほど恐ろしく、魅力的で、神秘的なものはない」とブーニンは書いている。彼は何と正しかったことか!

*日本語訳:

・『ブーニン作品集』(全5巻)、群像社。

51. イワン・ブーニン『暗い並木道』(1944~1949年)

 ブーニンは、造形的なイメージの豊かな短編の名手だ。その彼は、官能的な愛の表現において、すべてのロシア作家のなかで最も大胆だろう。

 「おそらく、私たち一人一人のなかには、とくに大切な愛の記憶や、特別深刻な愛の罪がある」。こう彼は書いている。

  ブーニンは、名高い短編集『暗い並木道』で、情熱、欲望、愛の表現をまったく新しいレベルに引き上げた。この作品は、愛の舞台裏、「感情教育」、ものの見方の対立、葛藤をテーマとしている。

 

*日本語訳:

・『ブーニン作品集』(全5巻)、群像社。

52. ユーリー・オレーシャ 『三人ふとっちょ』(1924年)

 オレーシャは、彼の『話の話』とも言うべき『三人ふとっちょ』を発表するや、一躍有名になった。それは、ヨーロッパ文学全体からしても画期的な作品だった。コンセプトは革新的で、精神はドン・キホーテ的に奇抜であり、驚くほど表現力豊かだ。

 さて、小説の舞台は、底なしに貪欲な貴族が支配する国であり、三人の太った男が率いている。  トゥッティという名の孤独な少年が彼らの跡継ぎになるはずである。彼は、他の子供と遊ぶことは許されていない。唯一の「人生の伴侶」は、人形のスオクだ。しかし、そうお先真っ暗というわけでもなかった。一人の大胆不敵な科学者が、登場人物たちが「明るい未来」への希望を見出すのを助ける。それは、武器職人のプロスペローと曲芸師ティブルが率いて起こした反乱のさなかだった…。

 『三人ふとっちょ』を愛読して育った子供と大人は、もう何世代にもなる。多くの言語に翻訳されており、世界中で愛され、知られている。

*日本語訳:

・『三人ふとっちょ』田中泰子訳、学習研究社、1970年。

53. ユーリー・オレーシャ『羨望』(1927年)

 『羨望』は、ユーリー・オレーシャの文学上の頂点だ。「私は、何世紀も残る本を書いたと確信している」。こう作者自身が断言している。

 小説の主人公ニコライ・カヴァレロフは、知識人であり、夢想家であり、詩人であり、ソ連の現実におけるアウトサイダーだ。強烈な目的意識をもつ、食肉加工工場の責任者アンドレイ・バビチェフは、これと正反対である。

 カヴァレロフは、「肉屋」のバビチェフのようにはなれない。羨望が彼の運命だ。カヴァレロフは、囚人が自由を夢見るように名声に憧れる。

 「わが国では、栄光への道は、様々な障壁によって塞がれている…。才能ある人は、なすすべもなく衰えていくか、大騒ぎをやらかしてでも障壁を持ち上げるか決めなければならない」

 カヴァレロフは、共産主義建設という周囲の現実に適応できなかったオレーシャ自身の分身だ。

*日本語訳:

・『羨望』(『世界文学全集 : 20世紀の文学』31巻所収)木村浩訳、集英社、1967年、1977年。

54. イサーク・バーベリ『オデッサ物語』(1924年)

 「(*ユダヤ人である)バーベリは、時には『身内』ならでの無遠慮さと該博な知識をもって、生き生きとユダヤ人について書いた」。アメリカの作家ジョン・アップダイクはこう述べている。

 バーベリの『オデッサ物語』は、「輝ける」ユダヤ人ギャングとその不動の親分、ベン・クリクについて話を含み、一時代のアメリカ人作家の多くに影響を与えた。バーナード・マラマッド、ソール・ベロー、フィリップ・ロスをはじめ、犯罪者や暗黒街を舞台に、自身の文学的探究を行った。

 オデッサで生まれたバーベリは、こうした多彩な人間曼陀羅のなかで、ほぼ常に板挟みの状態にあったが、「現状維持」を試みつつ、ユダヤ人としてのルーツを保とうとした。この作品について言えば、ユーモアのおかげで、バーベリは、登場人物たちとなれ合わず、といって冷たく突き放さずに、微妙に距離を置くことができた。

*日本語訳:

・中村唯史訳、群像社ライブラリー、1995年。 

55. ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓』(1925年)

 1925年に書かれたこの中編小説は、ロシアではようやく1987年に出版された。ソ連の検閲は、イデオロギー上の理由で発禁にしていた。

 舞台は、1920年代半ばのソ連。作品の中心にいるのは、モスクワの天才的な外科医、プレオブラジェンスキー教授(モデルはブルガーコフの叔父だと考えられている)。彼は、前代未聞の奇想天外な科学実験を行う。野良犬を捕まえて、人間の脳下垂体と睾丸を移植するのだ。その結果、犬は人間の姿になるが…粗暴な酔いどれになってしまう。このかつての野良犬は、ポリグラフ・ポリグラフォヴィチ・シャーリコフと名乗り、どんな酔漢にも負けずに酩酊したり、喫煙したり、口汚く罵ることができる。そしてすぐさま、教授が所有していた、モスクワの7部屋のアパートに御輿を据える。

 間もなく分かるのだが、「犬が噛みつくのは、単に『犬の生活』(ひどい生活という意味)のせいではなかった」。「社会的責任が軽くなった」せいでもあって、それで、あちこちに傍若無人に噛みつくのだ。  

 なるほど、科学的観点からすれば、教授の実験は、驚異的な世界的成功を収めたわけだが、ブルガーコフは、カフカの顰に倣うかのように、こんな「変身」に対して警告する。

 「リーホ(不幸)が静かなときは、それを目覚めさせるな」(“Не буди лихо, пока оно тихо”)。

 「リーホ」は、不幸、災難という意味だが、それは、片目の悪霊の名でもある。このリーホに出くわすことは、災厄、死の予告となる。

*日本語訳:

 ・水野忠夫訳、河出書房新社、2012年。

 ・『犬の心臓・運命の卵』(増本浩子訳)、新潮文庫、2015年。

56. ミハイル・ブルガーコフ『白衛軍』(1925年)

