絵画に見るロシア北方

カルチャー
ボリス・エゴロフ
 手付かずの自然の場所、オーロラ、島の修道院は、文字通り、ロシアの画家たちを引き寄せた。

 20世紀初頭、画家のワシリー・ペレプレチコフは、「北方は厳しく、愉快ではないが、わたしを惹きつけてやまない。わたしは再び北氷洋に向かう。大きく、強い人々の元へ」と書いた。 

 ロシア北方とは、北氷洋沿岸とアルハンゲリスク州の未踏の森からほぼサンクトペテルブルクまで広がっている。サンクトペテルブルクは、地理的にはロシア北方とは見做されていない。おそらく、西欧的な雰囲気が強いせいであろう。

 ほぼ人のいないこの土地には、世界の喧騒から逃れようと修道士らがやってきた。また、北方のアルハンゲリスク港には、長い間、ヨーロッパに輸送するため、ロシア中から材木、蝋、毛皮などが運ばれていた。サンクトペテルブルクが創設され、北方戦争(スウェーデンとの戦い)の結果として、18世紀前半にリガとレーバル(=タリン)が併合された後になって、さまざまな製品はバルト海に送られるようになった。

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