1. アレクサンドル・プーシキン『ベールキン物語』 (1831)
プーシキンは、他の大半のロシアの作家よりしばしば、幸せな愛を描いているだろう。もっとも、彼の名高い韻文小説『エフゲニー・オネーギン』では、男女の愛が、別々の時期に生まれてすれ違ってしまうドラマだが。
しかし、プーシキンの散文による中編、短編では、主人公たちは、人生の試練をくぐり抜けてハッピーエンドにいたる。『大尉の娘』が好例だが、連作小説『ベールキン物語』もそうだ。とにかく読んで楽しい作品で、全5作のうちの2つは、とくにプロットが面白く、愛の物語がみごとに展開する。
『吹雪』のプロットは、一筋縄ではいかない。若い娘マリアは、地方の町に住んでいるが、そこに駐屯した部隊の将校と恋に落ちる。娘の両親が二人の恋に反対するので、彼は、駆け落ちして密かに結婚しようと言う。しかし彼は、教会に向かう途中で、吹雪で立ち往生し、結婚式の時間に遅れてしまう。ところが…マリアは、教会で婚礼を挙げていたのだ…。彼でないとしたら、いったい誰と?ネタバレは避けよう。
『百姓令嬢(贋百姓娘)』のヒロインは、勇敢で才気煥発な若い貴族令嬢だ。彼女は百姓娘に変装して、隣の貴族の息子を見に出かける(両家は犬猿の仲だった)。若い貴族は、彼女に一目ぼれし、森の中をいっしょに散歩するが、二人の関係を知る者はいない。やがて彼は、父が貴族令嬢と自分を結婚させようとしていることを知り、激怒する。彼は、あり得ないこと――百姓娘との結婚――を望んでいたからだ。その後の成り行きは、彼にとってはまさにあり得ないものだった…。
日本語訳:
- 『スペードのクイーン/ベールキン物語』(望月哲男訳)光文社古典新訳文庫、2015年
- 『スペ-ドの女王 ベールキン物語』(神西清訳)、岩波文庫、1967年
2. レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1877)
この長編は、あらゆる愛を描いている。男女の関係だけでなく、母性愛、妹と兄の愛、さらには愛国心や神への愛についても語っているが、主軸となる筋は、ヒロインのアンナとその不倫の恋だ。美貌の将校アレクセイ・ヴロンスキーとの密かな、苦悩に満ちた関係に焦点を当てている。
二人の恋を通じて、19世紀ロシアの貴族社会におけるモラルと慣習、そして女性の弱い立場が完璧に示される。ヒロインは、自分の人生が意のままにならず、結局、悲劇にいたる。
しかし、別のサブプロットもある。それは、純粋な愛と悔悟を示している(トルストイはそれを大いに称賛した)。
作者は、家庭の価値を称揚する。やはり姦通の罪を犯した登場人物、ステパン・オブロンスキー(アンナの兄)は、浮気者だが、妻に与えた苦しみを痛感する。作者は彼をそういう人間として描いている。
いわゆる良妻賢母の妻ドリーは、結局、彼を許す。夫の罪に比べれば家庭の意味はあまりに重く、彼女の一切である。そして、ドリーのこの決心を助けるのが、他ならぬアンナなのだ。
心の奥深くに愛を秘めたもう一人のキャラクターが、半自伝的人物、コンスタンチン・レーヴィンだ。彼は、社交界に背を向け、農業経営に打ち込み、農民たちといっしょに重労働の草刈りをやり、燕尾服の代わりに破れたシャツをまとう。そして、とても純粋な一人の女性だけを愛し、彼女と家庭を築き、子供に恵まれる。彼はこういう人生の道を見つけた。
日本語訳:
- 『アンナ・カレーニナ』(望月哲男訳)、光文社古典新訳文庫(全4巻)、2008年
- 『アンナ・カレーニナ』(北御門二郎訳)、東海大学出版会(上下)、新版2000年
- その他多数
3. アレクサンドル・グリーン『赤い帆』(1923)
ソ連では、イデオロギーを反映する事物に触れずに愛について語るのは難しかった。そのため、多くの作家は、トリックを創り出さねばならなかった。つまり、プロットを架空の世界で繰り広げることだ(または、SF的世界で展開する〈次のアレクサンドル・ベリャーエフの項目を参照〉)。アレクサンドル・グリーンは、グリーンランディアという国を考え出し、そこで事件が起きることになる。彼はまた、キャラクターを現実から切り離すために、ロシア風でない名前を付けている。
『赤い帆』は、アッソーリという娘がヒロインだ。彼女の父は、貧しい元船乗りで、船やボートの模型を作っては売って生計を立てている。あるときアッソーリは、赤い帆の付いた素敵な船を市場で売ろうと運んでいたときに、船を湧き水に入れて走らせてみた。彼女は、森で詩人に出会い、「赤い帆」の物語を聞いて、それを信じ込む。それはいつか美しい王子が、赤い帆をはった本当の船でやって来て、彼女を遠くの美しい国に連れて行ってくれる、というものだった。アッソーリは大人になっても、そのお話を信じているが、周りの人はみな彼女をあざ笑い、正気の沙汰ではないと思っている。そんなとき、若く勇敢な船長が、王子がやって来るのを夢見ている「狂った」少女について耳にする…。