 ブルガーコフは、キエフ(キーウ)(当時はロシア帝国に含まれていた)で、大家族に生まれた。彼が子供の頃に浸っていたとても暖かい雰囲気は、伝説的な戯曲『トゥルビン家の日々』と壮大な長編『白衛軍』にも反映していた。

 『白衛軍』は、レフ・トルストイの衣鉢を継いで書かれた、優れた歴史小説であるだけでなく、ロシア版『フォーサイト家物語』でもある。

 『白衛軍』では、1918年末の凄惨な内戦に巻き込まれたロシア知識人の家族とその近親者が描かれる。

*日本語訳:

・中田甫・浅川彰三訳、群像社、1993年。

57. ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(1940年)

 ブルガーコフのこの傑作長編は、作家の死から26年後の1966年、フルシチョフの「雪解け」の時期にようやく日の目を見た。これは、1930年代にモスクワを訪れた「悪魔」についての叙事詩的な小説だ。

 ブルガーコフの形而上学的作品における「悪魔」は、一筋縄ではいかぬ存在で、まさしく「永遠に悪を望み、永遠に善を行うその力の一部」だ。

 このヴォランド(悪魔)は、官僚的で非人格的なソビエトという新しい「悪」に対置される。しかし、唯一の救済は、自己犠牲と人間性に満ちたマルガリータによる、魔女風の「愛の飛行」だ。実人生においてもそうであるように。

*日本語訳:

 ・水野忠夫訳、岩波文庫、2015年。

 ・法木綾子訳、群像社、2000年。

 ・中田恭訳、三省堂書店、2016年。

 

58. イリヤ・イリフとエフゲニー・ペトロフ『十二の椅子』(1927年)

 魅力的な詐欺師で山師のオスタップ・ベンデルと、そのナイーヴな相方で元貴族のキーサ・ヴォロビャニノフは、ペトゥホワ夫人のダイヤモンドを探しに出かける。夫人は、革命の混乱のさなか、居間にあった椅子の一つの張地に、ダイヤを縫い込んでいたのだが、椅子はぜんぶで12ある。宝探しの道中、二人組は、「偉大なる計画者」にふさわしい驚天動地の冒険を企てる!

 二人組の作家のカルト作品はあっという間に売り切れ、何世代もの読者を1920年代のソ連の雰囲気に浸らせてきた。この作品は、日常生活の風刺や民衆のユーモアの宝庫であり、さらに、ソビエト権力とイデオロギーを密かにまた巧妙に皮肉っている。

*日本語訳:

・江川卓訳、世界ユーモア文庫〈2〉、1977年。

59. イリヤ・イリフとエフゲニー・ペトロフ『黄金の子牛』(1931年)

 「おーいフィガロ! あっしはここにフィガロ」(『セビリアの理髪師』)。ただし、これは、ソ連の風刺文学の話だ! 『十二の椅子』の山師のオスタップ・ベンデルは、死んだはずだったが、なぜか生き返り、今度は100万ルーブルを手に入れて、子供の頃からの「クリスタルドリーム」を実現しようとする。つまり、リオデジャネイロに永住しようというのだ。なあに、大したことはない。莫大な遺産を相続したコレイコという会計係の金を奪えばいい。ベンデルにとって不可能という文字はない! 

*日本語訳:

・上田 進訳、世界大ロマン全集〈第17巻〉、1957年。

60. ミハイル・ショーロホフ『静かなドン』(1928~1940年)

 ソビエト作家、ミハイル・ショーロホフは、22歳のときに『静かなドン』を書き始めた。1965年、彼はこの4巻の大長編でノーベル文学賞を受賞し、20世紀ロシア文学の最重要作品の一つと認められた。第一次世界大戦と内戦の間のドン・コサックの生活についての壮大な歴史絵巻は、汗と血、無恥と残酷さ、苦悩と欲望に溢れている。

*日本語訳:

・横田瑞穂訳、岩波文庫。

61. アンドレイ・プラトーノフ『チェヴェングール』(1928年)

 ノーベル文学賞を受賞した詩人ヨシフ・ブロツキーは、この作家をプルースト、カフカ、ベケットに匹敵すると考えた。そのプラトーノフは、ソ連の社会主義社会建設というユートピア的な計画を犀利に描き出し、そのイデオロギーの官僚主義的な不条理を微細に暴き出した。

 『チェヴェングール』は、プラトーノフの唯一完成した長編小説。ネップ(新経済政策)期のソ連における生活の楽屋裏を暴露する。題名になっているチェヴェングールは共産主義の理想郷で、共産主義が猛烈なペースで導入されたものの、その結果は破局だった。

 スターリンによる集団化を目の当たりにしたプラトーノフは、それを悪魔的と言ってもよいほど犀利に描き出している。

 この小説は、出版される予定だったが、ソ連の検閲官は、イデオロギー上の理由で、土壇場でそれを撤回した。検閲官は、この作品が体制を動揺させ、社会主義建設の思想を脅かすとした。プラトーノフは、自分は小説を「異なる意図」で書いたと主張したが、誰も聞く耳をもたなかった。ペレストロイカ期の1988年にいたるまで、この作品は完全な形で出版されることはなかった。

*日本語訳:

・工藤順と石井優貴の共訳で、2022年6月に作品社より刊行。 

62. アンドレイ・プラトーノフ『土台穴』(1930年)

 『土台穴』は、カフカを思わせる暗く難解な小説であり、一見すると、ソビエト共産主義の利点を描いているようにも読める。一団の人間が、あるところで「永遠に快適な生活を約束する共同住宅」の土台となる穴を掘り続けている。すべての人がいつか幸せに暮らせるようにと…。

 だがプラトーノフは、労働者、技師、農民、官僚を描きつつ、飢餓と死を浮かび上がらせる。彼らは、あらゆる善なる感情から「解放」されて、昼も夜も終わりなき無意味な建設を続ける。

 1929~1930年に書かれた『土台穴』は、スターリン主義と抑圧的な官僚制度に対する辛辣な風刺だ。それらは、希望、信仰、そして人間性を破壊する。しかし彼は、人間的な感覚と感情や欠いた集団主義の正体を暴露しており、その点で、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い起こさせる。

*日本語訳:

亀山郁夫訳、国書刊行会〈文学の冒険〉、1997年。

63. ニコライ・オストロフスキー『鋼鉄はいかに鍛えられたか』(1934年)

