伝説
この聖なる町キーテジは、ふつうの人間には見えない。ニジニ・ノヴゴロド州にあるスヴェトロヤール湖の底から、穏やかな天候のときにのみ、清らかな魂と心をもった人は、鐘の音と唱歌を耳にすることができるという。
スヴェトロヤール湖
Nikolai Moshkov/TASS伝説によると、この町は、12世紀にウラジーミル公のユーリー2世(ゲオルギー)によって築かれた。「白い石の壁、金色の丸屋根の教会、聖なる修道院、公の紋章の描かれたテレム(高貴な女性のための区画)、大貴族の石造りの館、昔の腐らない松で建てられた家などがあった」。19世紀ロシアの作家パーヴェル・メーニニコフ=ペチェルスキーは、伝説の町キーテジをこう描いている。
物語によれば、バトゥ率いるモンゴル軍は、ロシアに侵攻した際にキーテジも占領するつもりだった。「町を燃やし、その臣下を殺して奴隷にし、妻や娘は妾として連れ去れ」
バトゥ軍がキーテジに迫ったとき、町には、障壁は――城壁さえ――なかった。しかし、住民たちは必死に祈った。すると湖の水が上昇し、敵のみならず外界すべてからキーテジを隠した。
それ以来、真のキリスト教徒だけが、スヴェトロヤールの湖面に映る町の姿を見ることができるという。こうした伝説により、この湖は、「ロシアのアトランティス」とも呼ばれた。
解説
この伝説はそれほど古くない。おそらく、17世紀頃に古儀式派(分離派)によって創られたものとみられる。ロシア正教の改革後に生じた新たな権威により彼らは迫害され、それを逃れて、さまざまな地域からスヴェトロヤールに辿り着いた。
しかしそこでは、地元の村人は、古儀式派の目から見れば、罪深く汚れた異教の祭典を行っていた。そこで古儀式派は、地元民の異教の祭りを防ぐ方便として、湖底にやすらう聖なる町キーテジの厳かな伝説を創ったと考えられている。
伝説
世界の果てを意味する「ルコモリエ」は、おおよそ「湾曲した海岸線」と訳せる。つまり、弓状の形だ。ロシアの言語学者・民俗学者のフョードル・ブスラーエフによると、「ルコモリエ」は、世界の果てにある神聖な場所であり、「世界樹」、つまり世界の支柱が立っている。その根は冥界にのび、その枝は天国に届き、神々は、この樹に登ったり下りたりする。
解説
「ルコモリエ」は、大詩人アレクサンドル・プーシキンの叙事詩『ルスランとリュドミラ』の魅惑的な冒頭に出てくるので、よく知られている。
「ルコモリエに、緑なす樫の樹が立ち、樹には金の鎖が巻かれている。金鎖の上を『学者猫』が昼も夜もぐるぐる歩き回っている」
ヨーロッパの古い地図では、「ルコモリア」の名は、ロシア北部の、オビ川河口の大きなオビ湾に用いられていた。オビ湾は、北極海の一部をなすカラ海に面している。
しかし、古代ロシアの年代記や文学では、「ルコモリエ」は、アゾフ海と黒海に近い南部地域を指している。古代、中世のロシア人にとって、これは確かに世界の果てだった。
伝説
多くのロシアの民話は、「昔々、9かける3番目(=27番目)の王国で…」と始まる。この伝統的な始まりは、ふつうは、単に「非常に遠い」という意味だ。
また、民話の主人公が、本当に遠くへ旅するとき、彼は「9の3倍の国々」を越えたと言う。しかし、民俗学者ウラジーミル・プロップによれば、「9かける3番目の王国」は、スラヴ人の死後の世界であり、豊かな国だった。
そこでは、若返りのリンゴがなり、「生命の水」と「死の水」が湧き出して流れ、神話的な蛇や鳥が棲んでいる。この王国は地下、あるいは山や水中にある。
「9かける3番目の王国」で主人公は、暮らしに役立つ糧や超自然的な力を得る。王国は、深淵、昼なお暗い森、広大無辺な海など、越え難い障壁で、外界から隔てられている。
解説
言語学者と文献学者は、「9かける3番目の王国」のイメージは、スラヴ人の死後の世界のイメージから来ていると考える。それは、北欧神話のヴァルハラにとても近い。ヴァルハラは、英雄たちが戦いでまさに英雄的に斃れた後、永遠に住む国だ。
