ロシア人画家が描いた東洋とアジア

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ロシア帝国時代、ヨーロッパを旅行するのは一般的なものであり、多くの画家たちがヨーロッパに長く滞在した。しかし、聖書をモチーフにした題材を求めて、中東、またはさらに遠く離れた見知らぬアジアに旅をした「勇敢な」画家たちもいた。

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842〜1904)

 ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンは軍人であり、絵画は趣味のようなものであった。そして、何よりも戦争画で有名になった。軍人として、彼はロシアの辺境を含め、多くの場所を訪れた。中央アジアのテュルキスタンをテーマにしたシリーズものを描いたほか、インドや中国を旅行し、代表作「戦争礼讃」を描いた。その後、ヴェレシチャーギンは中東、シリア、パレスチナも訪問している。 

ワシーリー・ポレノフ(1844〜1927)

 ワシーリー・ポレノフは多くの宗教画を残した。絵画アカデミーの卒業制作では、「ヤイルの娘を蘇らせるハリストス」(1871年)を描いて、1位に輝き、大きな金メダルを授与された。10年後、ポレノフは中東に向かい、長旅をし、聖書に関連した多くの場所を訪れ、風景、建築物、人物、衣装などをデッサンした。のちに、これらのデッサンから「ハリストスと罪を犯した女」を描きあげた(この作品はアレクサンドル3世が購入した)。

 1890年代末に、ポレノフは再び、パレスチナ、シリア、エジプトを訪れ、「ハリストスの人生」シリーズの資料を集めた。ポレノフは、現実的な景色の中に聖書のストーリーを織り交ぜた。 

アレクサンドル・ヤコヴレフ(1887〜1938) 

 1917年、すでにイタリアを訪れた若き画家のヤコヴレフはアジアを旅行するための奨学金を手に入れる。彼はロシアの極東を研究した後、中国、日本へ向かった。中国でロシア革命が勃発したことを知り、祖国には戻らず、アジアから直接パリに向かう。1930年代にヤコヴレフはシトロエン社が組織した自動車によるアジア調査「イエロー探検隊」に参加した。旅行中にヤコヴレフは800点以上の作品を描き、それらの作品は世界の多くの国々で展示された。その後、「アジアン・スケッチ」と呼ばれるアルバムを出版した。 

ニコライ・リョーリフ(1874〜1947)

 もっとも有名でもっとも謎めいた画家のひとりとされるリョーリフといえば、まず思い浮かぶのがヒマラヤの風景画である。歴史家で考古学者であったリョーリフは、哲学を学び、仏教に関心を持っていた。1917年の革命後、国外に亡命したリョーリフは祖国には戻らなかった。1923年、アジア調査に出かけ、インド、カシミール、中国、チベットを訪れ、民族学、考古学の研究を行いながら、多くの作品を描いた。のちに、リョーリフは再び中国を訪れ、そこからインドに移り、生涯をそこで終えた。 

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