 この小説は累計3600万部も刊行され、ソ連で最高の部数を記録。ある程度自伝的な作品で、主人公パーヴェル(パーヴカ)・コルチャーギン主人公の伝記を通じて、ソビエト国家の形成を描いている。庶民出身のパーヴカは、我慢強さと勤勉さで際立ち、無私無欲に働き、やがて赤軍に加わり、さらに秘密警察「チェーカー」(反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会)に入る。

 主人公の人生の道を通して、作者オストロフスキーは、恐ろしい矛盾を孕んだ、若きソビエト国家の生活を多様な側面から示す。

 しかし、小説のテキストは、イデオロギー上の問題により、作者の同意を得なかったものも含め、何度も変更されている。初めて、オリジナル版が刊行されたのはようやく、ペレストロイカ期の1980年代後半のことだ。 

*日本語訳:

・金子幸彦訳、岩波文庫、1955年。

・袋一平訳、角川文庫、1958年。

・中村融訳、平凡社、1964年。

・横田瑞穂訳、新日本出版社、1974年。 

64. ウラジーミル・ナボコフ『断頭台への招待』(1938年)

 ナボコフがドイツで書いた最後の小説で、その後、1937年に彼は、フランスに移住した。ナチス・ドイツの厳しい現実は、この傑作に反映しているが、しかし彼は、この小説を政治パンフレットと一面的にみなされることに反対した。

 ナボコフは、『断頭台への招待』を自分の最高傑作であり、「散文で書いた唯一の詩」と考えていた。それを何と呼ぼうとも、一つ確かなことがある。それは、「俗悪なもの」が権力を振るうことに抗する、時代を超えた傑作だということ。そして「昔ながらの、天与の物書き」がそれといかに戦うべきかを語っている。

*日本語訳:

・富士川義之訳、集英社(世界の文学8 ナボコフ)、1977年。

・『コレクション(2) 処刑への誘い/戯曲2篇』小西昌隆・毛利公美訳、新潮社、2018年。

65. ウラジーミル・ナボコフ『賜物』(1938年)

 ナボコフがロシア語で書いた最後の長編で力作だ。彼の創造の一つの頂点と広くみなされている。哲学的に言えば、メタフィクションだ。ケーキ「ナポレオン」風の重層的な構造をしていて、それぞれの層が深い実存的意味を孕んでいる。

 『賜物』のエピグラフには、一見単純極まりない、学校の文法教科書の文が掲げられている。  

 「樫は木です。鹿は動物です。雀は鳥です。ロシアは祖国です。死は不可避です」

 すべて明白だ。我々の人生は、矛盾に満ちた無数のディテールからなっている。ナボコフの時代を超えた『賜物』は、生と死について、そして両者の間が僅か一歩にすぎぬことについて語る。

*日本語訳:

・大津栄一郎訳、白水社 1967年/改訳版・福武文庫(上下)、1992年。

・沼野充義訳、河出書房新社〈世界文学全集 第2期・10巻〉、2010年(ロシア語原典版の訳)。

・『コレクション(4) 賜物/父の蝶』、沼野充義・小西昌隆訳、新潮社、2019年。 

66. ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(1955年)

 ナボコフの最も有名な小説だ。まず英語で書き、12年後に自らロシア語に翻訳した。これは、ある大人の男(ハンバート・ハンバート)の物語だ。彼は、道徳的な羅針盤を失っていたが、ロリータという12歳の少女において人生の愛を見つけ、その結果、慣習とタブーを破る。

 しかし『ロリータ』は、罪に関する小説ではなく、極度の執着と自己呵責の物語だ。

*日本語訳:

・『ロリータ 魅惑者』(若島正・後藤篤訳)、新潮社(ナボコフ・コレクション5)、2019年。

67. ミハイル・ゾーシチェンコ『レーラとミンカの物語』(1937~1945年)

 稀なユーモアのセンスを備えていたゾーシチェンコは、作家の仕事を鉛白の製造になぞらえた――いずれも毒があるということで。

 これは、彼の自伝的な物語であり、1937~1945年に書かれている。彼の真価を示す、一種のリトマス紙あるいは名刺のような小説だ。彼は、最も過小評価されたソビエト作家の一人で、この作品は彼の精神の広さと暖かさを示している。

 『レーラとミンカについての物語』は連作集で、主に子供たちのために書かれているようだが、大人たちもみな、この作品のなかに多くの知恵と悲しみを見出すだろう。

68. ダニイル・ハルムス『老婆』(1939年)

 生前のハルムスは、「大人のために書いた」作家としては人気がなかった。彼は主に、子供向けの詩人として知られていた。

 ハルムスは、ロシア文学における不条理とシュルレアリスムの伝統の創始者の一人だった。そのため、彼の主要な作品は、文学愛好家の小さなサークルには知られていたものの、ソ連では刊行できなかった。

 ハルムスの中編『老婆』は、彼の散文の頂点であり、ロシア文学における最も謎めいた神秘的な作品の一つだ。カミュやサルトルなど、欧州の実存主義の流れに呼応している面がある。

*日本語訳:

・『ハルムスの世界』 増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳、ヴィレッジブックス 2010。 

69. ミハイル・ゾーシチェンコ『日の出の前に』(1943年)

 『日の出の前に』は、非常に個人的な、告白風の物語だ。ここでゾーシチェンコは、自分自身に対する精神分析医であり、あらゆる恐怖、コンプレックスを容赦なく解剖する。すなわち、内心深く秘められていた子供時代のトラウマ、恐れ、不安、そして様々な恐怖症。つまり、水、食べ物、雷、自分の体、貧困、異性その他への恐怖だ。

 こうした個人的な苦しみ、体験は、一切を暴露しつくすリアリズムで描き出されており、1943年に最初の数章が出版されるや発禁となったほどだ(スターリンが『日の出の前に』を嫌悪していたことが知られている)。

 ゾーシチェンコの、この「恐怖の百科事典」とも言うべき作品は、ようやく1973年に米国で完全版が刊行されている。

70. エヴゲニー・シュヴァルツ『ドラゴン』(1944年)

 この劇作家は、第二次世界大戦中にその力作の一つを書いた。残酷なドラゴンが小さな町の住民たちを恐怖に陥れている。住民たちは、絶えず新たな犠牲者を怪物に捧げなければならない。あるとき、エリザの番が来る。住民らは、不平一つこぼさず、哀れな娘を守ろうと試みさえしない。過去400年間続いている慣わしに逆らっても仕方ないというわけだ。

 それでも、群衆に付和雷同しない者もいる。大胆不敵なランスロットは、生来の正義漢で、ドラゴンを殺そうと決心する。

 シュヴァルツの幻想的な戯曲には、行間を読むことができる人へのメッセージが秘められている。すなわち、邪悪な怪物とはいつでも戦わなければならない!

