現代に残るチュヴァシ人の異教:古来の祭を現場からリポート

セルゲイ・ポチェリャエフ撮影
 タタルスタン共和国(ヴォルガ川沿岸に位置)のイスラム教徒の中に混じって、今なお、テュルク系民族のチュヴァシ人が古来の異教を信仰している村がある。キリスト教化もイスラム教化も奇跡的に免れた人たちだ。彼らは、古より伝わる宗教儀式を――生贄のそれも含めて――積極的に行っている。その一つをロシア・ビヨンドの記者は目にすることができた。

 我々は、午前6時10分前に、スターロエ・スルキノ村にやって来た。毎年恒例の祈祷式「ウチュク」を見るためだ。

 村の向こうの野原には、住民と招待客が集まりつつある。最高神「トゥラ」に幸福をお授けくださいと祈るためで、供物として生贄の動物を捧げる。

 私は、この祈祷式が、生贄の牡牛の肉が入ったお粥を食することで終わるのを知っていたので、背筋がゾクゾクした。

 店でステーキを買うときは、何でもないことのように思える。でも、牡牛をこの目で見るとなると話は別で、すごく可哀そうだ。牡牛はまだ中庭の一つにいるので、幸い、今のところはその姿は見えないが。

 さて、最初に登場したのがペーチャ小父さんだ。50歳くらいのがっしりした男で、作業服を着こんでいる。彼は牡牛の屠り役の一人で、これが初めてというわけではないので、落ち着き払っている。彼に続いて数人の男女が野原に現れた。いずれもチュヴァシ人の伝統の衣装をまとっている。

 やがて牡牛が引き出され、柵に縛られ、最後に草を食べさせられる。ペーチャ小父さんはナイフを研いでいる。

 その間、女性たちはビーツで作ったクワス(清涼飲料水)を瓶に注ぎ、生贄の儀式用のお菓子「ユスマン」を取る。それから彼女たちは、「ウチュク」が行われる、川のそばの斜面に向かう。牛を屠る前に、女性たちは祈祷文を読み、清水を牡牛に振りかける。

 野原にいるのは、我々を除けば10人足らずだ。「ねえ、いつになったら全部終わるのかしら?」。眼鏡をかけた、知的な年配の女性がにこう聞いた。ジナイーダ・ヴォロノワさんだ。彼女は、チュヴァシ共和国の首都チェボクサルにある文化大学の教員である。

 彼女と同僚たちは、地元の慣習を研究しにやって来たのだそうだ。彼女は、本当は儀式のプロセスなんか見たくない、こういうのに慣れてないの、と言う。

 彼女は、チェボクサルのチュヴァシ人が皆そうであるように、ロシア正教徒なのだが、正教徒とそうでないチュヴァシ人を区別、差別したことは決してないと語る。

「私たちは皆、子供の頃からこれらの儀式について知っていたけど、あまり重要視しなかった」と彼女は言う。

 洗礼を受けていない非正教徒は、現在では、タタルスタン共和国のいくつかの村に残るのみで、そのほとんどがここ、スターロエ・スルキノ村に住んでいる。

「私の家族には正教徒はいない」

 チュヴァシ人はここへ、17世紀にカザン付近から逃亡してきた。正教とイスラムの双方から逃れてきたのだ。チュヴァシ人もタタール人もテュルク系だが、タタール人は早くも10世紀にイスラム教に改宗し、チュヴァシ人の大多数は正教徒となった。だが、最も信仰堅固な人々の中には、僻地に隠れ、異教を守った者もあった。

 チュヴァシ人古来の宗教の最高神は、善なる神「トゥラ」だ。チュヴァシ語で「天」または「神」という意味で、シュイッタン(悪魔)と対立する。

 彼らの信ずるところによれば、自然界の生きとし生けるものには霊が宿っており、人間のあらゆる営為は、神が庇護しているという。

 概して、こうした信仰体系は、さまざまなテュルク系民族に見られるものだ。ただ、各民族は最高神をそれぞれの名で呼んでいる。「テングリ」、「テイリ」、「トル」などだ。

 ちなみに、スターロエ・スルキノ村の名は、その最初の住人、セルケにちなんでいる(「スターロエ」はロシア語で「古い」)。彼女は、鬱蒼たる森に囲まれた低地に安全に身を隠したのだった。

