庭の掃除夫が、壁に描かれたロシアで人気のメッセージアプリ「テレグラム」のロゴを塗りつぶし、警官らは棍棒で憤慨するスマイルを攻撃し、「汚れた街」と書かれたインスタグラムのストーリーズ風のポスターが水たまりにはまり込んで行く。
ロシアの「ネット主権法」(この法律については、専門家らも一般のネットユーザーたちも繰り返し批判している。この法について詳しくはこちら)をテーマにしたこのデジタルコラージュ作品は、ロシアの人気メディアが記事の画像として使用している。またソーシャルメディア上の作家自身のページでは、これらの作品は1万5,000ものいいね!を獲得している。
タタールスタン共和国の匿名アーティスト
これらのデジタル作品を作ったのは、カザン出身の23歳の匿名アーティスト。レフ・ペレウルコフの名で知られている。ロシアのソーシャルネットワーク「フ・コンタクチェ」に「ペレウリエ」というグループを作り、そこでロシアの生活をテーマにした写真や文章、デジタル芸術などを発信している。
友人や母親も、自分がこれらの作品を作っていることを知らないという。ペレウルコフは匿名で活動することで、自分の中の自由さを感じると話す。
ロシア・ビヨンドからのインタビューの中で、ペレウルコフは、「(実名で作品を作ったとしたら)自分の作品が気に入ってもらえなかったらどうしようとか、自分の作品が受け入れられなかったらどうしようとか考えたかもしれません。しかし(匿名にすることで)なんの制限もなくなるのです」と話す。
レフ・ペレウルコフは子どものときから、視覚芸術に興味があり、絵画学校に通っていたこともあるという。ただ絵画学校はすぐに飽きて、やめてしまったとのこと。しかしその後、自分でコンピューターを使ってデジタルコラージュの手法を習得し、2014年に自身が作ったグループ「ペレウリエ」の中で作品を公開するようになった。この「ペレウリエ」というネーミングは、ペレウルコフにとって街とそこに住む人々を象徴する「ペレウロク」(横丁)と「ウレイ」(蜜蜂の巣箱)という2つの単語を組み合わせたものだという。
「人は、ノスタルジーや幼年時代のことをテーマにしたものが大好きなのです。列車、貧しさ、崩壊といったものですら、ロマンティックな雰囲気を出すことができるのです。このテーマはいまも人気がありますが、本当の解釈は今まだされていないと思います。そこでわたしはこのテーマをもっと取り上げたいと思ったのです」とペレウルコフは自身が立ち上げたグループについて説明する。
3年後、レフ・ペレウルコフの作品はその他の数百万のユーザーによってシェアされるようになり、彼はフリーランサーとして、デザインスタジオのオーダーを受けて、プロジェクトを作成するようになった。そこで彼は友人とともに、「MXD」というグループを作り、ロシアの生活についてのコンセプトアートを公開するようになった。この中の初期の作品の1つで表現されているのは、マレーヴィチとその他のシュプレマティズム画家の絵に描かれている要素で溢れたロシアの通りである。
別のシリーズでは、ソ連の絨毯や漆喰の壁、古いカーテンの色、住宅の壁の張り紙、ソ連の国章などの柄の羽を持つ蝶シリーズを描いた。ペレウルコフによれば、これらの蝶は世代を超えて街の中に生息し、街の住環境を擬態化している。
日常から政治へ
時とともに、作品の中に描かれる高層住宅の日常のロマンティシズムは、社会政治やロシアのジャーナリズムへと変わって行く。ペレウルコフは、カザン国立大学のジャーナリズム学科に入学するが、3年後、失望して退学し、デザインの活動を継続している。
「ペレウリエ」では月に1〜2回、作品を発表している。本人曰く、シリーズものの作品作りには数週間かかるという。しかし、作品を発表するとかなり疲労するため、しばらくは休息をとり、次の作品のインスピレーションを探すのだそうだ。
自身の作品の「ベース」に、ペレウルコフは、自身が撮影したカザンの写真を使うことが少なくない。 たとえば、写真に故郷の街の高層住宅の写真に、「非人間性」、「美しい貧しさ」、「孤独」、「平等」などの言葉を添えている。
もう一つの、検閲をテーマにしたコラージュ作品では、建物が、「ここはすべてが素晴らしい」、「あなたは何も見なかった」、「気にしないでください」などという文字が入ったタオルで覆われている。
またロシアの風景はペレウルコフにとってはこんな風に見えるのだそうだ。
「ロシアというのは、インスピレーションの宝庫です。通りに出て、数メートル歩けば、その間に恐ろしくもかわいいものをたくさん見つけることができ、すぐにそれを人に伝えたくなるのです」。
将来は「本物の芸術家」になるつもりだという。もっと芸術について勉強し、自分の作品がいつか美術館や展覧会で展示される日が来るのを夢見ている。
「今は、インターネットで活動していることもあり、見ている人に気に入られたいという気持ちが強いのですが、本当の芸術家というものはどうやって自分自身を表現するかということを考えるものだと思うのです」。