2年に一度、ヤースナヤ・ポリャーナでトルストイの子孫たちが参集する。写真は2008年=アンドレイ・リゼンコフ撮影
妻のソフィヤは「戦争と平和」を何度か書き写し、長女のタチヤーナは1917年、生家の博物館ヤースナヤ・ポリャーナの初代管理人になった。
真ん中と下の娘であるマリヤとアレクサンドラも作家の助手そして代理人であった。
長男セルゲイは父親の死後、ヤースナヤ・ポリャーナを博物館として保存するために尽力し、モスクワのトルストイ博物館の事業やトルストイ全集の出版に携わった。
トルストイ研究家のパーベル・バシンスキー氏によれば、セルゲイはソ連にとどまった唯一のトルストイの子供だった。彼は、ボリシェビキに敬われていたという。
その息子のイリヤは16年、トルストイに関する講演のために渡米し、17年には家族を残したまま米国に根を下ろした。、イワン・ブーニンと親交があり、ハリウッドで活躍した。
イリヤは「アンナ・カレーニナ」や「復活」といった父親の長編を原作とする映画のエキスパートとなり、レフ・トルストイの役を演じたこともあった。
ヤースナヤ・ポリャーナ=アンドレイ・リゼンコフ撮影
マリヤは露日戦争に参加した六男アンドレイと同様、革命前に死去した。七男ミハイルは20年に亡命し、長年、トルコ、ユーゴスラビア、フランスで暮らし、モロッコで死去した。アレクサンドラは29年、米国へ亡命した。
サイト「トルストイ一族」の資料によれば、レフ・トルストイと妻ソフィヤの子孫は約400人に上る。
子孫たちは祖先の遺産の管理人であり、祖先の作品の研究者である。
作家の玄孫であるウラジーミルは現在、52歳。モスクワ国立大学ジャーナリズム学部を卒業し、祖先の領地ヤースナヤ・ポリャーナにおける不法な森林伐採に関する記事を執筆した。
94年、当時の文化相はウラジーミルを博物館の館長に任命した。彼は2000年にヤースナヤ・ポリャーナでトルストイの子孫たちが初めて一堂に会する催しを開いた。以後、隔年で同じ集会が催されている。
ロシアでは今年が「文学年」と宣言された。ウラジーミルは「トルストイのすべてをクリック一つで」というプロジェクトの発起人の一人になった。
書簡や日記を含む90巻のレフ・トルストイ全集がデジタル化されインターネットで無料ダウンロードできるようになった。
作家の玄孫フォークラ・トルスタヤは自ら責任者を務めたこのプロジェクトについて、こう語る。
「わが家には印刷された90巻のトルストイ全集がありません。それは、買うこともできません。私たちは、現代の技術の助けを借りて全集の電子版をつくることで、レフ・トルストイの思いをかなえ、彼の作品を誰もが読めるようにしたのです」
ロシア文学に燦然(さんぜん)と輝くレフ・トルストイの家系はロシア最大の貴族の一つだった。現在、文豪の直系子孫だけでも約400人を数える。多くは偉大な祖先の啓蒙(けいもう)文化事業を受け継いで、その姓を名乗っている。
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