ロシアとソ連には、傑出した映画製作者たちが次々に現れて画期的な作品を生み出し、映画の分野全体を前進させてきた。中でも名高いのは、タルコフスキー、エイゼンシュテイン、ヴェルトフなどだろう。しかし、ロシア映画の歴史を形作る上で極めて重要な役割を果たし、注目に値する人物は、他にも多数いる。次に挙げるのは、5本の隠れた名作だ。
要するに、ロシア映画はエイゼンシュテインから始まったのではないということだ。ロシア革命以前は、映画製作者たちは、ドキュメンタリーや芸術映画の実験に忙しかったが、一人の監督、ヴワディスワフ・スタレーヴィチが、ロシアの輝かしいアニメーションの伝統を開始することになった。
スタレーヴィチは、死んだ昆虫を使ったストップモーション・アニメーションの先駆者だ。ストップモーション・アニメーションとは、静止した物体を少しずつ1コマ毎に動かして、まるで動いているかのように見せる撮影技術である。
彼の最も有名な作品『カメラマンの復讐』は、昆虫にあまりにリアルに「演じさせた」ので、観客は、生きた昆虫を調教したと信じ込んだほどだった。
このことから分かるのは、昆虫を擬人化して人間らしい特徴を与える、彼の手法が、時代をはるかに抜いていたということだ。『カメラマンの復讐』は、ディズニーがその10年後に製作し始めた初期アニメーションをはるかに凌いでいる。これを確かめるには、『カメラマンの復讐』を見れば十分だ。
この映画は、甲虫の夫婦のダブル不倫の話だ。まずミスター甲虫が、妻と画家の浮気に気づくが、妻の情事を「寛容に」許す。その後、キリギリスのカメラマンが、こっそり撮影していたミスター甲虫の情事を、地元の昆虫映画館で皆に見せる。キリギリスは、ミスター甲虫の愛人(トンボ)の恋人だった。こうして、ミスター甲虫は、妻に求めたモラルを自分は守れなかったことを暴露されてしまう。
1920年代は、疑いなく、ロシアの映画史上、映画というジャンルが最も尊重された時代だ。この時期、映画は革命を表現する高尚な芸術だった。政治的にまさに爆発的なインパクトを持ち、極めて知的だった。そして、実地に応用されたロシアのイノベーションは、世界中の映画製作に影響を及ぼした。最も注目すべきは、ロシア人がモンタージュの理論と手法を編み出したことだ。これは、別々の映像の断片を選択、編集、結合するものである。
ヤーコフ・プロタザノフ監督の『アリエータ』(原作はアレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ)が開いた、ソ連映画のもう一つの重大な革新は、SFジャンルの発展だ。『アリエータ』は、宇宙飛行とエイリアン集団を描いた最初の映画だった。しかも、火星人の構成主義的なセットと衣装、そしてユニークな音楽は、将来の世界のSFにおける美学的、音楽的フォーマットを決定した。
この古典的映画の筋は次の通り。ソ連の技師ローシは、自分が火星に行く宇宙船を造ることを夢見ているが、ある時、妻の浮気を疑い、彼女を殺してしまう。刑事に追われて彼は、街から脱出する――自分が造った宇宙船で。 火星でローシは、クレオパトラさながらの美貌の女王アエリータに恋する。そして、火星の下層階級をソビエト式に蜂起させようとするのだが、しかし蜂起の中で、アエリータの反共的性格が明らかになる…。
1930年代には、文化の革命により、「社会主義リアリズム」がソ連の映画製作の主流になった。社会主義リアリズムを政府は公式に認め、芸術は日常生活を表現すべしという考えを支持した。肝心な点は、人生と未来を前向きに示さねばならぬということだった。
こうした厳しいガイドラインの下で、映画製作の質は低下した。それでもこの時代にも、絶賛された興味深い映画があった。その一つが、当時最高の人気を誇った『チャパーエフ』だ。この映画のカルト的なステータスは今日まで続いており、それは主に、実に気が利いていて、そのまま引用できるような会話のおかげだ。
主人公チャパーエフは、教育こそないが、内戦中に赤軍の指揮官として勇名をはせた。彼は、スクリーン上で英雄的に死に、その後、個々の英雄が映画に登場する道をしっかり開いた。『戦艦ポチョムキン』のような1920年代のソ連映画では、無名の民衆、兵士が主人公だが、『チャパーエフ』では、カリスマ的で勇敢な個人が主役となる。