 「子供向けのホラー」みたいに見えるが、「ドラゴン」はスターリン、ソビエト政権、全体主義へのあからさまな批判だ。劇は1943年に初演されたが、その直後から、長年にわたり上演禁止となった。

71. ワレンチン・カターエフ『連隊の子』(1944年)

 ワレンチン・カターエフは、子供の目、感覚を通して戦争について語ろうとしたソ連初の作家だ。戦時中、多くの孤児が赤軍の連隊に保護され、そのなかには「連隊の子」となった者もいた。そうした子供が何人か知られているが、誰が主人公のモデルになったのかは不明だ。

 戦争中に両親を失った少年ワーニャ・ソンツェフが、斥候に発見される。少年は、銃後には戻らずに最前線の兵士たちといっしょにいたがり、後方に連れ戻そうとすると逃げ出す。その結果、少年は連隊に残ることを許され、戦闘任務について行くことさえあった。 

*日本語訳:

・西郷竹彦訳、(少年少女世界文学全集33 ; ロシア編第4巻)、講談社、1961年。

72. ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』(1945~1955年)

 第一次世界大戦は、ロシアにとってまさに大惨事となり、一世代まるごとを、そのさまざまな夢とともに葬り去った。

 モダニズムの名作『ドクトル・ジバゴ』のなかで、パステルナークは、壊滅的な戦争、革命の破壊的な力、希望の崩壊、そして人間精神の強さを壮大なスケールで描いた。

 『ドクトル・ジバゴ』はおそらく、欧米で最も有名なロシアの小説だろう。それは、「死のように強い」、比類のない愛について語っている。

 パステルナークは、この作品に10年間取り組み、1958年にノーベル文学賞授与が決まったが、ソ連当局の圧力で辞退を強いられた。 

*日本語訳

・江川卓訳『ドクトル・ジバゴ 上・下』(時事通信社、1980年/新潮文庫、1989年)。

・工藤正廣訳『ドクトル・ジヴァゴ』(未知谷、2013年)。 

73. アレクサンドル・ファジェーエフ『若き親衛隊』(1946年)

 この小説の初版は、戦後間もない1946年に出版された。独ソ戦(大祖国戦争)のさなか、地下に潜った若い労働者の偉業を物語っている。彼らは、クラスノドン市(ウクライナ東部)で、秘密のパルチザン組織「若き親衛隊」を組織し、ナチスと戦った。

 これは実在した組織で、そのメンバーのほとんどは、ドイツ軍によって残酷な拷問の末に処刑されている。

 ファジェーエフは、実際の目撃証言を集めたたうえで、彼らについて書いた。ところが、本が出たとき、スターリンは厳しく批判した。反ファシスト闘争における共産党の役割を軽視したというのだ。

 そのためファジェーエフは、小説を書き直さなければならず、第2版(改訂版)は1951年に出版された。

*日本語訳:

・黒田辰男訳、三笠書房、1952年(旧版の翻訳)。

・黒田辰男訳、青木文庫、1953年(改訂版の翻訳)。

74. アレクサンドル・ソルジェニーツィン『収容所群島』(1958~68年)

 ソ連の強制収容所(グラグ)に関する世界で最も有名な本だ。ソルジェニーツィンが10年間かけて書いた。この作品は、7部からなっており、ソ連における弾圧、粛清のシステムがいかに築かれたか、その歴史と実際について語っている(グラグ «ГУЛАГ» は、「強制労働行政機関」 «Гла́вное управле́ние лагере́й» の略語だ)。

 この作品は、さまざまな収容所で約8年間過ごした作者の個人的な印象と、彼が話をした250人以上の囚人の話に基づいている。

 第1巻が1973年12月にパリで出版された直後に、ソルジェニーツィンはソ連から追放され、彼のそれ以前の作品はすべて破棄された。

*日本語訳:

・『収容所群島 1918-1956 文学的考察』各・全6巻、木村浩訳。

75. ヴァルラーム・シャラーモフ『コルィマ物語』(1954~1973年)

 『コルィマ物語』は、強制収容所を描いた他の小説とは非常に違う。何よりもソルジェニーツィンの『収容所群島』とは異なり、シャラーモフはその彼と手紙で激しく論争している。

 シャラーモフは、主として人間について語っている。すなわち、強制収容所の条件の下で魂と肉体に何が起こり得るかについて。

 作者によれば、強制収容所の目的は、人を押しつぶし、個人とその人格を破壊し、大抵の場合、人を物理的に破壊することだ。

 強制収容所で19年間過ごした後、シャラーモフは、絶望的に健康を損なうが、歴史上最も冷酷な弾圧のシステムの一つについて、残酷で真実で、恐るべき証言を人類に残した。

*日本語訳:

・高木美菜子訳『極北コルイマ物語』、朝日新聞社、1999年。

76. ワシリー・グロスマン『人生と運命』(1959年)

 「すべての人は、戦争で息子を失った母親に対して罪がある。そして、すべての人が、人類の歴史を通して、そうした母親に対し、空しい自己弁護を試みてきた」。この小説の作者はこう書いている。

 小説の事件は、1942年9月~1943年2月に、スターリングラード攻防戦を背景に起きる。『人生と運命』は、戦争のさまざまな惨禍、苦しみについての陰鬱で絶望的な小説であり、トンネルの終わりに光は見えない。

*日本語訳:

・齋藤 紘一訳、みすず書房、2012年

77. キール・ブルイチョーフ『アリサの冒険』(1965~2003年)

 これは、SF作家のキール・ブルイチョーフ(本名はイーゴリ・モジェイコ)による短編、中編のシリーズで、ぜんぶで50冊以上にのぼる!

