– 今、私は、生まれ育った自宅のヤースナヤ・ポリャーナにいるんで、健康状態も良くなったよ。お客たちもみんな帰ったしね。わが魂は喜びに満つ、というわけさ。
– 確かに嘆願者はたくさん来るよ。土地を失った未亡人とか、乞食とか、その他ありとあらゆる種類の人たちがね。それが私には実にシンドイんだなあ。というのも、そのすべてが虚偽だからさ。
私は彼らに何も与えることができない。だって、私は彼らのことを知らないんだからね。そして、彼らはあまりにもたくさんいる。おまけに私と彼らの間には壁があるように思う。つまり、ほとんどの人が私を人間としてではなく、「セレブ」として扱っていると感じるんだ。
つまり彼らは、こんな男のところへやって来たと思っているわけだ。意義ある明晰な思想を表現し得たことで名声を得た、そんな男のもとへ。ところがだ、やって来ると彼らは、その男には何もしゃべらせちゃくれないんだよ。そしてその間ずっと、自分が知ってることばかりべらべらしゃべるか、何かについて証明しようとして、結局、荒唐無稽なものになってしまう…。
つい今日の午後も、「ロシア人協会」なるものの職員が来てさ、(トルストイ主義なんてものはやめて)正教会に戻ってくれと、私に懇願してたな。お人よしではあったが、全体としては狂人だね。
それから、2つの巨大な封筒を持った女が、「自分の魂の叫び」を読んでくれ、と私に頼んだな。虚栄心、何が何でも作家になりたいという変質的欲求、貪欲。いやあ、ガクッと来たなあ。まあ、私はもっと平静であるべきだったが。
– 人間というのは、年を取るとな、外部に対する感覚が失われていくもんだ。それは、世界とのコミュニケーションに役立つ能力なんだけどな。つまり、視力、聴覚、味覚…。が、そのかわりに、内的な感覚が生まれ、霊的な世界とコミュニケートできるようになる。これは、失ったものに十倍するご褒美だね。私は今これを経験しているんだよ。喜ばしいことだ。感謝してるよ。嬉しいね。
モスクワの家の庭でのトルストイ。1898年、ハモーヴニキ。
Getty Images– 最も重大な問題の一つは、私が贅沢のなかに暮らしていることだな。周囲の誰もが、この贅沢を享受し、また私に、何の役にも立たないものをくれる。私がそれらのものをつき返せば、怒ってしまう。人々は、どちらかの側から私に懇願する――使わせてくれ、あるいはもらってくれ、と。私はそれらを拒み、彼らの気を悪くさせることになる。
– 私は狩猟で鳥や獣を撃ったことを考える。串刺しにして死んだ鳥、ナイフで心臓をぐさりと一刺しにした兎。何の憐れみも感じずにそんなことをやった。私は、今では恐怖の念なしには考えられないようなことをしでかした…。
– いやもう、ぞっとするよ。 両極――精神的希求が湧き起こるかと思うと、肉欲が爆発する。両者が激しい闘争を繰り広げる。私は自分自身をコントロールできてない。で、その理由を探してるんだがね――タバコ、不摂生、仕事における想像力の欠如。だが、そんなのは大したことじゃないかもしれん。もう一つ理由があるな。愛し愛される妻がいないことだ。
レフ・トルストイとソフィア夫人。屋敷のヤースナヤ・ポリャーナにて。
TASS– 彼女はもう妻ではなくなっちゃったんだよ。夫を助ける?彼女はとっくの昔に助けるのを止めて、逆に邪魔するようになったな。子供たちの母親の役割?彼女はそれもしたくない。子供たちに食事を与え、養う?それももうやりたくないんだね。えっ、“夜の友”?彼女は結局、そいつも餌とおもちゃに変えてしまった。子供たちのために実に残念だね。私はいよいよ彼らを愛し、可哀そうに思うようになっている。
– 家族のなかにいるのは私には辛いことだ。彼らに共感できないのは辛いね。彼らのあらゆる喜び――試験、社会での成功、音楽、家具、買い物――、こういうことはすべて、彼らにとって実は不幸で悪いことだと私は思っているんだけど、そんなこと言うわけにいかんしな。いやまあ、実は言ってるんだけど、誰も聞く耳はもたないね。私が言うことはぜんぜんピンと来ないようだ。親父には余計なことを言う悪い癖があるとしか思ってないね。
– 私は、同じようなことを際限なく繰り返し書いているというので、皆を悩ましているに違いないね(少なくとも一般読者はそう考えるだろうな)。たしかに、沈黙して静かに暮らす方がマシかもしれないな。そして、書きたいという気持ちががまんできないほど高まったときにだけ書くようにする。それも小説だけを。小説のほうがより頻繁に私を夢中にさせるのだし。そして、成功のためではなく、広範な読み手のために言わねばならないことだけを言うのだ。つまり、自分に無理やり仕事を強いるのではなく、それが真に必要なときに書き、伝える…。神よ、助けたまえ。
– こう考えたり言ったりするのははばかられるが、私は、100人中99人は正気じゃないと思うね。が、実は恐れることなどない。それどころか、そう言ったり考えたりしないわけにはいかん。もし人々が狂っているとすれば(都市生活、そこでの“成長”の仕方、贅沢、怠惰などなど)、彼らの言動も狂っているのは当然さ。私は、そういう狂人たちの間を歩き回りながら、できれば、彼らの迷惑にならずに、癒してあげようとするんだが…。
– 悪臭、石、アスファルト、贅沢、不幸、貪欲。 自分の国民を収奪する悪人どもが集まって、兵隊と裁判官を呼び出して、自分たちの乱行を守り、酒池肉林にふける。人々は、こういう悪人どもの欲望を利用して、この連中が盗んだ金品を取り返すしかないというありさまだ。ところで、男は女よりも狡猾だね。女は家にいるが、男は浴場で身体を磨き立て、(誘惑の多い)御者なんかとして働いてるからね。
– 夜の帳が下りるまで、つまり君の人生最後の日までちゃんと生きる。その際、今この瞬間が、君がこの世で過ごす最後の時間のように生きるんだ。最も重要なことだけを行う時間が残っているような気持ちでね。と同時に、そういう状況でやるようなことを無限に続けていくんだ。
– いかに奇妙に思われようとも、愛によってのみ、神とは何かを知ることができる。愛が、神を感じさせてくれる唯一のものだね。
– 実は、しばしば恐怖の念とともに、自問する。私は何を愛しているのか、と。何も愛していない…。ポジティブな意味では何も愛してない。悲しむべきことだ。幸福な人生を送れる可能性がないわけだからね。しかし、そのほうが「精神的人間」になるには簡単なのさ。つまり、肉体的欲求のない地球の住人になるにはね。
免責条項:レフ・トルストイの「回答」はすべて、実は、様々な年代の彼の日記から抜粋したもの。それを継ぎ合わせて、インタビューに仕立てた。
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