第二次世界大戦を歌ったソ連の曲10選

TASS
 これらの曲は現代ロシアで今なお愛され続けている。いずれも多くの人が傑作中の傑作と認めるもので、人類史上最も過酷な戦争を経験した人々の感情をありありと伝えている。

1. 『長らく家に帰らず』(原題:Давно мы дома не были)

 1945年5月に書かれたこの曲には、もともと「ドイツで、ドイツで、忌々しき国で」という一節があった。しかし、戦後「忌々しき」は「遥かなる」に変更された。

2. 砲兵隊の行進(原題:Марш артиллеристов)

 「戦争の神」たる砲兵隊に捧げられたこの曲は、1943年に書かれ、たちまち人気となった。ソ連でスターリン批判が起こった後は、「砲兵隊よ、スターリンは命令を下せり」という一節が「砲兵隊よ、正確なる命令が下れり」に変更された。 

3. 『出発の時』(原題:Пора в путь-дорогу)

 この曲はソ連の人気映画の一つ、『空の忍び足』(1945年)の挿入歌だ。この映画は3人のパイロットの物語だ。彼らは将校で、親友でもあり、戦争が終わるまでは恋をしないと誓い合う。だが彼らの計画は女子飛行隊と出会うことで崩れ去る。

4. 『小麦色の娘』(原題:Смуглянка)

 ソ連で最も人気の第二次大戦曲の一つと考えられている『小麦色の娘』が書かれたのは、なんと開戦前だった。1940年に登場したこの曲の主人公は、ロシア内戦(1918年-1922年)にパルチザンとして活動したモルドバ人女性だ。しかし、大祖国戦争の時代にも完全に合致している。人気が再燃したのはこの曲が戦争映画の傑作『出撃するのは爺さんだけ』(1973年)で使用された時だった。

5. 『白い時代の英雄から』 

 この曲は1971年にソ連の愛国映画『将校』の挿入歌として書かれた。この映画は、祖国のために命を捧げるある家族の物語だ。曲を歌ったのはプロの歌手ではなく、映画の第2監督、ウラジーミル・ズラトウストフスキーだった。それにもかかわらず、彼の歌唱は象徴となった。 

6. 『祖国防衛賛歌』(原題:Гимн защиты Отечества)

 この曲はドイツ軍の侵攻が始まって3日目に生まれ、祖国を防衛する兵士らの士気を大いに高めた。大戦初期の最も困難な時期を代表する曲となった。ドイツ語、ハンガリー語、ポーランド語を含め、数ヶ国語に訳された。ポーランド語版には、ソ連に言及があるものと、ないものとがある。

7. 『ああ道よ』(原題:Эх, дороги…)

 この曲は終戦後の1945年秋、ある演劇のための曲として書かれた。しかし、その人気は一つの演劇を越えて人気を博し、今なお愛され続けている。

8. 『暗い夜』(原題:Тёмная ночь)

 この曲は戦争の最中の1943年、『二人の戦士』という映画の挿入歌として書かれ、人気俳優のマルク・ベルネスが歌った。ルースキー・レポルチョール詩が2015年に行った調査では、その歌詞はロシアで最も人気のある詩の一節ベスト100にランクインし、第21位を占めている。『暗い夜』はアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』やイスラエル映画の『暗い夜』、スウェーデンのホラー映画『フロストバイト』でも使用されている。

9. 『カチューシャ』(原題:Катюша)

 『小麦色の娘』と同じく、『カチューシャ』(エカテリーナの愛称形)もまた開戦前の1938年に書かれたが、大戦中に人気を得ることとなった。この曲はソ連の強力な多連装ロケット砲BM-8、BM-13、BM-31「カチューシャ」の愛称の元にもなった。2015年のルースキー・レポルチョール誌の調査では、その歌詞はロシアで最も人気のある詩の一節ランキングで第13位を占めている。

10. 『勝利の日』(原題:День победы) 

 この曲は1975年に対ナチス・ドイツ戦勝30周年を記念して作曲家のダヴィド・トゥフマノフが作り、大祖国戦争の真の象徴となった。ロシアの戦勝記念日の祝典でこの曲が流れないことはない。先述のルースキー・レポルチョール誌の調査では、ロシア人が愛する詩の一節ランキングの中でこの曲の歌詞は第5位を占めている。作曲家のウラジーミル・シャインスキーはこう話している。「この曲は時間を巻き戻したようだ。戦後30年目に書かれたにもかかわらず、我々が勝利をつかんだのはこの曲のおかげだという気がする」。 

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