 本だけでなく、有名なSF連ドラ『未来からの訪問者』(全5回)のほうも、ソ連のすべての子供が親しんできた。

 シリーズのヒロイン、アリサ・セレズニョワは、未来の遠い世界に住んでいる。この世界は、ソ連における「スチームパンク」のジャンルに則って設定されている。

 ユートピア的な共産主義がこの世界には君臨し、権力は存在せず、超自然的な能力をもつ科学者が管理している。惑星間旅行とタイムトラベルも可能であり、多くの点で理想的な世界だ。

 映画ではタイムトラベルが出てくる。アリサ・セレズニョワは、2084年の自分の世界から、100年前の1984年にやって来るのだ。

78. ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』(1969年)

 エロフェーエフは、当時、最高の教養人の一人だった。カントやライプニッツを空で自在に引用し、どんな交響曲も、ちょっと聞けば曲名が分かった。その一方で彼は、ソ連社会ではアウトサイダーであり、自由奔放なものの考え方のせいで大学を除籍になり、手当たり次第にいろんな仕事をして暮らさざるを得なくなった。

 モスクワの近くでケーブルを敷設しながら彼は、叙事詩風の小説『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』を書いた。散文ではあるが、ロシア文学においては、世界文学におけるダンテの『神曲』くらい重要かもしれない。ちなみに、ペトゥシキは、モスクワから東方に向かう郊外電車の終点だった。

 叙事詩の主人公は、モスクワのクルスク駅からモスクワ郊外の町ペトゥシキへ、妻と息子のところへ電車で向かう――ウォッカの瓶を片手に。ウォッカは、当時のソ連の生活から切り離せず、要するに過度の飲酒が蔓延していた。そして彼は、ソ連の「地獄」のすべての「圏」を通り抜ける。

 しかし、悲しいかな、この暗い詩には天国はない。ロシア文学で最後のスコモローフ(漂泊楽師)とも言うべきエロフェーエフは、笑いつつ、またすすり泣きつつ、ソ連時代への恐ろしいレクイエムを創った。

 その後、この詩は生き残ったものの、その作者はほとんど破滅してしまった――作家はアルコール依存症のせいで亡くなった。ソ連崩壊のわずか1年前のことだ。

*日本語訳:

・安岡治子訳『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』(文学の冒険シリーズ)、1996年。 

79. ストルガツキー兄弟『ストーカー』(原題は『路傍のピクニック』、1972年)

 アルカージーとボリスのストルガツキー兄弟が書いた小説のなかで最も人気がある(22か国で出版されている)。幻想的なディストピアで、英語圏の架空の町ハルモントを舞台にしている。

 小説に描かれた出来事の数年前に、エイリアンとその文明が地球にやって来たという設定だ。その後、いくつかの「ゾーン」が地球に残った。そこでは、異常な物理現象が発生し、未確認のさまざまな物体、物質が存在するという。

 小説の登場人物の一人によると、エイリアンにとっては、地球来訪は、路傍のピクニックのようなもので、彼らが残した現象や物体は、軽い食事の後に残されたゴミ(空のボトルや包装紙)みたいなものだという。あえて「ゾーン」に侵入して研究する地球人は、「ストーカー」と呼ばれる。アンドレイ・タルコフスキー監督は、この作品に基づいて1979年に映画『ストーカー』を製作した。

 作品の筋は、異常にねじれていて魅力的だ。これは、ストーカーの歩む道がそうだからだ。ストーカーは、とても人間的だが手の届かないもの――すなわち幸福――を求めて「ゾーン」に赴く。

*日本語訳:

『ストーカー』深見弾訳、ハヤカワ文庫、1983年。

80. エドワルド・リモノフ『僕だ――エディチカだよ』(1976年)

 リモノフのデビュー作で、最も有名な小説。これは、ロシアで初めて、20世紀後半の米文学のスタイルを織り込んで書かれた作品で、ソ連崩壊後に登場した(まずニューヨークで刊行されていた)。

 ロシア文学には、日常生活のディテールをこんなにあけすけに描いたものはなかった。これはたとえば、チャールズ・ブコウスキーの作品などの特徴だが、リモノフは、同性愛のそれを含む性行為と、その生理学的ディテールを事細かに描き、登場人物のマート(卑猥な罵言)も抑制しない。

 だが肝心なのは、詩の主人公が移民で、いわばソビエト帝国のかけらであって、その生の感情が語られていることだ。彼は、運命によって、新しい未知の人生に投げ込まれたのだった。

 この小説はすぐには出版されなかった。半年以上、印刷会社と出版社は、彼らの意見では、猥褻そのものの文章の印刷を拒んだ。

 しかしこの作品は、内容に加えて、困難を極めた初期ソビエト移民の生活を描いた、文学的記念碑だ。

81. ファジリ・イスカンデル『うさぎとうわばみ』(1982年)

 「私はロシアの作家だが、アブハジアの歌手だ」。アブハジアのスフミ市で生まれたイスカンデルはこう言ったことがある。彼は、アブハジアの叙事的な賛歌である傑作『チェゲムのサンドロおじさん』でノーベル賞にノミネートされた。

 一方、『うさぎとうわばみ』のほうは、ソ連の知識人の間でヒットした。これは、社会の上層と下層の関係についての哲学的な寓話だ。ウサギと蛇の国になぞらえている(盛んにプロパガンダしている国がモデルだ)。

 『うさぎとうわばみ』のフレーズの多くが人口に膾炙している。たとえば、「勝利について喧伝するところでは、真実は忘れられたか、それを避けている」。そして作者の名は、文豪と肩を並べるようになった。アントン・チェーホフ、レフ・トルストイ、ジョー​​ジ・オーウェル…。イスカンデルは、「ロシアのガブリエル・ガルシア=マルケス」と呼ばれる。

82. チンギス・アイトマートフ『処刑台』(1986年)

 キルギスのシェケル村出身のソビエト作家。バイリンガルのアイトマートフは、同時に2つの文化に栄光を加えた。ロシア語で書いたが、作中でキルギスと中央アジアを生き生きと描き、民俗叙事詩的な作品を生み出したからだ。

 世界的な名声を彼にもたらしたのは、美しい恋物語『ジャミリャー』だ。キルギスの村の若い女性が、夫が前線にいる間に、負傷した兵士と恋に落ちる。

 しかし、アイトマートフの最も有名な作品といえば、長編『処刑台』だ。麻薬の売人、密猟者、そして、ソ連末期の「野生的な東部」の厳しい世界を描き出す。この魅力的な物語は、2匹の狼の子の話で始まり、そして終わる。この子狼は、密猟者のせいで母を失った。そして彼らは、「狼の掟」を破り、人間たちを攻撃し始める…。

