アドリアン・シホーネベーク、船「ゴト・プレデスチナーツィア」、1701年
オランダの画家シホーネベークは、ピョートル1世がロシアに招いた最初の外国人画家の1人であった。戦争画や地図、ピョートル1世が創設した新たなロシア艦隊の最初の艦船などを描いたことで知られる。
ヨハン・タンナウアー、ポルタヴァの戦い、1737年
ポルタヴァの戦いにおけるロシアの勝利は北方戦争での成功を意味し、海への出口と新たな領土をもたらした。ドイツの画家、タンナウアーは、馬に跨った英雄的なピョートルの肖像画を描いた。翼を持った勝利の女神ニケが月桂樹の冠をピョートルに与えようとしている。
ジャン=マルク・ナティエ、ピョートル1世とエカテリーナ1世の肖像画、1717年
フランス人画家ナティエは多くのロシアの知識人の肖像画を残しているが、もっとも有名なのがピョートル1世とその妻で、ピョートル1世の死後、女帝となったエカテリーナ1世の肖像画である。
ルイ・カラヴァク、皇女アンナ・ペトローヴナとエリザヴェータ・ペトローヴナの肖像画、1717年
ピョートル1世は、フランス人画家のルイ・カラヴァクに厚い信頼を寄せ、自身の肖像画だけでなく、子どもや孫の肖像画を描かせた。カラヴァクはまたペテルブルグの宮殿に飾るための戦争画を描いたほか、正教会のためのイコン(聖像画)を描いた最初の外国人画家でもあった。
ジャン=バティスト・ルプランス、ロシアのゆりかご、1764年
フランス人画家ルプランスは、女帝エリザヴェータ・ペトローヴナが愛したロココ様式を代表する画家であった。エリザヴェータ・ペトローヴナはルプランスをロシア全土に旅行させたが、ルプランスは「ロシアの人々」を描いた多くの作品を持ち帰った。
エリザヴェート・ヴィジェ=ルブラン、パヴェル1世の娘たちの肖像画、1796年
マリー・アントワネットのお気に入りの画家だったルブランは、フランス革命の後、祖国を離れ、しばらくの間、旅をした。1790年代にはロシアで生活し、貴族や皇帝一家の肖像画を描いた。
ジェラール・デ・ラ・バルテ、クレムリン宮殿のモスクヴォレツキー橋側のバルコニーから見たモスクワの景色、1797年
ナポレオン戦争時の1812年の大火災までのモスクワの景色を詳細に知ることができるのは、このフランス人画家が綿密に描いた絵画のおかげである。
ベンジャミン・パターセン、創建100年の日のペテルブルグの風景、1803年
スウェーデンの画家パターセンはペテルブルクの景色を100点以上描いた。エルミタージュ美術館に収蔵されているその膨大なコレクションは、2世紀の間にペテルブルクがいかにお大きく変貌したのかを表している。
カール・フォン・キューゲルゲン、カチカレン近郊の洞窟都市、クリミア、1824年
ドイツの兄弟画家カールとゲルハルド・キューゲルゲンはパヴェル1世の招待でロシアを訪れ、ロシア国籍を取得し、宮廷付きの画家となった。2人は新たに領土となったクリミア、フィンランド、エストニアを描いた最初の画家であった。
オーギュスト・カドル、トロイツェ・セルギエフ大修道院、19世紀前半
フランス人画家のオーギュスト・カドルはモスクワの景色を描いたシリーズ作品を描き、1825年、パリで1冊の画集として出版した。またモスクワ近郊にある有名なトロイツェ・セルギエフ大修道院の絵を数点、残している。
ジョージ・ドー、アレクサンドル1世、ミハイル・バルクライ・ド・トーリ、ミハイル・クトゥーゾフの肖像画、1826〜1829年