「9かける3番目の王国」に旅した者が、超自然的な力を得て帰還することはまた、オルフェウスの神話を思い出させる。彼は、最愛の妻を探しに冥界に下る。
ちなみに、「9の3倍」は、スラヴの数え方ではない。古代ロシアの算数では、別の数字を使った。「9の3倍」は、民話における造語にすぎず、「10かける3番目の王国」と同様に、「非常に遠い」という意味だ。
*スラヴの数え方とキリル数字についてはこちらからどうぞ。
驚くべきことに、スラヴ人は、自分たちの「ステュクス」、すなわちこの世とあの世を隔てる川を想像した。ロシアでは、この川は「スモローディナ」と呼ばれる。これは明らかに「臭いもの」を意味する。
臭いのは、この川が、絶えず燃えていて、煙の噴き上がる炎でできているからだ。スモローディナは、此岸と彼岸の境界であり、人間の魂が豊かな国(おそらく「9かける3番目の王国」)に達するために、渡らなければならない。
「この溶解する川は、凄まじい奔流であり、最も怒れるもの。ある細流は火のようであり、別のそれは飛散する火花のようで、また他のものは噴煙が柱をなして降りてくる」。古代ロシアのブィリーナ(口承の叙事詩)である『ドブルイニャと蛇』は、こう語る。
スモローディナ川には、一種の個性があり、人間の声で話し、美しい乙女の魂をもっている。善良な者が愛情のこもった言葉をかけて慇懃にお辞儀すると、渡らせてくれる。しかし、自分を侮辱する者は溺れさせる。
スモローディナに架かる橋は、カリノフ橋と呼ばれ、ロシア語で「赤く灼熱した橋」を意味する。橋は、ロシアの巨大な竜、ズメイ・ゴリニチによって守られている。
解説
歴史家や言語学者は、現実の世界でスモローディナの場所を特定することができない。ロシア北部だけでなく、かつてのキエフ大公国の領域にも、この名をもつ川や小川が何十もある。たとえば、かつて中世ロシア研究の権威だったボリス・ルイバコフは、ウクライナのスモローディナ川とサマラ川ではないかと推測した。これらはドニエプル川の左支流だ。
しかし、「三途の川」の伝説は極めて古いので、議論の余地のない唯一の「ロシアのステュクス」を探すのは、まず徒労に終わるだろう。
ブヤン島は、ロシア神話のもう一つの「祝福された」場所であり、轟音を発する海に囲まれた魅惑的な島だ。そこには魔法の樫の木が生えており、ロシアの冥界の王、「不死身のコシチェイ」の生命はその枝に隠されていた。しかし彼は、その命を見つけられて死ぬことになる。
ブヤン島には、アラティルと呼ばれる魔法の石がある。これは「世界の中心」だ。この石に触れた人は、すべての願いを叶えることができた(よく神話、民話にあるように3つの願いではなく、すべての願いだ!スラヴの神々は気前が良かった)。
島に住む人々は年をとらず、冬もない。そして、尽きることのない食べ物、飲み物、そして喜びがある。
ブヤン島は、詩人プーシキンの『サルタン王の物語」で、再び人気を博した。
「我らの時間は過ぎ去った。行く手は東に、真東に――ブヤン島を過ぎて、優雅なサルタン皇帝のもとへ帰る」。しかし、この島を特定することは可能だろうか?
解説
ボリス・ウスペンスキーやウラジーミル・プロップのような碩学は、ブヤン島を、英雄や神々が住む、世界の果ての幸福の島々と比較している。こういう島のイメージは、たとえば、ギリシャのエリシオン島、ケルトのアヴァロンなどと共通する。
ちなみに、ロシアのルコモリエも、ブヤン島と関係している。この島は、ルコモリエを含む、世界の果てを洗う海にあるのだから。
ロシアには、少なくとも2つの実在するブヤン島がある。そのうちの一つは、ドン川の小島だ。 北極海の一部であるカラ海にもブヤン島があるが、これは神話にちなんで名付けられている。
ブヤン島
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