 この作品は、人間と自然、誠実さと利害、そしてもちろん善と悪について語る。

*日本語訳:

・『草原の歌』(佐野朝子訳、学習研究社 ジュニア世界の文学、1970年、のち『キルギスの青い空』 童心社・フォア文庫、1982年)(『ジャミリャー』、『最初の先生』所収)。

・『処刑台』(佐藤祥子訳、群像社・現代のロシア文学、1988年。

83. セルゲイ・ドヴラートフ『かばん』(1986年)

 『かばん』の自伝的な主人公は、ソ連から米国に移住しようとしている。彼は、小さな古いスーツケースしか持って行けない。数年後にそれを開くと、思い出の「箱」に飛び込むことになり、それぞれのモノが過去の状況、ソ連での生活を思い出させる。

 この作品は短編集で、スーツケースのなかのいろんな物がタイトルになっている。「フィンランドのクレープソックス」は、闇屋から、しょっ引かれるかも…とビクビクしながら買った。「将校のベルト」は、刑務所(コミ自治共和国の矯正労働収容所)で看守を務めたときの思い出を呼び起こす…。

 ドヴラートフは、これが彼の特徴だが、悲哀をにじませつつも笑い、郷愁を覚えつつも、彼が生きねばならなかったソ連の現実に恐怖を感じている。ロシア移民の姿を見事に描き出した作品であり、鮮やかなイメージとエピソードに満ちている。

*日本語訳:

・守屋愛訳、成文社、2000年。

84. ヴィクトル・ぺレーヴィン『チャパーエフと空虚』(1996年)

 詩人ピョートル・プストター(「空虚」の意味)は、同時に2つの時代にいる。革命の英雄ワシリー・チャパーエフのおかげで、彼は、1918~1919年の内戦の最前線に立ち、さらに1990年代のロシアで精神病院に入院している。

 この長編小説は、プストターによる空間と時間の知覚だ。二つの世界のどちらが現実で、どれがただの妄想か?それとも両方とも非現実なのか?

 批評家はこの作品を、ロシア最初の「禅仏教小説」と呼んだが、ペレーヴィン自身によれば、それは、「事件が完全な空虚のなかで行われる、世界文学の最初の小説である」。この小説の英訳と映画版は『仏陀の小指』というタイトルで出た。

 これは、最も謎めいたロシア作家の初期作品の一つだ。謎めいたというのは、彼がもう20年間、公の場に姿を現していないからでもある。しかし、彼は毎年本を出しており、彼のファンは新しい啓示と予言として新刊を待望している。

*日本語訳:

・三浦岳訳、群像社、2007年。

85. ボリス・アクーニン「エラスト・ファンドーリンの冒険」シリーズ(1998~2018年)

 19世紀末~20世紀初頭のロシアが舞台。若いエラスト・ファンドーリンは警察に勤め始めるや、すぐに驚くべき知力、推理力、身体能力を発揮する。シリーズを通じて彼は、情熱的な青年から冷徹な貴族に変わっていくが、女性の魅力に抵抗することはできない。

 さまざまな作品のなかで、人生と歴史の変転により、ファンドーリンは、モスクワ、サンクトペテルブルク、船、露土戦争、そして日本に身を置くことになる。日本で彼は、ヤクザの若者の命を救い、以来、若者は忠実な従者とパートナーになる。二人はいっしょに犯罪を解決し、皇室の名誉さえ救う!

 作家の本名はグリゴリー・チハルティシヴィリ。モスクワ大学で日本研究を専攻した彼は、日本文学の翻訳やロシア史など、本名で書いた著作も多数ある。

 しかし彼は、筆名ボリス・アクーニンでより広く知られている。彼の小説は、優れたスタイル、繊細微妙な描写、そして血沸き肉躍るプロットで際立っている。

 ファンドーリン・シリーズのいくつかの作品は、映画化されている。作者は、この主人公についてはもう書き終えたと主張しているが、最後の小説は、象徴的に『別れを告げずに』と題されているため、多くのファンが続編を待っている。  

*日本語訳:

・『トルコ捨駒スパイ事件』奈倉 有里、岩波書店、2015年

・『堕ちた天使 ―アザゼル』沼野恭子訳 、作品社、2001年

・『リヴァイアサン号殺人事件』沼野恭子訳、岩波書店、2007年

・『アキレス将軍暗殺事件』沼野恭子・毛利公美訳、岩波書店、2007年

その他

86. アレクセイ・イワノフ『反乱の黄金』(2005年)

 18世紀ロシアは、エメリヤン・プガチョフの大反乱の爪痕から回復しつつある。ウラルで、若いオスタシャが、地元の工場で精錬した鉄を、大きな艀に積んで川を行き来している。彼の父は、奇怪な状況で変死した。オスタシャは、お上に逆らってでも、その理由を突き止めようと決心する。また彼は、プガチョフが隠した財宝を探している…。

 「真の『反乱の黄金』は、プガチョフの財宝などではなく、次の問への答えだ。すなわち、不可能なことをやってのけ、しかも良心を失わぬためにはどうすべきか?」。こう作者は言う。

 ウラルの作家アレクセイ・イワノフの作品は、非常に多様であり、批評家は、そのジャンルを正確に定義できないこともある。イワノフは、読者を中世ロシア、ドイツ騎士団の時代、あるいは1990年代のロシアに連れて行く。異教徒、古代の部族、ロシアの大貴族、盗賊等々が、比較的最近のギャングやソ連の吸血鬼などと同じく、見事に描かれている…。誰もがイワノフの小説のなかに自分の好みに合ったものを見つけるだろう。  

87. ドミトリー・グルホフスキー『メトロ2033』(2005年)

 核戦争後の黙示録的なモスクワ。地表に出るのは危険なので、人々は、地下鉄の駅やトンネルに住んでいる。地下鉄は、いくつかの勢力圏に分かれ、国家内の国家が生まれる。地下鉄のある路線には共産主義者が住んでおり、またある路線は無政府状態だ。主人公アルチョムは駅に住んでいるが、何らかの突然変異体に襲われている。突然、さらに奇妙なことが起こり始めると、彼は、その解明のために冒険に乗り出す…。

 この小説は大ヒットして、カルト的古典となり、大勢の熱烈なファンとコンピューターゲームを生み出した。若い作家グルホフスキーは、世代のアイドルになり、続編を2つ書くと、それもベストセラーになった。 

*日本語訳:

・小賀明子訳、小学館、2011年。

88. リュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン』(2006年)

 ポーランドのユダヤ人の通訳が主人公。彼は出自を隠して、ユダヤ人のゲットーからの脱出を助ける。修道院でナチスから身を隠し、カトリックの洗礼を受ける。後に彼は、イスラエルのハイファに住み、カトリックの司祭となる。彼は、あたかも「聖人」のように見え、教会の維持のために自分でお金を稼ぎ、避難所を、それを必要とするすべての人に提供する。彼は、民族や宗教を超えて考え、宗教間の「架け橋」を築こうとする。この主人公は、実在の人物オズワルド・ルフェイセンがモデルで、作者は彼と実際に会っている。

 小説は、手紙、日記、新聞の「切り抜き」で構成され、直接話法がとても多い。この作品は、宗教と神学についての、作者の最も重要な思索であり、人間の生命は、教会のドグマの遵守より大切であることを語る。

*日本語訳:

・前田和泉訳、新潮クレスト・ブックス、2009年。

89. リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』(2011年)

 1960年代と70年代のソ連における地下出版(サミズダート)と生活を描いている。この作品では、さまざまな登場人物とその運命が交錯している。ある者は友達を密告することを強いられ、ある者は職場を首になり、他のどこにも就職できなくなる。またある者は、自分の両親を見捨てることを余儀なくされる。なぜなら、それらの人々は、共産党の理想に適合していないからだ…。

 作者ウリツカヤは、当時の社会の印象的な断面を示している。短い「雪解け」の後、ソ連は再び全体主義の深淵に陥り、すべての人の運命は秘密警察KGBが「指をパチンと弾くだけで」で破壊される可能性がある。

*日本語訳:

・前田和泉訳、新潮クレスト・ブックス、2021年。 

90. ウラジーミル・ソローキン『親衛隊士の日』(2006年)

 我々は、2028年にいる。君主制がロシアで復活し、この国は「壁」によって世界から隔てられた。「皇帝」の親衛隊は、残虐行為と粛清をほしいままにするが、しかし、彼らは特権階級であり、「大貴族」にも一般人にも恐怖を植え付け、高級車を乗り回し…と好き放題しても罰せられることはない。

 歴史的には、オプリーチニキとは、イワン雷帝(4世)に忠実で残酷な親衛隊にして秘密警察だ。この専制君主のあらゆる命令を完全に履行し、罰せられることはなかった。

 この作品は、現代の治安当局のやりたい放題を皮肉った政治風刺だと思われているが、作者はそうした一面的な解釈を否定した。予想外の結末が、物語の幻想性をさらに増している。

*日本語訳:

・松下隆志訳、河出書房新社、2013年。

91. ウラジーミル・ソローキン『ガーリン博士』(2021年)

 ウラジーミル・ソローキンは、ロシアにおけるディストピアの王様だろう。彼が創り出す世界では、すべてのロシア人が馴染んでいる日常の現実が、オカルトや未来の驚天動地の技術と絡み合っている。

 小説『ガーリン博士』でソローキンは、おそらく、自分の作品世界を最も完全な形で示しているだろう。題名は、『ドクトル・ジバゴ』を直接踏まえている。『ガーリン博士』は、ボリス・パステルナークの傑作に呼応する面が多々あるが、それはパステルナークとの間だけではない。

 遠い未来のロシアは、複数の公国に分裂している。読者は、それらの国をサイボーグの医者とともに訪れながら、ロシア文学のさまざまなスタイルと時代を旅することになる。ちなみに、ソローキンは、ロシア文学最高のスタイリストの一人だろう。

92.  レオニード・ユゼフォヴィチ『鶴と小人』(2008年)

 物語は、歴史家シュービンと元地質学者ジョーホフの2人の主人公をめぐって展開する。時代は2004年だが、二人は、ロシアが惨憺たる有様だった1990年代初頭を振り返っている。

 ジョーホフは、どうにかやり繰りしつつ、危険な状況に巻き込まれる。一方、シュービンは、世界史における僭称者(なりすまし)や詐欺師について論文を書いている。そして、驚くべきことに、この詐欺師たちがジョーホフの「分身」であることが分かった。彼も分身たちも、要らぬ反省などせずに、あらゆる条件、状況のもとで利益を引き出そうと躍起になっている。

 歴史家ユゼフォヴィチは、歴史の資料を巧みに駆使しており、ロシアの主要な文学賞「ビッグブック(ボリシャーヤ・クニーガ〈大きな本〉)」を受賞した。

 この小説の題名は、鶴と小人の闘いについての古代の寓話に基づいている。

 作者ユゼフォヴィチは、寓話に基づいたこの小説で、次のことがらを想起させる。すなわち、歴史とは、鶴と小人の戦いである。「鶴と小人は、コサックとポーランド人、ベネチア人とトルコ人、ルター派とカトリック教徒、ユダヤ人とキリスト教徒に代理戦争をさせる」。そして、戦いの後、直接戦った当人たちは、戦った理由と目的を説明することができない…。 

93. マリアム・ペトロシャン『ある家の出来事』(2009年)

 読者の前に、ソビエト版「ホグワーツ魔法魔術学校」が現れる。これは、障害児のための寄宿学校だ。100年前に設立され、秘密と謎に満ちている。新入生は、廊下やホールを彷徨い、学校の歴史の暗く血腥いページを発見する。この建物には、神秘的な裏の顔、パラレルワールドがあることが分かる。 

 700ページのポストモダン小説は、多くの人によって一気に読まれ、すでにロシアの国境をはるかに超えてベストセラーになっている。ガーディアン紙の批評家によれば、この本の雰囲気は、J.K.ローリング、サルマン・ラシュディ、ドナ・タートなどを彷彿させるという。 

94. ミハイル・シーシキン『手紙』(2010年)

 この小説の形態は、二人の恋人の文通だ。しかし、ここでは時間と空間が一致していない。ヴォロージャは、中国の戦争に出征しており、サーシャはロシアにいる。彼は、1900年の義和団の乱に際し死亡するが、彼女はその後何年も生き延びることになる…。そして彼女は、20世紀の全期間を通じて彼に答える。作者は、愛にとっては、歳月と距離のような障壁は存在しないことを読者に仄めかす。

