男性の衣装は非常に素朴で、基本的な素材で作られていた。農民と貴族とで共通していたが、貴族は高価な素材を使ったり、複雑な型を採用したり、貴石で贅沢に飾ったり、シックな刺繍をあつらえたりした。
ルバーハまたはソローチカ。亜麻か綿でできており、襟がないこともあったが、斜めの襟があることが多かった。そのようなルバーハは「コソヴォロートカ」と呼ばれた。襟とひだ飾りにはしばしば美しい模様の刺繍が入っていた。
ポーヤス。ルバーハはふつうポーヤス(帯)で締めた。ポーヤスは絹か羊毛で作られ、端に房が付いていることが多かった。
シタヌィー、またはポルトィー。ゆったりしており、裾は「オヌーチ」に挿し込まれた。
オヌーチは丈夫な布切れで、足先から膝下まで巻き付けた。靴下のようなものだ。
ラープチ。ロシアの有名な草鞋は白樺の樹皮を編んで作られ、オヌーチの上から縄で足の周りに巻き付けられた。
サポギー。長いものもあれば、くるぶしまでの高さしかないものもあった。革製のものが多かった。
ヴァレンキ。羊毛のフェルトでできた冬用の履物だ。
カフタン。寒い季節の上着だ。多くのバリエーションがあり、長さも素材もさまざまだった。暖かい季節には、粗ラシャでできた襟なしの「ジプヌィー」が、冬には毛皮の裏地を持つ羊皮製の「コジュヒー」が着られた。
かぶり物。冬には「トレウーフ」という帽子をかぶった。3枚の羽が後頭部と耳を守っており、どこか20世紀に現れたウシャンカを思わせる。暖かい時期にはキッパやテュベテイカに似た小さな椀型帽「タフィヤー」がかぶられた。
女性の衣装は男性のものよりも少し複雑だった。男性同様、裕福な家の女性は、高価な素材を使って贅沢な飾り付けをした。その上、貴族女性は服を幾重にも重ね着し、服の総重量が20キログラムに達することもあった。既婚女性と未婚女性とで見た目も異なっていた。
女性の着るルバーハは本質的に下着で、綿や亜麻で作られた。貴族女性は絹のルバーハを着用した。女性用ルバーハは長さが床まであった。女性らはルバーハにふんだんな刺繍を施した。模様が外から見えなくとも、呪いや災いから身を守る効果があると信じられていた。
サラファン。袖のない長いワンピースで、女性の衣装の基本だ。ルバーハもサラファンも帯で締める必要があった。サラファンの上から首飾りやビーズ飾りを付けることも多かった。
ポニョーヴァ。南部ではサラファンの代わりにスカートが穿かれることが多かった。ポニョーヴァを着るのは大人の成人女性だけで、縁談を持ち込めるという印でもあった。
上着。女性の上着には多くのバリエーションがあったが、長く、襟から裾までボタンで締めるという点で共通していた。例えば、「レートニク」はゆったりとした袖を持ち、足先だけが出るほどの長さで、「オーパシェニ」はボタンがずらりと並び、袖に切り込みが入っていた。女性はこうした長い衣服の上から毛皮の襟を付けることもあった。
ドゥシェグレーヤ。晴れ着として上着の上にこのカーディガンを羽織った。デザインや素材はさまざまだった。
かぶり物。既婚女性は常に頭を覆って髪を結っていたため、かぶり物はたくさんあった。家では平織生地の帽子「ポヴォイニク」か、単にスカーフをかぶった。外出する際は額に固い飾り板のある「ココーシニク」をかぶった。地域ごとに独自のデザインがあり、櫛状のものから円筒状のものまであった。かぶり物に耳飾りを合わせることもあった。冬には毛皮の帽子をかぶり、その上からスカーフを巻いた。
未婚女性はリボン付きの花輪をかぶり、髪を見せていた。
履物。農民女性はやはりオヌーチとラープチ、そしてヴァレンキを履いた。その他、サポギーやバシマキー(短靴)も履かれた。これらは革製だったが、裕福な者は錦やビロード製のものを履き、贅沢に飾り付けた。靴にかかとが現れたのは16世紀で、男性の靴にもかかとが付けられた。
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