ソ連バレエの貴重な写真25点

 舞台、リハーサル、客演・・・。ソ連が誇る驚異的なバレエの世界に浸ろう。

 ソ連時代、バレエはエリート芸術から大衆芸術となった。バレエはテレビでも放映され、しかもバレエどころではない時代にも楽しむことができたのである。もっとも有名なのは、1991年8月、ペレストロイカの時代に起きたクーデターの際に、「白鳥の湖」が放映されていたということである。

 ソ連の人々は皆、バレエを愛し、「白鳥の湖」を見て涙した。バレエはその素晴らしい装飾や鮮やかで複雑な作りの衣装、そして高い技術で人々を驚かせた。またバレエは国外に誇る主要な「輸出品」の一つであり、一種の名刺がわりのものとなった。そこでバレエ劇団はどんな劇団よりも多く、「鉄のカーテン」の向こう側に公演を行った。またソ連国内の多くの地域にオペラ・バレエ劇場が作られた。

 有名なバレリーナになり、バレエ学校に入ることは多くの女の子たちの夢となった。しかし、バレエ学校に入るには厳しい条件をクリアしなければならなかった。そんなわけで、ソ連のバレリーナたちは、卓越した技術を誇る伝説的存在となったのである。一方、ソ連の振付師によって作られた作品は今でもロシアの主要な劇場で上演されている。

アヴァンギャルド的なバレエ変革の試み「動きの芸術」
ドミトリー・ショスタコーヴィチの音楽によるバレエ「黄金時代」でコムソモールの女の子の役を演じるガリーナ・ウラノワ、1930年
タラス・シェフチェンコ記念キエフ・オペラ・バレエ劇場のアーティストらによる実験的作品、1931年
戦時中もバレエは上演され続けた―疎開地でのボリショイ劇場の舞台、1941年
セルゲイ・プロコフィエフの音楽によるバレエ「ロメオとジュリエット」のガリーナ・ウラノワ(ボリショイ劇場)、1946年
最初の子どもバレエ「アイスチョーノク(コウノトリの子ども)」のリハーサル、1948年
ボリショイ劇場で上演されたレオ・ドリーブの音楽によるバレエ「コッペリア」のエレーナ・ヴァンケ、1949年
楽屋で「コッペリア」の衣装を着てポーズをとるバレリーナたち、1949年
マイヤ・プリセツカヤが演じるオディール、1949年
ボリショイ劇場で上演されたレイノルド・グリエール作曲のバレエ「青銅の騎士」の1シーン、1949年
中国をテーマにしたバレエ「赤いケシ」。船体には「ロシアの労働組合から中国の労働者へ」と書かれている。1941年代
「白鳥の湖」の1シーン、ボリショイ劇場、1950年代
ボリショイ劇場付属バレエ学校、1950年代
ノヴォシビルスク国立オペラ・バレエ劇場が上演する「白鳥の湖」、1955年
バレエでの民族友好:ボリショイ劇場で上演されたアラム・ハチャトゥリアン作曲の「ガヤネ」、1950年代
イーゴリ・モイセーエフ演出によるアラム・ハチャトゥリアン作曲のバレエ「スパルタクス」、1958年
処女地開拓の労働者たちの送迎会で「小さな白鳥たちの踊り」を演じるピオネールたち、1958年
「白鳥の湖」を演じる有名なバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤ、1960年代
ボリショイ劇場が上演する「ドン・キホーテ」でキトリ役を演じるマイヤ・プリセツカヤ、1964年
リハーサル室で、1971年
難易度の高い演技は繰り返しリハーサルする、1971年
「スパルタクス」を演じるマリウス・プティパとマリーナ・コンドラチエワ、1976年
「白鳥の湖」の1シーン、1980年代
ボリショイ劇場の舞台裏、1983年
ヴォロネジ・オペラ・バレエ劇場の控え室:衣装を手直しするバレリーナ(左)、新聞「イズヴェスチヤ」を読むバレリーナ(右)、1984年

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