1953年にスターリンが死ぬと、ソ連の生活の新時代、いわゆる「雪どけ」が始まる。ニキータ・フルシチョフが指導者だったこの時期は、文化活動の開放性が増した。以前禁止されていた作品が公開され、社会主義リアリズムの代わりに、映画製作者は、真実を伝えようとする。しかし、フルシチョフが権力の座を去ると、「雪どけ」の時期に生まれていた希望は徐々に砕かれていった。
芸術も厳しく管理されたこの時期は、「停滞の時代」と呼ばれた。この時期には、コメディがソ連で最も人気のあるジャンルとなり、「解体」にいたる新しい道となる。この時期の喜劇王は、多作なレオニード・ガイダイ監督で、その最高の人気作は『ダイアモンド・アーム』だった。
会計士をしているごく普通のソ連市民セミョーンが、イスタンブールへ観光クルーズに出かけると、ちょっとした勘違いから、喜劇の幕が切って落とされる。密輸業者がうっかりセミョーンの腕に、ダイヤモンドをちりばめたギプスをはめたのだ。やがて、セミョーンは警察と協力して密輸業者を捕まえようとし、密輸業者のほうは、ダイヤを取り戻そうと躍起になって、一連のドタバタ劇を演じる。
この映画のポイントは、セミョーンが臆病者で、恐怖にすっかりとりつかれており、自分の意志で行動できないことだ。海外旅行さえ、彼の妻が無理やり行かせたので実現したのだった。彼がリラックスして気が大きくなるのは、アルコールの助けを借りたときだけだ。高級レストランで酔っぱらったセミョーンは、バンドをバックに、「うさぎの歌」というナンセンスな歌をうたう。
この曲では、危険な森に棲む臆病なノウサギが夜、出てきて、こう歌う。別にいいじゃないか、気にするな、僕たちは「勇敢なライオンよりもっと勇敢になる」と。
この曲を歌いながらセミョーンは実は、ソ連の映画ファンに、権威を気にせず、自分たちがなるべきものになろうじゃないか、呼びかけているのだ。
『コミッサール』(原作はワシリー・グロスマンの『ベルディチェフの町で』)は、1967年製作の映画だが、検閲のせいで、1986年にゴルバチョフの命令により公開されるまで、日の目を見なかった。そのため、残念ながら、アレクサンドル・アスコリドフ監督による最初で最後の映画となった。ソ連当局が『コミッサール』で主に問題としたのは、内戦におけるボリシェヴィキを非英雄的に描いているということだ。
この映画のヒロイン、ヴァヴィーロワは、内戦期の赤軍に勤務する厳格なコミッサール(政治委員)だが、赤軍将校の子をお腹に宿し、軍歴は一時休止となる。妊娠中、彼女は親切で愛情深いユダヤ人家族、マガザニクス一家と暮らす。しかし、ここにも問題はある。マガザニク家の子供たちが周囲の暴力的な世界の影響を受けていることは明らかだから。ヴァヴィーロワが到着した日、子供たちは人形を使ってポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害行為)を再現するのに夢中だった。
しかし、マガザニク家の子供たちだけが犠牲者なのではない。ヴァヴィーロワは、イデオロギーを信奉するあまり、自分の部隊に復帰するために、生まれたばかりの赤ん坊をマガザニク家に残して出ていく。この映画が、こんなことはすべて空しいと、観る者にはっきり語る。印象的な一場面に、荒野を鎌で「収穫」しているところがあるが、これと同じことだ。
こうして『コミッサール』は、内戦における古典的なソビエト英雄神話に疑問を投げかける。チャパーエフその他の英雄たちは地に落ちるのだ。
*リチャード・ウェスは、ウエブサイト「ロシア映画ハブ」の制作者。 ここで、合法的に無料で、英語字幕付きの数百本のロシア映画を見ることができる。リチャードは、ロシア映画を見て思索することに多くの時間を費やしている。彼はまた、ロシア文化全般を探求することも大好きだ。彼のプロジェクトについてもっと詳しく知りたい方はこちらをご覧いただきたい。
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