 この村へは、現在でもそう簡単には来れない。最寄りの都市、アリメチエフスクまでは約20キロの距離がある。また、この村からは、チュヴァシ共和国よりも、住民の大部分がイスラム教徒であるバシコルトスタン共和国のほうが近い。

 今日、スターロエ・スルキノ村に常時住んでいる住民の数は約1500人。家屋は堅固な作りで、新築も多い。幼稚園も学校もあり、地元民はチュヴァシ語とロシア語を話す。彼らがその宗教儀式を行っていないときは、他の人々と違ったところはない。ネットサーフィンしたり、連ドラを見たり、車を運転したり、オフィスで働いたり。

 村はずれには、3つの墓地がある。正教徒、イスラム教徒、そして古来の宗教を奉じる者の墓地で、これがいちばん大きくて古い。

 墓には墓石の代わりに柱が立っている。これは「ユープイ」と呼ばれる。男性のは樫で、女性のは菩提樹で作られており、その後、石造のものに換えられる(その儀式は11月に年1回行われる)。しかし、村には寺院も祭司もいない。すべては長老の会議で決められる。

 「私たちはいたるところで祈る」と言うのは、ガリーナ・ティメルバエヴナ・ビクボワさん。村の長老の一人で、祈祷文が読み上げられた後で、我々に近づいてきた。彼女はクワスとお菓子の「ユスマン」を配った。「神が生贄をご嘉納されるように」とのことだ。「私たちの神は、キリスト教とイスラム教より古い『トゥラ』だよ」

 男たちが牡牛を解体している間、10カ所ほどで焚火を起こし、大釜で生贄のお粥「ウチュク・パタ」を調理する。それは3種類の穀物から作られる。そば、米、キビだ。だから、これを「友情のお粥」と呼ぶ者もいる。最後に牛肉を加える。 

 牛の頭と蹄は、樫の老木にぶら下げる。そして昨年のものは外して、皮と尾といっしょに野原に埋めるのだ。

 村人たちは、この野原の祈祷が、自然災害や邪悪な人々から身を守るのに役立つと信じている。

 「最近、嵐が吹き荒れて、アリメチエフスクでもゼレノゴルスクでも、いたるところで屋根が吹き飛ばされたんだけど、この村では、風が5分ほど吹いただけだったよ。で、私たちは言ったもんだ。神様、ありがとう、守ってくれてって」。ガリーナさんは語る。

 ガリーナさんは45年間、学校でロシア語を教えた。今は年金生活者となり、孫たちの面倒を見ている。孫は9人いて、皆チュヴァシ古来の信仰で育てられている。

 「私の家族には正教徒はいないよ。おかげさまでね!もし私が正教徒になるべきだったなら、神様は私をそういう家庭に生まれさせただろう。自分たちの信仰に反対する理由なんてないよ」

 ガリーナさんがこの宗教儀式に直接参加するようになってからもう5年だ。その前は、儀式の組織運営のほうをやっていた。

 実際、暴風は、4日前にタタルスタン南東部を通過した。昨晩でさえ、アリメチエフスクでは、大雨が降り、雷が轟いた。天気予報によると、今日、スターロエ・スルキノ村では終日雨が降りしきるはずだったから、我々は村人にゴム長靴を貸してくれと頼んだほどだ。しかし、何も必要なかった。祈祷の後、雲は散り、太陽が顔を出し、野原の草は乾いた。

 「私は若い頃はコムソモール(共産党の青年団)の職員で、こういう儀式は否定していた」とガリーナさんは振り返る。「でも、信仰はたぶん、どこか心の底にあったのだと思う」

