知っておきたいトレチャコフ美術館の傑作25選

カルチャー
アレクサンドラ・グゼワ
 モスクワで最も有名な美術館、2棟の大きな建物にある果てしない展示室を見て回るには一日では足りない。この美術館が所蔵する絶対に見逃せない傑作をご紹介しよう。

 美術館の創設者パーヴェル・トレチャコフの夢は、ロシアの絵画を集めた大衆向けの大きな美術館を作ることだった(それまで貴族は西欧の絵画と彫刻を集めていた)。商人として成功したパーヴェルは、ロシア人画家の作品を流行させ、彼らの絵を買い占めた。彼はモスクワ中心部の自身の邸宅に4つの建物を建て増し、夢を叶えた。

 1980年代、20世紀芸術を専門に展示する別館が建てられた。トレチャコフ美術館新館だ。

 現在、美術館の所蔵品は19万点以上を数える。最も重要な作品を見てみよう。

1. アンドレイ・ルブリョフ、『至聖三者』。1411年

 伝説的なイコン画家アンドレイ・ルブリョフの手になることが学術的に証明されている作品は数点しか現存していない。イコン『至聖三者』は最も有名かつ貴重な聖遺物だ。このイコンはかつて至聖三者セルギイ大修道院にあったが、革命後トレチャコフ美術館の所蔵品となった。

2. カルル・ブリュロフ、『乗馬姿の婦人』。1832年

 カルル・ブリュロフは長らくイタリアに暮らし、ユリア・サモイロワ伯爵夫人の注文でこの絵を描いた時にはミラノにいた。同時代人は彼の腕前と乗馬する人物画の優雅さに驚嘆した。パーヴェル・トレチャコフは資産を売るオークションでこの絵を買った。

3. アレクサンドル・イワノフ、『民衆の前に現れたキリスト』。1837年~57年 

 イワノフの絵を購入したのは皇帝アレクサンドル2世で、その後皇帝からルミャンツェフ美術館に寄贈されたが、1924年、トレチャコフ美術館にやって来た。5.4 m×7.5 mの壮大な絵のために、美術館に専用の展示室が作られた。

4. パーヴェル・フェドートフ、『貴族の朝食』。1849年~50年

 フェドートフはジャンル絵画の真の巨匠だった。作品はどれもディテールが丁寧に描き込まれており、オランダの細密画家の作品に勝るとも劣らない。

5. コンスタンチン・フラヴィツキー、『公爵令嬢タラカノワ』。1864年

 トレチャコフが画廊に飾るため最初に買った作品の一つだ。公爵令嬢タラカノワの史実に基づく場面が描かれている。タラカノワは自らを女帝エリザベータの娘と偽り、ペトロパブロフスク要塞に監禁され、そこで洪水に遭って落命したと伝わる。迫り来る水と鼠、そして令嬢の絶望の表情が見て取れる。

6. ワシリー・ペローフ、『トロイカ(徒弟が水を運ぶ)』。1866年

 ワシリー・ペローフは社会をテーマにした最初の画家の一人で、巧みに人々の激しい論争を呼び起こした。水の入った重い樽を運んで苦しむ子供たち、絵の全体的な色調が、出口のない苦境を語っている。トレチャコフはペローフが絵を仕上げた直後にこれを購入した。

7. ワシリー・ヴェレシチャギン、『戦争礼賛』。1871年

 ヴェレシチャギンは軍人で、戦争画家として名を馳せた。この作品は中央アジアに出征した後に書かれたものだった。絵のコンセプトはモンゴルのハン、ティムールの伝説と結び付いている。ティムールはこの絵のごとく、頭蓋骨の山を戦場に残したという。「過去、現在、未来のすべての偉大な征服者に捧ぐ」と額縁に記されている。

8. アレクセイ・サヴラソフ、『ミヤマガラスの飛来』。1871年

 この風景画はロシア芸術において革新的なものとなった。サヴラソフより以前、自然をここまで現実的に「悲しく」描いた画家はいなかった。灰色の白樺、春の川の氾濫、小さな教会――同時代人は、サヴラソフがロシアの心を描き出したと考えていた。この絵を買うため、パーヴェル・トレチャコフはわざわざヤロスラヴリにあるサヴラソフの家まで足を運んだ。

9. アルヒープ・クインジ、『白樺林』。1879年

 クインジは光の匠と考えられている。この絵は全体が緑色に塗られ、作者は日光の斑点と陰の深みで遊んでいる。移動派絵画展に出展され、間もなくトレチャコフが購入した。

10. ヴィクトル・ヴァスネツォフ、『アリョーヌシカ』。1881年

 トレチャコフ美術館には民話画の巨匠の作品もいくつか展示されている。特に有名なのは『勇士たち』だ。ヴァスネツォフは『アリョーヌシカ』の構想を長らく練っていたが、ある時アブラムツェヴォ村の池の畔で髪を隠していない農民の娘を見かけ、そこで絵のプロットが形作られた。作者曰く、この絵には「ロシア独特の精神が漂っている」。

11. イワン・クラムスコイ、『見知らぬ女』。1883年

 クラムスコイの最も有名な作品の一つであるこの絵には、ペテルブルクのネフスキー大通で天蓋のない馬車に乗る女性が描かれている。モデルが誰なのか、歴史家らは今も明らかにできていない。

12. ワシリー・スリコフ、『貴族婦人モロゾワ』。1884年~87年

 多くの人物が描かれた力強い作品には、歴史的事実が描かれている。教会の改革を受け入れなかった罰として、手枷を嵌められた貴族女性が修道院に送られる場面だ。彼女は群衆に、古儀式派が十字を切る仕草の象徴である二本指を見せている。トレチャコフは展覧会でこの絵を購入した。3 m×5.8 mのこの絵には専用の展示スペースが充てられている。

