1. ロシア帝国にカラー写真が現れたのは19世期末のことだ。その大半は手作業で着色されたものだった。残念ながら、こうしたスナップ写真は一握りしか現存していない。
ノヴォデヴィチ女子修道院。モスクワ。1890年頃
Petr Pavlov/МАММ/МDF/Russia in photo2. これらのユニークな写真はいずれも、世紀の変わり目におけるロシア諸地域の人々の生活を写し出している。
赤の広場。1900年代
Petr Pavlov/МАММ/МDF/Russia in photo3. 写真の着色には、時とともに黄ばんでしまう白い紙を隠す効果もあった。
代母の家で。ウクライナ。1900年代
МАММ/МDF/Russia in photo4. 紙は必要な効果に応じて緑色か桃色に染められ、アニリン染料で着色された。
ネフスキー大通。レストラン「レジェン」からの眺め。1900年-1907年
МАММ/МDF/Russia in photo5. 写真家のピョートル・パヴロフは、現存しない建物の写ったモスクワ中心部の写真を十数枚持っていた。
ニコリスカヤ通とルビャンスカヤ広場の間にあった、キタイ・ゴロドのウラジーミルスキエ門(16世紀)と治癒者聖パンテレイモン礼拝堂(19世紀)。ともに1934年に解体された。写真は1900年代末に撮影
Petr Pavlov/МАММ/МDF/Russia in photo6. 彼のカメラはまた、ニコライ2世の戴冠式やアレクサンドル2世像の除幕式、民衆の祭など、モスクワの市民生活の重大な出来事も捉えていた。
マーラヤ・ドミトロフカ通。1890年代。この通では1953年までトラムが運行していた
Petr Pavlov/МАММ/МDF/Russia in photo7. カラー写真が取られ始めたのは、1900年代初めになってからだった。一部の写真家が、リュミエール兄弟の「オートクローム」技法(赤、緑、青のフィルターを通して撮影する)を用いた。
コザコーフ家の子供たち。シンビルスク県(現ウリヤノフスク州)のニコリスコエ領地。1910年
Petr Vedenisov/МАММ/МDF/Russia in photo8. ロシアのカラー写真の発展に大きく貢献したのが、化学者のセルゲイ・プロクジン=ゴルスキーだった。1905年、彼は三色合成撮影法で特許を取得し、ロシア帝国の景観を収めた膨大な数のカラー写真を撮影した。
9. プロクジン=ゴルスキーは、レフ・トルストイやフョードル・シャリアピンなど、当時の有名人も撮影した。自画像も何枚かある。
自画像。キヴァチ滝。オロネツ県。1915年
アメリカ議会図書館10. 1909年から1915年まで、彼はロシア中を旅し、古代寺院、街、自然、ロシアの田舎の日常生活を撮影した。革命後は、写真の大半を携えてロシアを去った。写真は現在、アメリカ議会図書館が所蔵している。
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