ボリショイ劇場(直訳は「大劇場」)の名前の由来は?

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 確かに劇場で、確かに大きい。だが実際のところ、名前の由来はもう少し複雑だ。

 ロシアの首都において、ボリショイ劇場と同じくらい象徴的で、帝国の威厳を持ち、モスクワの歴史と精神に深く根差した場所といえば、クレムリンと赤の広場くらいだ。他は比較にならない。

 オペラとバレエで有名なボリショイ劇場は、まさにロシアのスカラ座であり、コヴェント・ガーデンであり、ガルニエ宮だ。したがって、これがロシア語で「大劇場」と呼ばれているのも頷けることである。だが、こう名付けられた経緯は独特だ。

何度も燃えた劇場

 印象的なボリショイ劇場の建物、列柱、屋根の4頭立ての二輪戦車を見れば、これが太古の昔に建てられたものだと錯覚することだろう。実際には、この建物は破壊と再建の複雑な歴史を辿ってきた。これまで4度の火災に見舞われたのだ!

 最初の火事は、劇場が開業する前に発生した。1776年にエカテリーナ大帝が公ピョートル・ウルソフに劇場の設立を託してわずか4ヶ月後のことだった。この1776年が、ボリショイ劇場の公式な創設年とされている。後にウルソフは破産し、劇場を仲間のマイケル・マドクスに譲らざるを得なくなった。マドクスもまた劇場を手放し、国家に譲った。

 当時はボリショイ劇場ではなくペトロフカ劇場と呼ばれており(ペトロフカ通に面していたため)、1824年までは後にマールイ劇場(直訳は「小劇場」)となる劇場とともにモスクワ帝国劇場の一部と見なされていた。

 ボリショイ劇場は、最初の火事の後も数十年おきに火災に見舞われ、1805年、1812年(モスクワの街もろとも)、1856年に炎上した。その後、劇場は近代的な建物に改築され、火災に遭うこともなくなった。

  ボリショイ劇場という名前は、1825年にモスクワの中心部にグランドオープンした際に、すぐ隣のマールイ劇場と区別するために付けられた(実際マールイ劇場はずっと小さく、ボリショイ劇場がオペラやバレエに特化しているのに対し、専ら演劇の上演に使用される)。1919年以降、ボリシェヴィキはこれを国立アカデミー・ボリショイ劇場と改称した。ウラジーミル・レーニンは旧体制の芸術として劇場を禁止することも考えていたが、幸い考えを改めた。

劇場宇宙

 ボリショイ劇場は、見た目よりも遥かに大きい。ここで数度演じたことのあるオペラ歌手のデヴィッド・リーは、Quora でこう語っている。「それを本当に理解するには、舞台裏へ行かなければならない。この劇場には2間の観客席、3つのレストラン、噴水のある屋内の中庭、数百の指導室、4つの衣装店、数十のリハーサル室、メインステージと全く同じ寸法でオーケストラ席まで付いた私的屋内劇場(正気とは思えない……)、そしてダンサーと演奏者用の病院が完備されている」。

 リーは、リンカーン・センターのメトロポリタン歌劇場をはじめ、世界の多くの大舞台で演じた経験を持つが、それでもボリショイ劇場の大きさに驚嘆しているという。「世界のどの歌劇場でも、ボリショイ劇場におけるほど自分を小人のように感じたことはない」。

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