13. イリヤ・レーピン、『1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン』。1885年

 このレーピンの絵は、激高したイワン雷帝が杖で息子を殴り殺したという伝承を大いに支えている。皇帝アレクサンドル3世はこの残酷な絵の公開を禁止したが、それでもトレチャコフが買い取り、禁令を解くよう皇帝を説得した。

14. ワレンチン・セローフ、『桃を持った少女』。1887年

 セローフの最も有名な絵画の一つが描かれたのはアブラムツェヴォで、モデルとなったのはパトロンのサヴァ・マモントフの娘だった。見る者がこの絵に惹かれるのは、文字通り絵を輝かせている驚くほどの新鮮さと子供時代の屈託のなさだ。1929年に美術館がマモントフの子孫から買い取った。

15. イワン・シーシキン、『松林の朝』。1889年

 常緑針葉樹林はシーシキンの好んだ題材だ。作中の子熊を描いたのは別の画家、コンスタンチン・サヴィツキーだが、後に自身のサインを消し、著作権を放棄した。この絵はロシア人なら誰もが知っている。ソ連時代にチョコレート菓子「ミーシカ・コソラープイ」の包装に印刷されて流通していたからだ。

16. ミハイル・ネステロフ、『若きヴァルフォロメイの聖なる光景』。1890年

 この絵には教会史にとって非常に重要なプロットが描かれている。ラドネジの聖セルギイの生涯を扱った連作の第1作目だ。セルギイは俗世ではヴァルフォロメイと呼ばれ、幼い頃は文盲だったが、偶然出会った修道士が彼を賢者に変える。画家はこの絵を自身の最高傑作と見ていた。トレチャコフが移動派絵画展で購入した。

17. ミハイル・ヴルーベリ、『座せる悪魔』。1890年

 最も神秘的な画家の一人ヴルーベリにトレチャコフ美術館の一展示室が丸々充てられている。これは彼の描く悪魔、ロシア象徴主義の傑作の一つに過ぎない。描かれているのは反逆者の永遠の戦いだ。美しく力強い悪魔が、様変わりして結晶に歪められているような周囲の世界を悲しげに見ている。革命後に個人の手からトレチャコフ美術館に渡った。

18. イサーク・レヴィタン、『永遠の静寂の上に』。1894年

 『ミヤマガラスの飛来』の作者サヴラソフの弟子レヴィタンは、憂鬱で胸を締め付けるようなロシアの風景に対する師の視点を受け継ぎ、それを完成形にまで高めた。この作品は最も「ロシア的」な絵画の一つと見なされている。

19. ナタリア・ゴンチャロワ、『黄色い百合の自画像』。1907年

 ロシア・アバンギャルドの女戦士と夫のミハイル・ラリオーノフは、さまざまな前衛的な芸術協会に所属し、ロシア国内やヨーロッパのモダニズム絵画展に参加した。この自画像は、ゴンチャロワの表現主義への傾倒を反映している。

20. ジナイダ・セレブリャコワ、『化粧台にて。自画像』、1909年

 セレブリャコワは優しさに満ち溢れた絵を描いた。若い女性や農家の娘、牧歌的な風景、家族などだ。鏡越しの自画像は、同時代人に高く評価され、新鮮で愛らしく、芸術性の高い作品と呼ばれた。

21. クジマ・ペトロフ=ヴォトキン、『赤い馬の水浴』。1912年

 ペトロフ=ヴォトキンはロシアのイコンを再解釈した画家だ。同時代人はこの絵をさまざまに解釈したが、革命の黎明期には赤い馬がロシアの新たな道を象徴していると見なされた。この作品は長らくスウェーデンにあり、1961年に個人からトレチャコフ美術館に譲渡された。

22. ワシリー・カンディンスキー、『構成VII』。1913年

 ロシアを代表する抽象画家は、長らくドイツに暮らし、そこで活動していた。彼は具象表現を拒否し、色にアクセントを置くことを決めた最初期の画家だ。「色は手段であり、それによって直接魂に影響を与えることができる」。芸術学者らはこの構図をカンディンスキーの最高傑作と見なしており、そこに複数のテーマの融合を見出している。そのテーマとは、死者の蘇生、裁きの日、大洪水、楽園だ。

23. カジミール・マレーヴィチ、『黒の正方形』。1915年

 最も有名で最も論争を呼んだロシアのアバンギャルド画家の作品は、それが最初に飾られた未来主義画家の展覧会で大センセーションを巻き起こした。絵が掛けられていたのは、一般的にイコンが置かれる「聖なる隅」だった。2015年、レントゲン調査により、完成品の下に数層の絵が隠れており、最初の絵は立体未来主義的な構図が描かれていることが分かった。だが、絵画の形式と色彩を考察する中で、マレーヴィチは完全なシュプレマティスム、つまり色の絶対的優位にたどり着いた。後に彼は同じ絵を数枚描いた(一枚はトレチャコフ美術館用)。オリジナルは小さなひびで覆われていたからだ。

24. ボリス・クストーディエフ、『ボリシェヴィク』。1920年

 クストーディエフは何よりロシアの商人や農民の生活を明るい色彩で描いた作品で有名だ。彼の注意を引いたのは古い街や教会、民衆の祭りだった。後期の作品である『ボリシェヴィク』は、1917年の革命の印象を描いたものだ。車椅子から動けなかった彼は、革命の様子を家から見守っていた。

25. アレクサンドル・デイネカ、『未来のパイロット』。1983年

 アレクサンドル・デイネカはソ連で最も有名な画家の一人で、多くのポスター様式のプロパガンダ絵画を手掛けた。彼の『未来のパイロット』は、「社会主義リアリズム」というソ連芸術の公式路線を象徴する作品だ。

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