トルストイ VS ドストエフスキー:どちらがスゴイか

カルチャー
ロシア・ビヨンド
 トルストイ VS ドストエフスキーは、分厚い本まで書かれたテーマだ。19世紀ロシアを代表する両文豪の比較はすごく面白くて、なかなか尽くせないものがあり、決着がつかないうちはどうも落ち着かない。もしかして、あなたが私たちを助けてくれるのでは?

 今や人類が長年頭を悩ませてきた問題に決着をつける時が来た。これに比べれば、バットマンVSスーパーマンなんて問題は霞んでしまう。さて、ロシア文学の双璧のいずれが勝っているか?あなたが夜に子供に読み聞かせるとしたら、どちらの作品だろう?贈り物としてもらって欣喜雀躍するのはどちらか?ワイングラスを傾けつつ、インスパイアされて引用するのはどっちか?ウォッカの助けを借りてようやく涙腺が緩むのはどっちかな?

 トルストイ とドストエフスキーのいずれにもチャンスを与え、まずは各々の成果、長所を思い出してみよう。

スゴさの証明

ドストエフスキー

 ロシア文学を代表する「心理学者」。ナドルイフ(“надрыв”は、感情の激発、異常な興奮、高揚を意味する)という言葉を広めたのは彼だ。これは、外国語に訳すのは難しいが、ロシア的魂について多くを語る言葉だ。ロシア人はいつでもどこでも「激発」している。コーフンし、高揚し、感情が思い切りハイになる。愛するときは思い切り愛し、遊ぶときは思い切り遊ぶ。

 ドストエフスキーは、かのラスコーリニコフを創造した。斧を引っ提げた有名人だ。「ラスコーリニコフがお前を見つけるぞ」。ロシア・ビヨンドの読者が記事に不満なときは、フェイスブックにこう書くのだ…。

トルストイ

 彼は、超大作『戦争と平和』を書いた。19世紀初頭のロシアを巨細に描き切った歴史絵巻だ。戦闘、最上流社会の陰謀を微に入り細に入り描き、家族と名誉の何たるかを示した。多種多様な人物の意識に入り込む能力は、まさに驚嘆に値する。世界を若い令嬢、ナポレオン、毒々しい老人その他の様々な目を通して、多元的に捉える。

 トルストイは、アンナ・カレーニナを創造した。汽車に飛び込み自殺するこの美女を知らぬ者はない。彼女は、愛と裏切り、不倫を描いた、ロシア文学の代表的作品のヒロインである。

主な反証

ドストエフスキー

 あまりにも暗い。読んだ後は死にたくなる。魂の唯一の救いは信仰に見出され、肉体の救いは端的に無い。あるのは苦しみばかりだ、というのだから。

 おまけに、多くの長編が、編集者の要求で、短期間で大わらわで書かれた。最晩年をのぞけば、賭博の借金返済などで常に家計が火の車だったからだ。さらにドストエフスキーは、サンクトペテルブルクのイメージを損なってしまった。灰色の陰鬱な街としていつも描いているので。

トルストイ

 あまりにも多弁、饒舌で、いつセンテンスが終わるのか分からず、終わったころには、始まりがどうだったか忘れてしまう。それに、道徳のお説教がしつこすぎる。作者の立場が、どんな「隙間」からもうかがわれる。

 おまけにトルストイ自身は、自分が書いた規則に従わなかった。妻と喧嘩し、既婚の農婦の愛人との間に私生児もこしらえた。