イギリスの画家ジョージ・ドーは1812年のナポレオン戦争における英雄たちの肖像画を描いたことで知られる。300枚以上の作品を描いたが、その中にはアレクサンドル1世、ミハイル・クトゥーゾフ将軍、ミハイル・バルクライ・ド・トーリ将軍などの大作が含まれている。
アンドレ・ドゥランド、ノヴゴロドとトヴェリの間の村、1839年
1839年、ロシアへの大旅行を終えたフランスの画家ドゥランドは、サンクトペテルブルク、モスクワ、また小さな村々の景色を収めた「絵画と考古学のロシアの旅」と題したリトグラフの画集を制作した。
フランツ・クリューガー、ツァールスコエ・セローのロシア帝国親衛隊、1841年
ドイツの画家クリューガーの信じがたい技術とスタイルは、他の画家と見紛うことがない。ロシアの宮廷、プロシアの王、ロシアの皇帝の下で絵画作品を描いた。アレクサンドル1世とニコライ1世の非常に感銘深い作品も彼の筆によるものである。
クリスティーナ・ロバートソン、皇帝一家の女性たちの肖像画、1849〜1850年
スコットランドの女流画家ロバートソンは、ニコライ1世の下、宮廷画家として活動し、ニコライ1世の家族、そして有名な貴族であったユスポフ家の肖像画30点以上を描いた。ロバートソンが主に描いたのは女性と子どもたちであった。写真は右から、ニコライ1世夫人アレクサンドラ・フョードロヴナ、皇帝の娘たちの大皇女アレクサンドラとマリヤ。
ミハイ・ジチ、モスクワのホディンスコエ・ポーレで行われたアレクサンドル2世の戴冠式を祝う祝賀行事、1856年
ハンガリーの画家ミハイ・ジチは長年ロシアで、宮廷付き画家として活躍した。盛大な戴冠式の様子、また狩りの様子など貴族たちの日常生活を描いた。
ラウリツ・トゥクセン、皇太子ニコライとアリサ・ヘッセンスカヤ(アレクサンドラ・フョードロヴナ)の結婚式、1895年
アレクサンドル3世はデンマーク人のトゥクセンを宮廷画家として招いた。風景画、肖像画などを描いたが、ロシア史と芸術史においてもっとも重要なものとなったのがニコライ2世の戴冠式と結婚式を描いたシリーズである。
パブロ・ピカソ、ダンス、1925年
有名な前衛画家ピカソはロシアと深い関係にあった。ピカソはセルゲイ・ディアギレフのバレエの衣装を手がけたほか、イーゴリ・ストラヴィンスキーとも親交を持ち、ストラヴィンスキーの肖像画のデッサンを数多く残している。またピカソは平和の鳩を描いたポスターでレーニン賞を受賞している。そしてもちろん、ロシア人の妻だったバレリーナのオリガ・ホフロワの肖像画をたくさん描いた。
ピカソの妻の肖像画はこちらからどうぞ。
ハンス・リヒター、スターリングラード(東部での勝利)、1943〜1946年
ドイツ人のハンス・リヒターは、ダダイズム画家で、アヴァンギャルド映画の最初の試みを行った。第二次世界大戦の恐ろしい戦闘を描いた記念碑的絵画は芸術評論家たちの間で、映画作品に見えると評されている。
フェルナン・レジェ、建設現場、1950年
フランスの共産主義画家レジェはロシアに共感し、セルゲイ・プロコフィエフの音楽を使ったバレエ作品の舞台装飾を手がけたほか、ロシアの詩人ウラジスラフ・ホダセヴィチの従姉妹と結婚した。レジェは建設をテーマにしたシリーズを描き上げたが、ここにはソ連のプロパガンダポスターに影響を受けたことがはっきりと見て取れる。
ベルナール・ビュフェ、サンクトペテルブルクのエルミタージュ、1991年
ロシアのもっとも重要な美術館のクレクションにはフランス人画家ベルナール・ビュフェが描いたエルミタージュ自身の絵がある。絵画の色彩は悪天候のサンクトペテルブルクの雰囲気を非常に正確に伝えている。