 この長編小説は、事実上、ドラマの脚本として完成していたから、いくつかの劇場で上演された。スイスに住むミハイル・シーシキンは、前作『ヴィーナスの髪 / ホウライシダ』も含め、欧米ではよく知られている。そのため、彼の『手紙』もすぐに数か国語に翻訳された。

*日本語訳:

・奈倉 有里訳、新潮クレスト・ブックス、2012年。

95. エヴゲニー・ヴォドラスキン『聖愚者ラヴル』(2012年)

 中世ロシア。若いアルセニーの許嫁は、難産で亡くなる。二人は教会で結婚式を挙げていなかったので、彼は、自分に罪があると信じ、人生を彼女の魂の救いのために捧げることに決めた。アルセニーは、新しい名前(ウスチン、ラヴル)を名乗り、放浪し、エルサレムに巡礼し、ついには森の中で病人を癒しつつ隠遁生活を送る修道士となる。

 ヴォドラスキンは、現代文学において初めて、聖愚者「ユロージヴイ」の生活をテーマに取り上げた。ユロージヴイは、中世ロシアにおいて重要な存在だ。これらの「神の人(神がかり)」は、ツァーリに対する奇行や無礼さえも許された。

 ヴォドラスキンは、中世ロシア文学の泰斗ドミトリー・リハチョフの弟子で、やはり中世ロシアの文献学の専門家だ。彼の一連の作品が出版されると、「ロシアのウンベルト・エーコ」と呼ばれるようになった。

 確かにウンベルト・エーコの影響は明らかだが、しかし『聖愚者ラヴル』は独創的であり、中世ロシア語の発話を見事に様式化し、精神的価値について深く思索している。

*日本語訳:

・日下部陽介訳、作品社、2016年。

96. マリーナ・ステプノワ『ラーザリの女』(2012年)

 数学の天才であるユダヤ人、ラーザリ・リンドは、ロシア革命、内戦、粛清、さらには第二次世界大戦のいずれの惨禍も免れた。作者は、彼が愛した人たちのプリズムを通して、主人公について語る。

 それは、最初は上司の妻マルーシャで、ラーザリより20歳年上だった。彼女はラーザリを自分の子供みたいに感じていた。それから、彼の妻ガリーナ。彼女は40歳年下だったが、主人公は彼女のなかにマルーシャの面影をはっきり見ていた。さらに、彼の天才が、孫娘でバレリーナのリードチカにも、不可思議な形で受け継がれているのを読者は見る。もっとも、ラーザリは、すでに死亡しており、それを目にすることはできなかったが。

 これは独特の、一族の物語で、20世紀全体をカバーしており、一般市民の生活が、国の主な政治的変化によっていかに影響されたか、人々が新しい生活条件にいかに適応したかを巧みに示している。ステプノワは、ロシアの大長編の伝統を継承していると考えられている。

97. ザハール・プリレーピン『僧院』(2014年)

 1920年代のソ連。白海のソロヴェツキー諸島の修道院が、強制収容所となってまだ間もない。まだ大いなる恐怖はない。収容所は、実際に危険な犯罪者でいっぱいだ。主人公アルチョムは、何とかここでの立場をマシにしようとしている。そのために彼は、女性の看守と関係をもつ必要さえある…。もちろん、彼は、そのような「良心との取引」の報いについて考えるが。

 これは、強制収容所の恐怖について語るありきたりの小説ではない。そこに収監された何百万人のうちの一人がいかに生きたかが語られている。

 この記念碑的な作品の前には、プリレーピンは、自伝的な短編や中編の作者として知られていた。内務省特殊部隊での勤務、チェチェン戦争での戦闘、ナイトクラブの用心棒、地方出身の若者の日常生活などの実体験がそこでは描かれていた。

 しかし『僧院』では、作家は、資料を綿密に調べて、鮮烈なイメージを生み出した。収容所の一筋縄でいかぬ所長、囚人たち、自由を夢見ながらの、独房での葛藤…。

98. グゼリ・ヤーヒナ『ズレイハは目を開ける』(2015年)

 タタール人の村に生まれたムスリムの女性ズレイハは、権威主義的な夫と姑に抑圧されている。ソビエト政権は彼女の人生を「修正」し、富農だった彼女の家族から資産を没収し、夫を殺害し、彼女をシベリア送りにする。運命のいたずらで、獄中で彼女は初めて自分を一人の人間と感じ、自分に自信をもつ。

 カザン出身の作家グゼリ・ヤーヒナの文壇デビューは、文字通りその年の主要な出来事となり、デビュー作はベストセラーとなった。この作品の執筆に当たって彼女が依拠したのは、流刑地のシベリアで歳月を過ごした祖母の記憶と、1920年代の富農撲滅政策の対象となった他のタタール人らの回想録だ。 

99. アレクセイ・サリニコフ『インフル病みのペトロフ家とその周辺』(2016年)

 冬、正月前のせわしさ、寒波、汚れた雪…。ペトロフ家では、父、母、息子が次々に病気になる。インフルエンザだが、高熱や実は期限切れ(?)の薬のせいで、意識が朦朧となり歪む。その結果、彼らは、自分自身の「暗い分身」になる。そういう「ゾンビ」が惰性で、どんな日常生活を送るのだろうか。

 サリニコフのこのデビュー作は、批評家や読者を感動させた。作者は、インフルで歪んだ意識と幻想だけでなく、そこから、ソ連における子供時代の懐かしく儚い思い出も紡ぎ出す。

 ロシアを代表する映画監督の一人、キリール・セレブレンニコフは、この作品を映画化し、それは2021年に公開された。セレブレンニコフは、原作の「歪みとねじれ」をさらに強調している。 

100. ドミトリー・ブイコフ『六月』(2017年)

 小説は3部からなっており、舞台は1930年代のソ連。登場人物たちは、コムソモール(共産党の青年組織)の学生、ユダヤ人、「規格外の」作家などで、それなりに元気に暮らしている。そこへ、ある共通の脅威が生じてくる。ナチス・ドイツとの避けがたい戦争だ。

 ドミトリー・ブイコフは、ソ連時代を雰囲気豊かに描いている。これが密告と粛清の恐るべき時代であるという点をのぞけば、ほとんど快適といっていい。

 驚くべきことに、当時と現在の間には多くのつながりがあり、ブイコフは、あからさまなアナロジーは避けつつ、綿密にそのつながりを追求する。ブイコフには、多種多様な著作があるが、この小説が彼の最高傑作だと考える批評家が多い。

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