現在、旧都のメインストリートはアスファルトで舗装されており、もうトラムは走っていない(トロリーバスのみ)が、渋滞が起きるのは今でも同じだ。馬車ではないが。
街の大動脈を別の角度から。有名な鉄道馬車が見えるだろうか。これはサンクトペテルブルクで最初の旅客輸送手段の一つで、1863年に現れた。蜂起広場からネフスキー大通りに入り、ワシリエフスキー島の東端の岬、「ストレルカ」まで走っていた。
正装をした皇帝の騎馬像は1859年にサンクトペテルブルクに登場し、現在まで聖イサアク大聖堂前の広場に佇んでいる。
ワシリエフスキー島の「ストレルカ」の中心は、フランス人建築家のジャン=フランソワ・トマ・ド・トモンが建てた証券取引所の建物だ。遠方には、有名な2本のロストラの灯台柱のうち1本が見えている。19世紀には灯台として実際に機能していた。
現在トロイツキー橋は街でひときわ目立つ名所の一つだ。数百人の観光客が夜間に橋が跳ね上がるのを見に来る。このため、写真の橋が開通したばかりの新しい橋だとは想像し難い。
ここにはもともとイズマイロフスキー近衛連隊の寺院があったが、1824年の洪水で深刻な被害を受けてしまった。そこでニコライ1世が私費で石造りの新しい寺院を建立した。1835年に開業したが、1938年から1990年まではソビエト政権によって閉鎖されていた。ちなみに、ドストエフスキーはここでアンナ・スニートキナと婚礼を挙げた。
大聖堂からそう遠くないところにフォンタンカ川があり、川沿いにサンクトペテルブルクの華やかな街並みの境界が走る。かつてはこの川が街の南の境界だった。沼地の小川は18世紀に夏の庭園の噴水に水を供給するために浄化され、両岸を花崗岩で固められた。「フォンタンカ」という名称はこの噴水(「フォンタン」)に由来する。
現在フォンタンカ川では遊覧船が活発に往来しており、ここからネヴァ川に出ている。
見て分かるように、冬宮の前の広場はあまり変わっていない。アレクサンドルの円柱はすでに2世紀近くここに立っており、今でもここでパレードが行われる。
サンクトペテルブルクの主要な大聖堂の一つは、約40年をかけて建設され、1858年に開業した。現在大聖堂の周囲は交通量が激しいが、かつてはこんなシックな歩行者ゾーンがあった。
エルミタージュのシンボルの一つ、有名な男像柱は、1851年に設置された。まさにこの時に新エルミタージュ新館が竣工し、すでに収めきれなくなっていた宝物が移されたのである。ちなみに、1920年代まではメインの入口はここにあった。
ネフスキー大通りの美の一つが、このピョートル・クロートの作った有名な馬の像がある石造りの橋だ。もともと石と木でできた橋が架かっていた場所に1842年に開通し、現在まで姿を変えずに残っている。
1811年に厳かに大聖堂の浄めの儀式が行われ、以後ナポレオン戦争の勝利を記念する建物となった。少なくとも2つの悲劇がこの大聖堂と結び付いている。1905年、大聖堂前の広場でデモを行う労働者らに軍隊が発砲した「血の日曜日」事件が起きた。1913年には、ロマノフ朝300周年を記念する典礼の最中に大聖堂内で群集事故が起き、34人が死亡した。
これらの写真を含め、かつての街の姿を写した写真は、2020年1月26日までサンクトペテルブルクのROSPHOTO博物館で見ることができる。
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