 ガリーナさんの回想によれば、ソ連時代でさえ、スターロエ・スルキノ村ではこれらすべての儀式が行われていたという。結婚式も、葬式も、定期市も、そしてこの野原の祈祷式も、古式に則って執り行われ、地元の行政は邪魔しなかった。それというのも、地元当局自身が、これらの伝統を保持していたからだ。

 近年では、野原の祈祷式は、チュヴァシの祭り「ザカミヤ」の一部として開催される。その運営は、スターロエ・スルキノ村の元村長、インナ・アリムコワさんが有志の人々とともに行っている。

 今日、インナさんは少し落胆した様子に見える。民族衣装に着かえる暇がなかったからだ。昨日、深夜までチュヴァシ青年フォーラムを主宰したので、今朝寝過ごしてしまい、「平服」で来なければならなかったという。

 普通、チュヴァシの女性はお祭りでは、貨幣を飾りに用いる。これは、豊かさで満ち足りているというシンボルだ。ガリーナさんは、ソ連時代の貨幣を通したビーズアクセサリーをかけている。

「これは宗教ではなく、世界の秩序」

 牡牛を解体していた男性たちは、スーツに着替え、賓客を迎える準備をしている。今日は、行政区の代表団が訪れる予定なのだ。10時近くなると、野原にはもう数百人が集まっていた。民族音楽のアンサンブルが古い歌をうたい、民族工芸を見せるテントが複数張られた。また全員にお粥が振る舞われる。

 スポーティーな男性がいる。チュヴァシ特有の刺繍をあしらったシャツを着ており、ニコライと名乗った。でもこれはパスポートに記載されている名前にすぎず、家ではミグシと呼ばれているそうだ。多くのチュヴァシ人は、二つの名前を与える慣わしなのである。

 彼は54歳で、首都チェボクサル に住む彫刻家だが、自分の民族の伝統に接するため、ここを訪れた。両親は彼が子供のときに正教の洗礼をほどこしたが、後年、彼は自らチュヴァシ古来の信仰に立ち戻ったという。

 「大学で私たちはさまざまな宗教を研究したが、その時すでに、それらはすべて自分のものではないことを悟ったんだ。洗礼は形式的なもので、要するに、両親は自覚せずにやってしまったということ。私の2人の成人した息子たちも今では、私たちの伝統を学ぶことを決心している。結局のところ、私たちが信じているのは宗教ではなく、ある種の世界の秩序なんだ」

 ニコライさんの話では、正教の洗礼を受けたチュヴァシ人たちも、心の底では、最高神「トゥラ」だけを信じているという。

 しかしガリーナさんは、洗礼を受けず古来の宗教を信じるチュヴァシ人の数はますます少なくなっていると嘆く。

 「若者の間では今、キリスト教の洗礼を受けることが流行になっている。私たちの世代の後は、洗礼を受けない者は多分いなくなってしまうだろう」

 つい10年前には、この村では洗礼を受けた人は5%にすぎなかったが、今では20%に達している。

 しかし、祈祷式の牛を買うための寄付には、これまで通り全村が応じており、ある人は100ルーブル(*7月9日現在、1ルーブルは1.71円)、またある人は200ルーブルを出した。例えば、今日の牛は5万4千ルーブルしたのだが、この他にも穀類のひきわりを買わねばならなかったと、スターロエ・スルキノ村の村長、ニコライ・ワレリエヴィチ・レオンチェフさんは言う。

 「私はずっと正教の洗礼を受けずにきたし、私の妻も、彼女の両親もそうだった」とニコライ村長。「でも、2006年に下の娘が生まれたときは、私たち全員が洗礼を受けることにした。当時、私は35歳だった。正教を選んだのは、何というかそれが身近に思えたからだ。私たちは常に神を信じてきた――ここには教会もないけれども。誰にも自分の選択がある」

 村長の考えでは、重要なのは、村人に仕事があり、良い道路があり、どこも電灯が灯っていることだという。村長は、牛の寄付には応じた。

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