このような明るいおとぎ話が1920年代のペトログラード(現サンクトペテルブルク)で、つまりロシア革命の混乱と内戦の震源地で書かれたことは信じ難い。
『赤い帆』は今でも非常に人気があって、2005年に同名のプロムフェスティバルがサンクトペテルブルクで開催された。この街の有名な跳ね橋が上がると、赤い帆の壮麗な帆船が、ネヴァ川を通り、花火が炸裂する雄大なイベントだ。
日本語訳:
- 『深紅の帆』(原卓也訳)、フレア文庫(5)、1997年
4. アレクサンドル・ベリャーエフ『両棲人間(イルカに乗った少年)』 (1928)
この作品は、アカデミー作品賞を受賞した映画『シェイプ・オブ・ウォーター』(ギレルモ・デル・トロ監督、2017年)を思わせるところがあり、筋が似ている。
しかし、この作品『両棲人間』は、ハリウッド映画のはるか前の1927年に、ソ連のSF作家アレクサンドル・ベリャーエフによって書かれている。
ベリャーエフの筋では、研究と実験に熱心なアルゼンチンの外科医が、肺が弱い少年を、サメのえらを移植することで救う。
この「両棲人間」は、イフチアンドルと名付けられて、成長していく。彼は、水中で泳げるので、海を泳ぎまわったり、イルカに乗ったり、魚を漁師の網から放してやったりして、いろいろと楽しんでいる。しかし、海辺の人々が時々彼を見かけて、「海の悪魔」がいるという噂が流れ始める。
ある日、イフチアンドルは、溺れかかった少女を救う。彼女は信じられないほど美しくて、彼は、何か未知の、非常に奇妙な感じを抱く。彼はもう一度彼女に会いたいと思うが、外科医以外と接したことがないため、どう行動したらよいか分からない。
イフチアンドルは人間のように見えるけれども、この世界の者たちは彼を、どこか変でよそ者だと思い、気に食わず、いきり立って彼を殺そうとする…。だが、こんな危険にもかかわらず、彼はその娘といっしょにいたいので、この世界を訪れ続ける…。
1962年には、映画化された『両棲人間』が公開され、瞬く間に大ブレイクし、実に6500万人が見た。ハリウッドの『シェイプ・オブ・ウォーター』とは対照的に、ソ連映画では、大変な美男子のウラジーミル・コレネフが両棲人間、アナスタシア・ヴェルティンスカヤが恋人を演じた(彼女は『赤い帆』の映画版でもヒロインだった)。
日本語訳:
- 『両棲人間一号 イルカに乗った少年』(木村 浩訳)、講談社、1987年
- 『両棲人間』(細江ひろみ訳)、このごろ堂書房(Kindle Edition)、2014年
5. ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』(1957)
デヴィッド・リーンが監督し、オマー・シャリフが主演して、1965年にアカデミー賞を受賞した映画のおかげで、世界中の多くの人がこの物語にはおなじみだ。
これは、ロシアの激動の時代、革命と内戦の時期に翻弄される人間を描いた大河小説だ。医師のユーリー・ジバゴは、幼なじみの恋人と結婚し、幸せな家庭生活を始めるが、それは内戦のために崩壊する。
ユーリーは捕らえられて、医者として働くが、逃亡してラーラという女性に出会う。内戦が激化するなか、二人は人里離れた村に隠れ、そこで幸福を見出す。ユーリーは、最初の妻もラーラも愛しており、自分の裏切りを苦にしている。彼は、赤軍にも白軍にも与せず、何よりキリスト教徒であり、医者として誰に対しても分け隔てなく愛情をもって接する。
『ドクトル・ジバゴ』は、20世紀最高の小説の一つだ。しかし、作者パステルナークが、ボリシェヴィキ革命と内戦における彼らの行動について、はっきり肯定的な態度を示さなかったため、長い間禁書扱いとなり、ようやくペレストロイ期の1988年にソ連で出版された。初めて出版されたのはイタリアで、1957年のことだった。
最近、アメリカの中央情報局(CIA)は、この「反ソビエト本」の出版に関与したことを証明するアーカイブを明らかにした。西側における宣伝ツールとして利用したわけだ。
日本語訳:
- 『ドクトル・ジバゴ 上・下』(江川卓訳)、時事通信社、1980年/新潮文庫、1989年
- 『ドクトル・ジヴァゴ』(工藤正廣訳)、未知谷、2013年